エルンスト・ユンガー

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エルンスト・ユンガー
Ernst Jünger
Bundesarchiv B 145 Bild-F073370-0006, Bad Godesberg, Ernst Jünger, Philipp Jenninger.jpg
リゼロッテ夫人(右)やドイツ連邦議会の政治家と(1986年
誕生 Ernst Jünger
(1895-03-29) 1895年3月29日
ドイツの旗 ドイツ帝国ハイデルベルク
死没 (1998-02-17) 1998年2月17日(満102歳没)
ドイツの旗 ドイツリートリンゲン
職業 作家思想家軍人昆虫学者
言語 ドイツ語
国籍 ドイツの旗 ドイツ
最終学歴 ミュンヘン大学卒業
活動期間 1920年 - 1997年(1998年没)
ジャンル エッセイ、思想書、小説日記
主題 戦争民族国家生物学昆虫学形態学思想哲学
文学活動 マギッシャーレアリスムス保守革命ポストモダン文学
代表作 『鋼鉄の嵐の中で』(1920年)、『労働者』(1932年)、『大理石の断崖の上で』(1939年)など
主な受賞歴 ゲーテ賞プール・ル・メリット勲章一級鉄十字章ホーエンツォレルン家勲章など
デビュー作 『鋼鉄の嵐の中で』(1920年)
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エルンスト・ユンガーErnst Jünger, 1895年3月29日 - 1998年2月17日)は、ドイツ作家思想家

軍人であり、第一次世界大戦及び第二次世界大戦に従軍。戦闘にかかわる体験記や日記の他、戦争を主題とする随筆や論考を残した。

生涯[編集]

少年時代[編集]

ハイデルベルクに生まれ、ハノーファーで少年時代を過ごす。父親は化学者で薬剤師。弟に、のち詩人・エッセイストとなるフリードリヒ・ゲオルク・ユンガーde:Friedrich Georg Jünger, 1898年 - 1977年)がいる。

世紀末の退屈な学業に飽き足らずギムナジウムを何校も転校する。冒険に憧れ、「ワンダーフォーゲル」に参加し各地を旅行。冒険心はつのり、アフリカ赤道地帯に行こうと考え、家出をして北アフリカのフランス外人部隊に参加するが、事態を知った父親に連れ戻される。

第一次世界大戦[編集]

喉元にプール・ル・メリット勲章を着けたユンガー。左肋には一級鉄十字章と戦傷章、その上には二級鉄十字章(向かって左)とホーエンツォレルン家勲章剣付騎士十字章の略綬を着用している。

第一次世界大戦の勃発によりギムナジウムを卒業し、大学入学の手続きを済ませ、ハノーファーの歩兵連隊に志願兵としての出征を願い出る。デーベリッツで士官候補生の訓練を受け歩兵少尉に任官。第一次世界大戦では常に西部戦線の最前線にあり、大戦初期のソンムの戦いヴェルダンの戦いから、1918年ルーデンドルフ大攻勢など主要な戦いのすべてに参加し、「浸透戦術」を行なう特別編成の特攻隊 (Stosstrupp) の隊長として14度の負傷、そのうち8度は重傷で、一級鉄十字章ホーエンツォレルン家勲章剣付騎士十字章を受章した。そして、1918年にはプロイセンで最高の軍事功労勲章であるプール・ル・メリット勲章の最年少受章者となる。

戦場での苛烈な戦闘体験は1920年刊行の作品『鋼鉄の嵐の中で』(In Stahlgewittern) や、続く『火と血』(Feuer und Blut)、『内的体験としての戦闘』(Der Kampf als inneres Erlebnis) など、初期の戦争作品群に余すところなく書かれている。ユンガーの戦争体験記は「英雄的リアリズム」と呼ばれ、戦争の凄惨を戦争賛美に結び付けているところに特徴があり、戦争の凄惨さから反戦的傾向になる他の作品とは対極性を見せている。例えばエーリヒ・マリア・レマルクの『西部戦線異状なし』などと比べてみれば違いは顕著である。

戦間期・ヴァイマール時代[編集]

