エミール・ドボワチン

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エミール・ドボワティヌフランス語:Émile Dewoitine1892年9月26日1979年7月5日)は、フランスの航空機メーカー、ドボワチンの創設者である。

クレピー=アン=ラノワ(fr)で生まれた。第一次世界大戦中にラテコエールで働くことによって航空の世界に入った。1920年に、自らの会社、Constructions Aéronautiques Émile Dewoitineを設立するが、本国では成功せず、ドボワチンD.27がスイス空軍に採用されたのを機会にスイスに会社を移した。

1931年にフランスにもどり、トゥールーズにSociété Aéronautique Française - Avions Dewoitineを設立し、フランス最初の全金属製戦闘機、ドボワチン D.500や旅客機、ドボワチン D.338などを生産した。

1936年、航空会社の統合、国営化によって、ドボワチンはSNCAM(Société nationale des constructions aéronautiques du Midi)に統合された。ドボワチン D.520第二次世界大戦中の最良のフランス戦闘機であったとされる。

フランス降伏後は、アメリカでの起業を企てたが、ヴィシー政府から反逆罪で起訴された。ドイツとヴィシー政府との交渉により1938年に設立されて、Ar 96を改良した練習機などの生産したSIPA(Société Industrielle Pour l’Aéronautique)で働いた。

ドイツへの協力したためフランス解放後、ドボワティヌはスペインに逃れ、Hispano Aviaciónとドボワチン D.520の改造型の開発を行った。さらにアルゼンチンのIndustria Aeronáutica Militarで、南米最初のジェット戦闘機、I.Ae. 27 プルキー Iの開発に参加した。1948年にフランスでは20年の強制労働の判決が宣告された[1]。時効になるまで、スイスですごした後、フランスに戻り、トゥールーズで没した。

脚注[編集]

  1. ^ American Jewish Year Book, 2006, p.266