エドワード・ヴァン・ヘイレン
| エドワード・ヴァン・ヘイレン Edward Van Halen | |
|---|---|
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エドワード・ヴァン・ヘイレン(1993年) | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Edward Lodewijk Van Halen |
| 生誕 |
1955年1月26日(63歳) |
| 出身地 |
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| ジャンル |
ハードロック ヘヴィメタル |
| 職業 |
ミュージシャン ギタリスト 作曲家 プロデューサー |
| 担当楽器 |
ギター キーボード シンセサイザー ピアノ ヴァイオリン エレクトリックベース ドラム |
| 活動期間 | 1972年〜現在 |
| レーベル | ワーナー・ブラザース・レコード |
| 共同作業者 | ヴァン・ヘイレン |
| 公式サイト | van-halen.com |
| 著名使用楽器 | |
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フランケンシュタイン ウルフギャング | |
エドワード・ヴァン・ヘイレン(Edward Van Halen、本名:Edward Lodewijk Van Halen、1955年1月26日 - )は、アメリカのギタリスト、作曲家、音楽家。「エディ・ヴァン・ヘイレン」とも呼ばれる。身長172.7cm。 ハードロックバンド、ヴァン・ヘイレンのギタリストで、同バンドのドラマーのアレックス・ヴァン・ヘイレンは実兄。姓はオランダ語では「ファン・ハーレン」と発音するが、この兄弟に関してはオランダ生まれながら英語読みの「ヴァン・ヘイレン」が一般化したようである。父と同じ道を歩んだヴォルフガング・ヴァン・ヘイレンは息子である。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第70位、2011年の改訂版では第8位。
来歴[編集]
1955年1月26日、オランダのナイメーヘンで生を受ける。父はオランダ人、母はインドネシア系。 1967年にオランダからアメリカ・カリフォルニア州のパサデナへと移住する。父親がクラリネット奏者であった事もあり、幼少の頃よりピアノやヴァイオリン楽器を演奏していたヴァン・ヘイレン兄弟だが、アメリカ移住後に、テレビで観た映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』に影響され、弟のエディがドラムを、兄のアレックスがギターをはじめる。しかしほどなくして、兄のアレックスの方がドラム演奏技術が上達するという事になり、互いに楽器を交換する。本人曰く、「しょうがないから、俺はギターでもやろうって思ったんだ。気が進まなかったけど、仕方なくね」との事。その後バンドを結成し、活動を開始する。その後、ヴァン・ヘイレンとして大成功を収める(詳細はそちらの項目を参照のこと)。
1981年に女優のヴァレリー・バーティネリと結婚。
2000年に、喉頭癌が発覚し、バンド活動を中断する。その後、病気は完治したとされるが、2006年春、メンバー間での不仲により、バンドは解散状態に陥った。
2007年3月8日、エディーが、自身の体調が完璧ではない事を理由にリハビリ施設に入所する事となったと、オフィシャル・サイトで発表した。2007年9月27日よりヴァン・ヘイレンのツアーを開始。
2007年12月6日、ヴァレリー・バーティネリと離婚。原因は双方の浮気で数年前から別居していたという。
音楽性[編集]
音楽性のルーツ[編集]
最も大きな影響を受けたロックギタリストは、クリーム在籍時のエリック・クラプトン、リッチー・ブラックモア、アラン・ホールズワースを挙げている。しかし、現在のクラプトンに関しては「うーん、彼も弾こうと思えばクリーム時のプレイを弾けるんだろうとは思うんだけど...」[1]と、言葉を濁している。また、最近[いつ?]ではチェロ(クラシック)のヨーヨー・マを聴いている、とインタビューでは述べている[2]。
ライトハンド奏法[編集]
デビュー前から、右手の指でのハンマリングやプリングにより音を出す「ライトハンド奏法」(現在では「タッピング」という呼び方が一般的)を駆使した独特のギターサウンドを広め、後世のギタリストに多大な影響を与えた。
鍵盤奏者として[編集]
