エンバーミング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

エンバーミング (embalming) とは、遺体を消毒や保存処理、また必要に応じて修復することで長期保存を可能にする技法。日本語では死体防腐処理遺体衛生保全などという。土葬が基本の欧米では、遺体から感染症が蔓延することを防止する目的もある。

概要[編集]

人間をはじめとした動物の肉体は死後、臓器の消化酵素や体内中の微生物によって分解が始まる(腐敗自己融解)。また同時期に死肉食性のクロバエニクバエの幼虫(いわゆる)の摂食活動により損壊が進む。 腐敗の程度は気温湿度衛生環境などによって大きく変動するが、およそ数日から数ヶ月で腐敗が進行しきり、白骨化する。 こうして腐敗の進んだ死体は、結核菌などの病原菌を有していたり悪臭のする体液が漏出することがある。また死後変化による外見上の変化はおおよそ見るに耐えないもの(乾燥による陥没や死体ガスによる膨張、死斑などは遺体の状態にかかわらず起こりうる)が多く、遺族に精神的なストレスショックを与える場合がある。 このような死体(遺体)の腐敗や変化を薬液の注入により遅延させ、損傷部位を修復することで葬送まで外観や衛生を保つのがエンバーミングの役割である。また、遺体の輸送や葬送を行う施設の順番待ちと言った理由から、遺体保冷庫では時間を賄えない場合にエンバーミングが用いられることがある。国内外への遺体の輸送にエンバーミング処置を義務付けている国もある。

工程[編集]

エンバーミングは、エンバーマーと呼ばれる葬儀の専門の技術者や医学資格を有した医療従事者[1]によって、化学的・外科学的に遺体を処理される。 現代のエンバーミングは、具体的には以下の方法で行われている。

  1. 全身の消毒処理、及び洗浄を行う。
  2. 遺体の表情を整え、必要に応じて髭を剃るなどの処理を行う。
  3. 遺体に少切開(主に頸部など)を施し、動脈より体内に防腐剤を注入。同時に静脈より血液を排出する。
  4. 腹部に約1cmの穴を開け、そこから鋼管を刺し胸腔・腹腔部に残った体液や、腐敗を起こしやすい消化器官内の残存物を吸引し除去する。また同時にそれらの部分にも防腐剤を注入する。
  5. 切開を施した部位を縫合し、事故などで損傷箇所がある場合はその部分の修復も行う。この時、切開を行った部分にはテープ等を貼り目立たなくする。
  6. 再度全身・毛髪を洗浄し、遺族より依頼のあった衣装を着せ、表情を整え直した上で納棺する。

上記の処理を行われた遺体は注入される薬剤の濃度や量により数日~2週間程度までは常温での保存が可能である。またこれ以上に徹底した処理を行えば、保存可能期間を更に延ばすことができ、防腐剤の交換など定期的なメンテナンスを行えば、生前の姿のまま保存展示を実現することが可能である。

歴史[編集]

エンバーミングの始まりは古代におけるミイラにまで遡る事ができる。

近代においてエンバーミングが急速に発展する契機となったのは、1860年代アメリカの南北戦争であるといわれている。当時の交通手段では、兵士の遺体を故郷に帰すのに長期間を要し、遺体保存の技術が必要とされた。 さらにベトナム戦争により、同じ理由で、一層の技術的発展をみた。

宗教的解釈[編集]

キリスト教では最後の審判に際し死者のよみがえりの教義を持つため、キリスト教会の見解として火葬を禁止してきた。 しかし、1913年にはチェコ・カトリック教会、1944年に英国国教会、1963年にフランス・カトリック教会が「火葬は教義に反しない」と火葬を認めた。これに遅れて、1965年にはローマ・カトリック教会が教令1203条の「火葬禁止令」を撤廃し、バチカンの正式見解として「火葬は教義に反しない」としたため、地域による格差はあるものの徐々に火葬が許容されつつある。

世界におけるエンバーミング[編集]