ユンガーは、ヴァイマール共和国時代、兵力10万人に制限されたドイツ国防軍に歩兵少尉として残り、カール=ハインリヒ・フォン・シュテュルプナーゲル大尉の部隊でカップ一揆鎮圧に出動。白兵戦指揮の卓越さから次代のドイツ軍のための新しい歩兵操典の作成に加わる。そのまま軍に残っていたならば、第二次世界大戦期は陸軍少将か中将になっていたと言われる[1]も、1923年に軍を退官。ミュンヘン大学生物学者自然哲学者ハンス・ドリーシュに師事し、生物学動物学)及び哲学を学んで、ナポリの動物研究所の研究員となった。こうして職業的に動物学や昆虫学の研究に携わっていた時期だけでなく、昆虫採集や研究の活動はユンガーの終生の趣味、仕事となる。1925年ウィーンで出会ったグレータ・フォン・ヤインゼンと結婚し、二人の子を得た。

1920年代半ばから、鉄兜団の青年将校用の機関紙別冊の「軍旗」紙編集に携わったのを皮切りに、義勇軍エアハルト旅団コンスルなどの機関紙の編集に従事すると共に数多くの論考を載せ、若い世代の保守革命、革命的ナショナリズムの思想的指導者とされ、ヴォルフ・ディーター・ミューラーからは「ドイツ魂の最高司令部」と評された。

第一次世界大戦を「総動員」の戦いとして総括し、『労働者――支配と形態』(Der Arbeiter. Herrschaft und Gestalt, 1932) において全体的世界の展望を示す。時代の衝撃と受け止められたこの書は「民族ボルシェヴィズムのカテキズム」と目され、ナチス体制を予告するものとされ、また、この時期のマルティン・ハイデッガーに決定的な影響を与えた。ユンガーの読者にはナチス幹部も少なくなかったが、ナチ党の出馬願いや第三帝国の文化アカデミーへの参加を頑に拒むなどナチスとは一線を画し、『大理石の断崖の上で』(Auf den Marmorklippen) に見られるようにあくまで反ナチあるいは非ナチに徹した。

ナチス時代と第二次世界大戦[編集]

ベルリン1933年に去り、ハノーファー近くのキルヒホルストに居を構えるが、ナショナル・ボルシェヴィキのエルンスト・ニーキッシュ (Ernst Niekisch)との関係からゲシュタポによる家宅捜索を受ける。ゲシュタポ長官のハインリヒ・ヒムラーはユンガーを逮捕しようとしたが、第一次世界大戦でのユンガーの戦争体験を評価したアドルフ・ヒトラーが制止した。しかし、1938年以降、彼は執筆活動を禁止され、その直前に書かれた『大理石の断崖の上で』では、象徴的な手法でヒトラーによるファシズムの時代の状況を描き出していると評されている。友人たちからは国外に亡命するよう勧められたが、ユンガーはドイツに留まった。

第二次世界大戦には大尉として召集され、友人であるハンス・シュパイデル大佐の配慮でフランス語能力を買われパリのドイツ軍司令部で私信検閲の任につき、パリ在住のフランスの知識人、作家、思想家たちと深く交流し、パリは彼の「第二の故郷」となる。戦争後期は自費出版として『平和』(Der Friede, 1943) を著し、エルヴィン・ロンメル元帥やフォン・シュテュルプナーゲル将軍をはじめ西部戦線の反ナチ派のドイツ陸軍士官に広範な影響を及ぼす。1944年7月20日ヒトラー暗殺計画と将校反乱に関係があったとされ、軍を解任され、住んでいたキルヒホルストに戻る。1939年から1949年までの彼の『庭と道』『パリ日記』『コーカサス日誌』『葡萄畑の小屋』などの日記は『射光』(Strahlungen) という表題で刊行されている。1950年代から1960年代に彼は頻繁に旅行し、非公式ながら日本にも来ており、独和辞典の編者として知られるロベルト・シンチンゲルがユンガーの案内をしている。ユンガーの最初の妻グレタは1960年に亡くなり、1962年にリゼロッテ・ローアーと再婚している。 また、1944年11月29日、ユンガーの息子のエルンステルはイタリア戦線のカララ山中で戦死している。

戦後[編集]

