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エレナ・タタルコワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エレナ・タタルコワ
Elena Tatarkova
エレナ・タタルコワのサービス
基本情報
フルネーム Elena Valeriyvna Tatarkova
国籍  ウクライナ
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
タジク・ソビエト社会主義共和国ドゥシャンベ
居住地 キーウ
生年月日 (1976-08-22) 1976年8月22日(49歳)
身長 170cm
体重 66kg
利き手
バックハンド 両手打ち
デビュー年 1992年
引退年 2006年
生涯獲得賞金 $862,005
ツアー経歴・シングルス
ツアー通算 0勝
自己最高ランク 45位(1999年1月18日)
生涯通算成績 300勝237敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪オープン 1回戦(1998・99・2002)
全仏オープン 3回戦(1998)
ウィンブルドン 2回戦(1998・99)
全米オープン 1回戦(1998・99)
ツアー経歴・ダブルス
ツアー通算 4勝
自己最高ランク 9位(1999年7月5日)
生涯通算成績 302勝176敗
4大大会最高成績・ダブルス
全豪オープン 3回戦(1998・99)
全仏オープン ベスト4(2001)
ウィンブルドン 準優勝(1999)
全米オープン 2回戦(1997・98・2003)

エレナ・タタルコワElena Tatarkova, 1976年8月22日 - )は、ウクライナの女子プロテニス選手。タジキスタンの首都ドゥシャンベで生まれる。1999年ウィンブルドン女子ダブルスで、マリアン・デ・スウォート英語版南アフリカ)とペアを組んで準優勝した選手である。ベースライン・プレーヤーで、バックハンド・ストロークを最大の武器にした。左利きの選手。自己最高ランキングはシングルス45位、ダブルス9位。WTAツアーでシングルスの優勝はなかったが、ダブルスで4勝を挙げた。

来歴

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タタルコワは母親の勧めで10歳からテニスを始め、1993年5月にプロ入りした。1994年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップウクライナ代表選手になる。彼女は早くからダブルスの分野で優れた才能を発揮し始め、1996年全仏オープン4大大会女子ダブルスに初挑戦した。2年後の1998年全豪オープンで初のシングルス本戦出場を果たす。この年の全仏オープンで3回戦に進出し、第3シードのヤナ・ノボトナに挑戦するが、これがタタルコワの4大大会女子シングルス自己最高成績になった。

1999年1月のオーストラリア・ホバート大会で、タタルコワはマリアン・デ・スウォートとペアを組み、女子ツアーのダブルスで初優勝を遂げた。このデ・スウォートと一緒に、半年後のウィンブルドン女子ダブルスで活躍する。2人は準決勝で第1シードのヤナ・ノボトナ&ナターシャ・ズベレワ組を 6-4, 2-6, 7-5 のストレートで倒し、タタルコワはウクライナ人女性として初めてウィンブルドン決勝の舞台を踏んだ。決勝戦ではリンゼイ・ダベンポート&コリーナ・モラリュー(ともにアメリカ)組に 4-6, 4-6 のストレートで敗れ、初優勝はならなかった。(ダベンポートはこの大会で女子シングルス・女子ダブルスの単複2冠を獲得した。)ところが、2人は全米オープンの女子ダブルス1回戦でフランスペアのジュリー・アラール=デキュジス&アメリ・モレスモ組に 6-4, 5-7, 4-6 で敗れ、この敗戦を最後にタタルコワとデ・スウォートはコンビを解消した。

ウィンブルドン女子ダブルス準優勝から2年後、タタルコワは2001年全仏オープン女子ダブルスでジュスティーヌ・エナンとコンビを組み、ベスト4まで進出した。タタルコワとエナンの組み合わせは、この1度だけである。2人は準々決勝でナタリー・トージア&キンバリー・ポー=メッセーリ組に 3-6, 7-5, 11-9 の逆転勝利を収めた後、準決勝でビルヒニア・ルアノ・パスクアル&パオラ・スアレス組に 2-6, 0-6 で完敗した。

