エルザ・スキャパレッリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
エルザ・スキャパレッリ
Elsa Schiaparelli
誕生 1890年9月10日
イタリアの旗 イタリアローマ
死没 1973年11月13日(満83歳没)
フランスの旗 フランスパリ
職業 ファッション・デザイナー
国籍 イタリアの旗 イタリア
テンプレートを表示

エルザ・スキャパレッリ: Elsa Schiaparelli, 1890年9月10日 - 1973年11月13日)は、イタリアローマ生まれの女性ファッション・デザイナースキャパレリの創始者。

概要[編集]

1930年代、40年代最も精力的に創作活動を行なったクチュリエール。その個性的なデザインはイタリアやフランスだけではなくアメリカでも人気となり、一躍ファッションの中心人物となった。その大胆なデザインにはファンが多く、ブロード・ショルダー、骸骨模様を入れたアヴァンギャルドなセーター、刺激的なショッキング・ピンクなどの時代を卓越したアイディアでその評価を高めていった。

生涯[編集]

1890年、ローマ在住の裕福な家庭に生まれる。父は王立図書館長も務めた東洋語学者、母は貴族階級出身だった。しかし、父は家庭に関心が無く、母は思ったとおりの容貌に育たなかったエルザを厭い、寂しい幼少期を過ごした。ただ、研究熱心だった父のために家には書籍や世界中の珍しい物品があふれており、エルザの創造力はそれらによって鍛えられた。

1914年ロンドンに遊学したときに知りあったケルロル伯爵と結婚。夫の仕事の関係でニューヨークに移住。一女を儲けるものの、アメリカの自由な雰囲気に引かれたエルザは次第に夫と不和となり離婚に到る。その後、子供の養育費を稼ぐためファッション関係のバイヤーになり、パリに移住。そこで友人のために作った洋服がポール・ポワレの目に留まり、彼の支援を得てファッション・デザイナーに転じた。

1925年に店を開き、1927年に初めてのコレクションを発表。1930年には自身の名を冠したブティックをオープン。エルザは縫製の経験はなかったが、幼いころから鍛えてきたセンスを生かし、幾何学模様の生地を使う、セーターにだまし絵のテクニックを使った模様を付ける、等それまでの服飾業界では考えられなかったアイデアを連発、アメリカからも注文が入るなど次第に頭角を現していく。当時流行していた前衛芸術シュールレアリズムを服飾に取り入れたエルザの感性には、サルバドール・ダリジャン・コクトーなど当時の著名な芸術家との交友も影響していたとされる。

一方、この当時大流行したココ・シャネルに代表される男性風のデザインやモノトーンの色彩は好みでなかったらしく、ウエストを強調するデザインやショッキング・ピンクと言った派手な色合いを提案した。このため、シャネルは一方的にエルザをライバル視していた。

前例のない派手な衣装と色彩は第一次世界大戦後に急増したアメリカの富裕層に支持され、ハリウッド映画の服飾デザインも多く手がける。

しかし第二次世界大戦勃発後、戦場となったヨーロッパを去り、顧客の多かったアメリカに移住。戦争の終わった1945年に再びパリに戻りメゾンを再開したが、クリスチャン・ディオールなど若手デザイナーの台頭、そして大戦中アメリカに移住していたことが「敵前逃亡」と見なされたことなどを背景に売り上げは伸びず、1954年のコレクションを最後にメゾンを閉鎖、以後は隠遁生活を送った。

1973年、パリで死去。

業績[編集]

1920年代-1930年代にかけて、女性のファッションに新風を吹き込み、現代に続く流れを作った功績は大きい。しかし、ライバルのシャネルに比べて知名度は低く、その業績もファッション業界でも長く埋もれていた。が、近年見直しが進み、2013年には彼女の名前を冠したブランドが再スタートした。

彼女のメゾンで修行したピエール・カルダンユベール・ジバンシィは世界的に有名なファッションデザイナーとなった。

著書[編集]

  • 『ショッキング・ピンクを生んだ女』(原著1954年刊、邦訳2008年監修・長澤均、訳・赤塚きょう子)ISBN:4860202724 - 自伝

外部リンク[編集]