ユンガーは生涯を通しておそらく冒険的精神および好奇心からいくつかの薬物を試しており、それらにはエーテルコカインハシシ(大麻樹脂)、そして後に幻覚剤メスカリンLSDがある。これらの薬物体験は著作にも影響を及ぼしており、特に Annäherungen: Drogen und Rausch (1970) にはこれらの体験についての既述が包括的に含まれている。また、小説 Besuch auf Godenholm (1952) は明白に彼のメスカリンとLSDによる初期の体験に影響を受けて書かれたものである。彼とドラッグとの関係は単なる使用体験と著作への影響に留まらず、LSDの発明者でスイス人の化学者、アルベルト・ホフマン博士との親密な交流にも発展し、直接何度か会った際には共にLSDを摂取することもあったと言う。この二人の付き合いについては、ホフマンの著書 LSD, My Problem Child (1980) に詳しい。ユンガーもホフマンも102歳と齢を同じくして、それぞれ1998年と2008年にこの世を去った。

1982年、ユンガーはゲーテ賞を受賞。

ユンガーが90歳となった1985年、ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州は、昆虫学の傑出した研究成果に与えられる賞として、昆虫学研究者でもあった彼の名を冠する賞(Ernst-Jünger-Preis für Entomologie)を創設した。3年に一度、優れた研究に対して授与されている。

晩年[編集]

1995年3月29日の100回目の誕生日にはフランソワ・ミッテランを含む著名人や彼の愛読者が集った。晩年はハイデッガーとも親しい交友を持っていた。また、死の前年には福音派からカトリックへ改宗をしている。1998年2月17日、バーデン=ヴュルテンベルク州リートリンゲンで一世紀を跨いだ長い生涯に終わりを告げた(満102歳没)。

魔術的リアリズムの文学と思想[編集]

ユンガーの文学と思想は、ニヒリズム以降のドイツ・ロマン派の後継とされることが多く、幻想と現実を同時に見る「幻想的リアリズム」あるいは「魔術的リアリズム」といわれる(V・カッツマン)。と同時に、その形態(Gestalt)の観点はゲーテに依るともいわれ、その意味ではユンガーをニヒリズム以降の古典主義と評する立場もある。彼の文学は、世紀末デカダンス美意識を継承し、フランスのシュルレアリスムに対応するドイツの唯一の表現(K・H・ボーラー)と評されており、フランツ・カフカロベルト・ムージルベルトルト・ブレヒトヘルマン・ブロッホらと共に20世紀ドイツ文学を代表する巨匠の一人とされる。現代のドイツ文学を俯瞰する時、「ユンガー以前」「ユンガー以後」という視点もある。また、ユンガーは、ドイツ文学においては、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールと並ぶ屈指の文体家とされる。

該博な知識によるエッセイや世界各地への旅行記、そして時代の振動を一分の狂いもなく記し「時代の地震計」とまでいわれた膨大な日記作品はユンガーの真骨頂ともされ、ジュリアン・グラックホルヘ・ルイス・ボルヘスアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグからエミール・シオランまで、ユンガーを高く評価する声は多い。

また、彼の思想は、フリードリヒ・ニーチェ以後のドイツ思想の屹立する高峰とされ、ユンガーは「ニーチェのもっとも過激な門人」(カール・レーヴィット)と評され、初期の「英雄的ニヒリズム」と呼ばれた思想は実存主義的とされ、後期の狷介孤高の隠者的思想はポスト・モダニズムに通じるとされる。

政治思想は前期はファシズム的であり、戦後、ユンガーとハイデッガーはそれぞれの還暦記念論集においてニヒリズム論を交換しているが、彼らにとってナチス体験とはニヒリズムの生きた体験でもあった。後期の思想はアナキズムに近接するところがあるとされる。

ユンガーの矛盾[編集]

冷酷非情な現実に徹せよと説いていたにもかかわらずユンガーの体質がこれとはおよそほど遠かったことは、彼の哲学をおそらく最も忠実に実践したと思われるナチスがいざ政権を握る段になるや、観照の世界に逃げ込んでしまう彼の姿勢がなによりも雄弁に物語っている。

