エンリコ・チェケッティ
エンリコ・チェケッティ (Enrico Cecchetti 1850年6月21日 - 1928年11月13日) は、イタリアのバレエダンサー、教育者。
ダンサーの両親のもと、ローマの劇場の楽屋で生まれる。両親はダンサーになることを望まなかったが、踊ることを忘れられず、13歳でフィレンツェのバレエスクールに入学し、イタリア派の技巧を叩き込まれた。 バレエダンサーとしては16歳でデビュー。1885年にスカラ座でプリモバレリーノに昇進。1887年にサンクトペテルブルクバレエ団(現マリインスキー・バレエ)と契約し、1890年には副メートル・ド・バレエに就任する。その3年後には付属バレエ学校で教えるようになる。
1902年にワルシャワのバレエ学校に転任するが、1906年にレニングラードに戻り、学校を開く。 1910年にセルゲイ・ディアギレフに協力しバレエ・リュスに参加。ダンサーたちに基本的なバレエの訓練を施す一方、『火の鳥』の魔王カスチェイ、『ペトルーシュカ』の魔術師などを演じる。
その後ロンドンで教室を開いた後、イタリアに帰国し1925年からスカラ座バレエ学校の校長に就任した。
1928年、レッスン中に体調を崩し、帰宅後死去した。
チェケッティは20世紀を代表する多くのバレエダンサーに教えている。特に有名な人物は、アンナ・パヴロワ、ヴァーツラフ・ニジンスキー、タマーラ・カルサヴィナ、レオニード・マシーン、セルジュ・リファール、ニネット・ド・ヴァロアなど。特にパヴロワの信任は厚く、レニングラードのプリマバレリーナ時代、専属講師として私費で迎え入れるほどだった。
チェケッティ・メソッド[編集]
チェケッティの名を冠したこの有名なバレエ教授法は、イタリア派の特徴ともいうべき、強力な回転と跳躍を軸とした高度で華やかな技術を特色とする。
死後設立されたチェケッティ評議会などに受け継がれている。
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