エンバーミングはアメリカカナダ等欧米諸国では一般的な遺体の処理方法となっており、死後エンバーミングを行い、葬儀を行うという一連の流れが確立している。

アメリカでは、上述の歴史的背景から南部地区ではエンバーミング率は95%を超えており、州によっては移動距離によってエンバーミングを義務づけるなど、州レベルの法整備がなされ、エンバーマーの教育・資格制度も整備されている。ただ、大都市部や西海岸地区、ハワイでのエンバーミング率は低く、火葬の拡大も伴ってアメリカ全土でのエンバーミング率は近年低下している。

また社会主義国指導者を権威を高めるためにエンバーミングをするだけでなく、常にメンテナンスをすることで生前の姿を保ちながら展示し続けているケースがある。ソ連のウラジーミル・レーニンはエンバーミングされてレーニン廟で生前の姿を保ちながら展示され続けたのを前例とし、何人かの社会主義国の指導者に生前の姿を永久に展示することを目的にエンバーミングとメンテナンスをする例が出てくるようになった。

日本におけるエンバーミング[編集]

日本ではエンバーミングの慣習は無い。仏教の影響から火葬の慣習があり、遺体の最終処理は99%以上が火葬で行われている。また病院等で死亡した場合遺体は即時看護師らによって体液や便の排出、全身の消毒処置(いわゆるエンゼルケア)が行われるため、欧米と比較すると腐敗や感染症のリスクは低い。

歴史[編集]

日本においては、欧米圏のキリスト教による遺体の復活信仰やそれに伴い存在した火葬の禁忌・抵抗感の様な概念は乏しい傾向がある。また、江戸期には馬車が存在しておらず、もしも仮に旅先や遠い奉公先において急死者が出て、その遺体を遠隔地に搬送するとなれば実質的には長持などを用いて人力に頼らざるを得ず、一般庶民のレベルでは遺体をそのままの姿で長距離輸送するという考え方も選択肢も存在していなかった。この考えは欧米人によって馬車と牽引用の重種馬[2]が持ち込まれた幕末から明治期、そして動力近代化が進んだ明治後期以降も本質的にはあまり変わることなく、戦時中も戦死者は現地で火葬され、戦後もまた長らく、多数の死者が発生した災害や事故では現地で火葬許可を得て早々に荼毘に付して遺骨を持ち帰るという形が一般的であった。長らく土葬習慣が残っていた地域も多いが、これらでも火葬も完全には否定されておらず、火葬の技術の進歩や施設の導入によって近現代に急速に土葬が衰退した。その様なことから、日本においては欧米圏の様なエンバーミングの習慣が広まることはなかった。

2003年に「犯罪被害者の遺体修復費用の国庫補助予算」が国会で成立し、海外でテロの被害によって死亡した外務官に対し公費で遺体処置が施された。しかし、公費負担による遺体の修復は、国内では北海道埼玉県以外では行われていない。また、遺体に対する切開や縫合は認められず、遺体の清拭と化粧着付けの処置範囲に留まり、遺体の創部へは絆創膏包帯でのカバーが行われているために、エンバーミングとは言えないのが現状である(費用も数万円でエンバーミング費用の7分の1程度)。同処置は司法解剖を受けた遺体に限定されることや、都道府県の予算化が進んでいないことも地域が広がらない原因の一つである。

法律上の解釈[編集]

日本ではエンバーミングに関して制定された法令はない。

民事訴訟の判例においては、日本遺体衛生保全協会が規定している自主基準を遵守か関係する法令、また節度を持ち行われた場合、遺体に対する配慮と遺族の自由意志に基づいたものである限り、医学資格を有しない者がエンバーミングを行なっても違法とは言えないとし、遺体への切開や縫合を伴うエンバーミングは、医学に関する国家資格を有する者が行なうことが望ましいとしている。[要出典]

そのため、エンバーミングに関するトラブルは死体損壊罪などとして刑事事件として立件することは難しいのが現状である。

刑事事件としての摘発例[編集]