ブルジョア社会における文化や、教養を爆破せよと説いたにもかかわらずユンガーの本質は、庭園図書館での瞑想を愛し、自然の研究に没頭する姿であった。 エルンスト・フォン・ザロモンによると、ユンガーの居間には昆虫類の標本臓物の入ったビン、顕微鏡が散乱していた。 彼は「まさしく根本においてはなんといっても、その鋼の甲冑の下に教養市民の心情が脈打っていた戦士」であった。 彼の中に見られるロマン性との鋭い対決姿勢も、所詮、彼自身の体質がロマン性を持っていたことを示すものに他ならない。

ユンガーの中には、体質と説かれる思想との間の矛盾からくる思想の自己催眠的マゾヒズムがあった。 このインテリを否定するインテリ、文化を否定する文化人ユンガーの中にユンガー自身の悲劇のみならずワイマール共和国の悲劇をみることができるのである。

著作[編集]

日記

  • Kriegstagebuch 1914–1918, Hrsg. Helmuth Kiesel, Stuttgart 2010, ISBN 978-3-608-93843-2.
  • In Stahlgewittern. Aus dem Tagebuch eines Stoßtruppführers, Leipzig 1920 im Selbstverlag; 46. Auflage, Klett-Cotta, Stuttgart 2008, ISBN 978-3-608-95208-7.
    佐藤雅雄訳『鋼鉄のあらし』先進社、1930年
  • Das Wäldchen 125. Eine Chronik aus den Grabenkämpfen. Mittler-Verlag, Berlin 1925.
  • Feuer und Blut, 1925.
  • Gärten und Straßen, 1942.
  • Myrdun. Briefe aus Norwegen, 1943.
  • Atlantische Fahrt, Kriegsgefangenenhilfe des Weltbundes der Christlichen Vereine Junger Männer in England, Zaunkönig Bücher 1947.
    • Neuauflage: Atlantische Fahrt. Rio, Residenz des Weltgeistes. Klett-Cotta, Stuttgart 2013, ISBN 978-3-608-93952-1.
  • Ein Inselfrühling, 1948.
  • Strahlungen, 1949.
  • Am Sarazenenturm, 1955.
  • Jahre der Okkupation, 1958.
  • Siebzig verweht I, 1980.
  • Siebzig verweht II, 1981.
  • Siebzig verweht III, 1993.
  • Siebzig verweht IV, 1995.
  • Siebzig verweht V, 1997.
  • 山本尤訳『パリ日記』月曜社、2011年

小説

物語

エッセイ

全集

  • Ernst Jünger: Sämtliche Werke. 22 Bände, Klett-Cotta, Stuttgart 2015, ISBN 978-3-608-96105-8.
  • Ernst Jünger: Sämtliche Werke. 18 Bände und 4 Supplementbände, Klett-Cotta, Stuttgart 1978 ff.
  • Ernst Jünger: Werke. 10 Bände, Stuttgart 1960–1965.