2002年2月下旬のアメリカテネシー州メンフィス大会で、タタルコワは日本杉山愛とペアを組んで優勝し、3年ぶりのツアー優勝を杉山とのコンビで獲得した。2003年シーズンにダブルスで年間2勝を挙げ、これでタタルコワの女子ツアーダブルス優勝は「4勝」になる。彼女の競技経歴は2004年にほぼ終わっているが、2006年11月にイギリスの下部トーナメントのダブルス戦に出場したことがある。タタルコワは2004年までフェドカップ代表選手を務め、通算勝利数(27勝11敗)・シングルス通算勝利数(17勝7敗)・ダブルス通算勝利数(10勝4敗)の3部門でウクライナ・チームの歴代1位記録保持者になった。オリンピック代表選手としても、2000年シドニー五輪の女子ダブルスに出場した。

タタルコワは2007年9月に結婚し、2009年4月と2012年2月に出産している。

WTAツアー決勝進出結果

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ダブルス: 12回 (4勝8敗)

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結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1998年8月2日 アメリカ合衆国の旗 スタンフォード ハード ソビエト連邦の旗 ラリサ・ネーランド アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート
ベラルーシの旗 ナターシャ・ズベレワ
4-6, 4-6
準優勝 2. 1998年8月16日 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス ハード タイ王国の旗 タマリネ・タナスガーン スイスの旗 マルチナ・ヒンギス
ベラルーシの旗 ナターシャ・ズベレワ
4-6, 2-6
準優勝 3. 1998年10月18日 スイスの旗 チューリッヒ カーペット (室内) 南アフリカ共和国の旗 マリアン・デ・スウォート アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ
アメリカ合衆国の旗 ビーナス・ウィリアムズ
7-5, 1-6, 3-6
準優勝 4. 1998年11月1日 ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク カーペット (室内) ソビエト連邦の旗 ラリサ・ネーランド ロシアの旗 エレーナ・リホフツェワ
日本の旗 杉山愛
7-6, 3-6, 0–2 途中棄権
優勝 1. 1999年1月16日 オーストラリアの旗 ホバート ハード 南アフリカ共和国の旗 マリアン・デ・スウォート フランスの旗 アレクシア・デショーム
フランスの旗 エミリー・ロワ
6-1, 6-2
準優勝 5. 1999年7月4日 イギリスの旗 ウィンブルドン 南アフリカ共和国の旗 マリアン・デ・スウォート アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート
アメリカ合衆国の旗 コリーナ・モラリュー
4-6, 4–6
準優勝 6. 2000年2月27日 アメリカ合衆国の旗 オクラホマシティ ハード (室内) タイ王国の旗 タマリネ・タナスガーン アメリカ合衆国の旗 コリーナ・モラリュー
アメリカ合衆国の旗 キンバリー・ポー
4-6, 6-4, 2–6
優勝 2. 2002年2月24日 アメリカ合衆国の旗 メンフェス ハード (室内) 日本の旗 杉山愛 アメリカ合衆国の旗 メリッサ・ミドルトン
アメリカ合衆国の旗 ブリー・リップナー
6-4, 2-6, 6-0
準優勝 7. 2003年4月5日 モロッコの旗 カサブランカ クレー スロバキアの旗 ヘンリエッタ・ナギョワ アルゼンチンの旗 ヒセラ・ドゥルコ
アルゼンチンの旗 マリア・エミリア・サレルニ
3-6, 4-6
優勝 3. 2003年4月20日 ハンガリーの旗 ブダペスト クレー ハンガリーの旗 ペトラ・マンデュラ スペインの旗 コンチタ・マルティネス・グラナドス
ウクライナの旗 タチアナ・ペレビニス
6-3, 6-1
優勝 4. 2003年8月10日 フィンランドの旗 ヘルシンキ クレー ロシアの旗 エフゲニア・クリコフスカヤ ウクライナの旗 タチアナ・ペレビニス
クロアチアの旗 シルビア・タラヤ
6-2, 6-4
準優勝 8. 2003年10月26日 ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク ハード (室内) ドイツの旗 マレーネ・ヴァインゲルトナー ロシアの旗 マリア・シャラポワ
タイ王国の旗 タマリネ・タナスガーン
1-6, 4-6

4大大会シングルス成績

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略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 通算成績
全豪オープン A LQ A A 1R 1R LQ A 1R LQ LQ 0–3
全仏オープン A A LQ LQ 3R 1R LQ LQ LQ LQ LQ 2–2
ウィンブルドン LQ A A LQ 2R 2R A LQ 1R LQ LQ 2–3
全米オープン A A LQ LQ 1R 1R A LQ LQ LQ LQ 0–2

外部リンク

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