2008年4月には感染性廃棄物ホルマリンの廃液等を違法に運搬・野焼きを行ったとして、複数のエンバーミング施設を有する業者が行政機関により告発され刑事事件として強制捜査が実施された。その後、2009年4月には同業者とエンバーマーを含む同社幹部4名、その他の依頼先である関係者2名の検察官送致(書類送検)が行われ、同年7月には起訴された(退職後の元社員も含む)。また、残る3名の社員(元社員も含む)へは罰金50万円が求刑されており、依頼先の2名は起訴猶予処分(懲役5年以下もしくは罰金1,000万円以下であるが常習性がないと判断)が決定した。

これらの動きは全国の行政機関にも広まりつつあり、違法行為に対して現行法令や自治体条例での規制や監視の強化、告発や起訴処分が進むと考えられる。現在は遺体に対しエンバーミングを含む種々の処置が行われた結果、顔貌が生前と大きく変わってしまう場合があり、これも苦情や民事訴訟の原因となっている。

エンバーミングの問題点[編集]

近年、日本でも遺体の修復や保存に関する商品化が葬儀業界内で高まりつつあり、葬儀業界団体である日本遺体衛生保全協会(IFSA)が1994年に設立され、環境省からの行政指導を受けながら、エンバーミングを日本に定着させようとする動きがある。

日本でエンバーミングを行う場合、葬儀の商業行為の一つのオプションとして行われるが、日本では長期保存の文化はなく、低温保存が主となる。国内の葬儀社で行われているエンバーミングはアメリカやカナダの州資格を持った外国人が担当することが多く、その作法は彼らの州法や規則に従い行われ、企業内での教習も日本国内の法や規制には即していない部分も多い。そのため日本の文化、風土に適した作法を有するエンバーマーの養成が課題となっている。しかし、エンバーマーは葬儀に関する知識と、医学解剖学組織学公衆衛生学など)の知識が必要な専門職であるが、現在その公的な資格はなく、葬儀業界団体の認定資格や企業内資格に留まっている。

医療機関の中ではエンバーミングを行う施設もあるが、医師や医療関係者が行うエンバーミングであっても法規制に則ったものではなく、医療行為の中での立場(医療行為の範疇、費用の算出方法など)に問題がある。また、エンバーミングの費用も日本では全社統一価格が設定されており、業界による価格調整も指摘されている[要出典]

エンバーミングされた著名人[編集]

社会主義国の指導者の遺体については定期的なメンテナンスを行うことで生前の姿のまま保存展示を目的とした永久保存処置が施されている例がある。

エンバーミングされた政治指導者(死去順)

金正日までの人物のうち、永久保存目的のレーニン、ホー・チ・ミン、毛沢東、金日成、金正日と、大陸に埋葬されるまで保存予定の蒋介石、蒋経国、英雄墓地への埋葬を待つフェルディナンド・マルコス以外は、その後の政治的変遷により改葬されて埋葬された。ウゴ・チャベスはいったん永久保存の方針が発表されたが、その後防腐処置の困難などの技術的な理由により断念された(遺体の扱いについては未決定である)。

その他、埋葬ないし火葬に付される予定の人物であっても、国葬等の追悼行事の挙行までに日数を要し、かつその間多数の国民による弔問が予想される場合、遺体にエンバーミングが施される場合は多々ある。

エンバーミングされた、政治指導者以外の人物

エンバーミングを題材とした作品[編集]

映画[編集]

ドラマ[編集]

漫画[編集]

小説[編集]

ビジネス書[編集]

  • エンバーマー(橋爪謙一郎 著)ISBN 4396613237
  • エンバーミング(公益社葬祭研究所 編著)ISBN4-7745-0656-7

注釈[編集]

  1. ^ そのような制度がない国では、医療関係者でない人間が担当することもある
  2. ^ それまでの日本の在来馬は総じて現在のポニーに近い小型のものであり、気性も荒く、馬車の牽引には凡そ適したものではなかった。
  3. ^ 当事者である化学者の回想記『レーニンをミイラにした男』 イリヤ・ズバルスキー/サミュエル・ハッチンソン共著、(赤根洋子訳、文春文庫、2000年)に詳しい方法が語られている。以後友好国の指導者の遺体処置にも応用された。
  4. ^ 松平健、妻と最後の別れ…玉緒ら40人参列(スポーツ報知)(cache)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]