エマヌエル・ツデロス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
エマヌエル・ツデロス(1940年以前)

エマヌエル・ツデロスギリシア語: Εμμανουήλ Τσουδερός1882年7月19日 - 1956年2月10日)は、ギリシャの政治家。第二次世界大戦中、短期間ながらギリシャの首相を務め(在任:1941年4月21日 - 1941年4月29日)、その後はギリシャ亡命政府英語版の首相を3年間務めた(在任:1941年4月29日 - 1944年4月13日)。

生涯[編集]

エマヌエル・ツデロスは1882年、当時オスマン帝国領だったクレタ島レティムノで生まれた。彼はアテネ大学で法律について勉強した後、パリロンドンで経済学を学んだ[1]

ツデロスは24歳のときにクレタ島に戻った。このときにはクレタ島はオスマン帝国の自治領、ロシア・イギリス・フランス・イタリアの保護領となっており、ツデロスはすぐクレタ島の議会選挙に出馬して当選、1906年から1912年まで議員を務めた。1913年12月、ギリシャのクレタ島がギリシャに承認されると、ギリシャ議会の選挙で立候補して当選した。その後もエレフテリオス・ヴェニゼロスの第4期政権で交通相(在任:1924年1月24日 - 1924年2月19日)、アレクサンドロス・パパナスタシオウの第1期政権とテミストクリス・ソフリスの第1期政権で財務相(在任:1924年3月12日 - 1924年10月7日)など閣僚を歴任した。1928年にギリシャ銀行が業務を開始すると初代副総裁に就任し、1931年に総裁に就任した[2]

第二次世界大戦中の1941年、首相アレクサンドロス・コリジスナチス・ドイツ軍がアテネ進撃している最中で拳銃自殺すると、ツデロスは後任の首相に就任した(在任:1941年4月21日 - 1941年4月29日)。しかし、ドイツ軍がすぐそこまで迫っていたため国王ゲオルギオス2世とクレタ島に脱出し、ドイツ軍に対抗するための軍勢を組織した。

しかし、1ヵ月後のクレタ島の戦いでまたもや亡命せざるをえず、中東、ついでエジプトへ逃げた。ツデロスは1944年まで亡命政府の首相を務め、退任した後はソフォクリス・ヴェニゼロスの閣僚になった。亡命政府ははじめロンドンに設立したが、後にカイロに移動した。

第二次世界大戦の後もアレクサンドロス・パパゴスのもとで閣僚を務めた。1956年2月10日、イタリアジェノヴァ県ネルヴィ英語版で74歳で亡くなった[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b “M.Tsouderos War-Time Premier Of Greece Obituary”. The Times (London): pp. 9; Issue 53452; col C. (1956年2月11日). オリジナルの2008年10月6日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/20081006085756/http://archive.timesonline.co.uk/tol/archive 2008年6月29日閲覧。 
  2. ^ Bank of Greece アーカイブ 2006年10月10日 - ウェイバックマシン
公職
先代:
アレクサンドロス・コリジス
ギリシャの首相
1941年4月21日 - 1941年4月29日
次代:
ゲオルギオス・ツォラコグルギリシャ国
先代:
なし
ギリシャの首相亡命政府英語版
1941年4月29日 - 1944年4月13日
次代:
ソフォクリス・ヴェニゼロス