エミール・チャカロフ

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エミール・チャカロフ
生誕 (1927-11-09) 1927年11月9日
出身地  ブルガリア ブルガス
死没 (1991-08-04) 1991年8月4日(43歳没)
学歴 ソフィア国立音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者
担当楽器 ヴァイオリン

エミール・チャカロフ (ブルガリア語: Емил Чакъров, Emil Tchakarov, 1948年6月29日 - 1991年8月4日[1]) はブルガリア指揮者[2][3]

経歴[編集]

1948年、ブルガス生まれ。6歳のころからヴァイオリンを学び、11歳の頃には、学校の催しで級友たちとアンサンブルを結成したのをきっかけに、指揮者に興味を持ち始めた。1967年には、ソフィア国立音楽院に入学し、コンスタンティン・イリエフヴラディ・シメオノフに師事。翌年、ソフィアの文化サークルで結成されたユース・オーケストラの指揮者として、チェコスロヴァキアや旧ソ連などに遠征している。

1970年からは、シメオノフの指揮法のための特別クラスに入り、音楽院のオーケストラでヴァイオリンを演奏する傍らで、ブルガリア放送のユース・オーケストラを指揮して実地の経験を積んだ。また、ザルツブルクモーツァルテウムの夏期講習に参加し、ヘルベルト・フォン・カラヤンの知己を得た。1972年には、カラヤンの助手として、カラヤンの下で研鑽を積み、1977年ベルリンで行われた第2回カラヤン指揮者コンクールで第3位に入賞して脚光を浴びた。1978年に、イギリスのコヴェント・ガーデンチャイコフスキーの《エフゲニ・オネーギン》を振ってデビューを飾り、また時を同じくして、メトロポリタン歌劇場に登場して指揮者としての名声を獲得した。

1986年にはソフィア祝祭管弦楽団を創設して、亡くなるまでその音楽監督を務めた[4]。1991年、パリにて死去。

脚注[編集]

  1. ^ [1]
  2. ^ [2]
  3. ^ [3]
  4. ^ collegiummusicum.org