書簡集

  • Ernst Jünger, Rudolf Schlichter: Briefe 1935–1955. Hrsg., kommentiert und mit einem Nachwort von Dirk Heißerer. Klett-Cotta, Stuttgart 1997, ISBN 3-608-93682-3.
  • Ernst Jünger, Carl Schmitt: Briefe 1930–1983. Hrsg., kommentiert und mit einem Nachwort von Helmuth Kiesel. Klett-Cotta, Stuttgart 1999, ISBN 3-608-93452-9.
    ヘルムート・キーゼル編、山本尤訳『ユンガー=シュミット往復書簡――1930-1983』法政大学出版局、2005年
  • Ernst Jünger, Gerhard Nebel: Briefe 1938–1974. Hrsg., kommentiert und mit einem Nachwort von Ulrich Fröschle und Michael Neumann. Klett-Cotta, Stuttgart 2003, ISBN 3-608-93626-2.
  • Ernst Jünger, Friedrich Hielscher: Briefe 1927–1985. Hrsg., kommentiert und mit einem Nachwort von Ina Schmidt und Stefan Breuer. Klett-Cotta, Stuttgart 2005, ISBN 3-608-93617-3.
  • Gottfried Benn, Ernst Jünger: Briefwechsel 1949–1956. Hrsg., kommentiert und mit einem Nachwort von Holger Hof. Klett-Cotta, Stuttgart 2006, ISBN 3-608-93619-X.
  • Ernst Jünger, Stefan Andres: Briefe 1937–1970. Hrsg., kommentiert und mit einem Nachwort von Günther Nicolin. Klett-Cotta, Stuttgart, 2007, ISBN 978-3-608-93664-3.
  • Ernst Jünger, Martin Heidegger: Briefwechsel 1949–1975. Unter Mitarbeit von Simone Maier herausgegeben, kommentiert und mit einem Nachwort versehen von Günter Figal. Klett-Cotta, Stuttgart, 2008, ISBN 978-3-608-93641-4.
  • Alfred Baeumler und Ernst Jünger: Mit einem Anhang der überlieferten Korrespondenz und weiterem Material. [Hrsg.] Ulrich Fröschle und Thomas Kuzias. Thelem Universitätsverlag, Dresden 2008, ISBN 978-3-939888-01-7.
  • Ernst Jünger, Gershom Scholem: Briefwechsel 1975–1981. Mit einem Essay von Detlev Schöttker: „Vielleicht kommen wir ohne Wunder nicht aus.“ Zum Briefwechsel Jünger – Scholem. In: Sinn und Form, Heft 3/2009, S. 293–308.
  • Ernst Jünger: Briefe an Sophie Dorothee und Clemens Podewils. In: Sinn und Form, Heft 1/2006, S. 43–59.
  • Ernst Jünger – Albert Renger-Patzsch. Briefwechsel 1943–1966 und weitere Dokumente. Hrsg. von Matthias Schöning, Bernd Stiegler, Ann und Jürgen Wilde. Wilhelm Fink, Paderborn/München 2010, ISBN 978-3-7705-4872-9.
  • Ernst Jünger, Dolf Sternberger: Briefwechsel 1941–1942 und 1973–1980. Mit Kommentaren von Detlev Schöttker und Anja S. Hübner. In: Sinn und Form, 4/2011, S. 448–473[2]

その他

  • Ernst Jünger (Hrsg.): Die Unvergessenen. Justin Moser Verlag, München 1928. Aus dem Vorwort Jüngers: „Gern habe ich mich der Aufgabe gewidmet, die Schicksale einer Reihe von Männern zu sammeln, die der Krieg unserer Mitte entrissen hat…“ (Im Bestand Deutsches Literaturarchiv).
    川合全弘編訳『追悼の政治――忘れえぬ人々/総動員/平和』月曜社、2005年;[増補改訂版]『ユンガー政治評論選』月曜社、2016年
  • Ernst Jünger: Politische Publizistik 1919 bis 1933. Hrsg., kommentiert und mit einem Nachwort von Sven Olaf Berggötz. Klett-Cotta, Stuttgart 2001, ISBN 3-608-93550-9.
  • Ernst Jünger: Zur Geiselfrage. Schilderung der Fälle und ihrer Auswirkungen, mit einem Vorwort von Volker Schlöndorff. Herausgegeben von Sven Olaf Berggötz. Klett-Cotta, Stuttgart 2011 ISBN 978-3-608-93938-5.
  • Jünger und Frankreich – eine gefährliche Begegnung? Ein Pariser Gespräch. Mit 60 Briefen von Ernst Jünger an Julien Hervier, von Julien Hervier[3] und Alexander Pschera, aus dem Französischen von Dorothée Pschera. Matthes & Seitz, Berlin 2012, ISBN 978-3-88221-538-0.

参考文献[編集]

  • 八田恭昌『ヴァイマルの反逆者たち』世界思想社、1981年 ISBN 978-4790701972
  • クルト・ゾントハイマー『ワイマール共和国の政治思想――ドイツ・ナショナリズムの反民主主義思想』(河島幸夫、脇圭平訳)ミネルヴァ書房、1976年

脚注[編集]

  1. ^ Hanns Möller: Geschichte der Ritter des Ordens „pour le mérite“ im Weltkrieg. 2 Bände. Bernard & Graefe, Berlin 1935.
  2. ^ dazu: Detlef Schöttker: „Gefährlich leben!“ Zum Briefwechsel zwischen Ernst Jünger und Dolf Sternberger. In: Sinn und Form, 4/2011, S. 437–447.
  3. ^ Der französische Übersetzer Jüngers, geb. 1936, der dessen Rehabilitation zu seiner Lebensaufgabe gemacht hat.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]