ギターの他には、ヴァイオリンだけでなく、ピアノも演奏することが出来、作曲はピアノでしている、とインタビューで述べている[要出典]。ヴァン・ヘイレンの曲のPVの中で、自身が実際に、キーボードを演奏している様子が映し出されているものもある(「ジャンプ」「ノット・イナフ」「ホウェン・イッツ・ラヴ」など)。また、サミー・ヘイガー在籍時のライブにおいては、曲によってギターパートをサミーに任せ、エディ自身はキーボードに専念する場合もあった(「ホワイ・キャント・ディス・ビー・ラヴ」など)。
使用機材[編集]
デビュー当時、ウェイン・シャーベルが経営するギターショップでブギーボディ製のフェンダーライセンスのストラトキャスターの未塗装のボディとネックを購入し、ギブソン社のES-335のPAFやセイモア・ダンカンのピックアップとフロイド・ローズのトレモロ・ユニットを装着し自らで塗装や組み立てを行ったギター、"フランケンシュタイン"を使用していた。(現在に至る同仕様のギターの普及の契機としてこのギターの存在を挙げる声も有る)その後も塗装を改められる等の幾多の改造が行われたが、1980年代にはクレイマーと契約を交わし、自身が作ったギターを基にしたシグネチャーモデルを使用した。
80年代後期にはスタインバーガーのヘッドレスギターも使用していた(一時はシグネチャーモデルを発売する計画もあったが、同社のGibsonへの売却等の諸事情があり、実現しなかった)。エディはスタインバーガーのトランストレムを高く評価しており、後のピーヴィーのギター等にも取り付けている。"Get Up"のイントロ等でトランストレムの「和音の平行移動」を活用したフレーズを聴く事ができる。
1990年代にはアーニーボール・ミュージックマンと契約し、自ら開発に携わったギターを10年ほど愛用した。このギターは松本孝弘や高見沢俊彦など彼以外の多くのギタリストにも愛用された。契約終了後は"AXIS(アクシス)"と名前に変更された。ちなみにこのギターから「Dチューナー」が搭載されるようになった。ギターのボディ部の6弦の接続金具の部分に突起物が付いており、これを手前に突き出すことで6弦の音程を瞬時に標準のEから1音下のDに下げることが出来るというものである。この機能は以後の「フランケンシュタイン」モデルにも継承されている。継承されてからの正式名称は「EVH-d-tuna」である。その後はWolfgang(ウルフギャング)という自分の息子の名前を冠した新たなギターをピーヴィーと製作した。また、ピーヴィーとはシグネチャー・アンプ(5150)でも契約を交わしており、その2つの組み合わせがしばらく彼の標準的な使用機材となった。
ピーヴィーとの契約が切れた後はフェンダー傘下のシャーベルと契約を結んだが、フェンダーがエディと共に設立したブランドである"EVHギターズ"のギター及びアンプを使用している。アンプはEVHギターズとピーヴィーの協定により、同じ回路と部品を使用し、ピーヴィー側が「6505」と名前を変更することで現在も販売されている。EVHギターズからは"フランケンシュタイン"を傷や汚れは言うに及ばず、ボディにネジ止めされたコイン等に至るまで精密に再現したギターを300本限定で製造しているほか、ピックアップなどのパーツ単体の販売も行っている。
"EVHギターズ"では"フランケンシュタイン"と合わせて、デビュー時のギターに施された白地に黒の交差線模様を"フランク"と称し、続くアルバム『伝説の爆撃機』以降で使われた黒地に黄色の模様を"フランキー"として、エディ自らが塗装したギターの販売も行っていた。これら"フランク"、"フランキー"、"フランケンシュタイン"の模様について、アメリカでは商標登録が行われている。
エディの初期作品にはフェイザーというエフェクターが多用された。エディはMXRのPhase90という製品を愛用していたが、後にMXRから本人監修のシグネイチャーモデルが多数販売されている。上記のギターの模様を採用した外観が特徴的であり、本人が改造、使用した当時の機材を再現したモデルなどがラインナップされている。
エピソード[編集]
- マイケル・ジャクソンの「Beat It」におけるギター・ソロは、アドリブである。ちなみに、ソロ以外のギターのバッキングとリフ(及びベース)は、スティーヴ・ルカサーによる演奏。また、ヴァン・ヘイレンのメンバーで見に行っていたザ・ジャクソンズのビクトリーツアーのダラス公演にてエディは、「Beat It」に飛び入りで客演したことがあり、その映像が残っている。
関連項目[編集]
注[編集]
- ^ 「Player」誌 1991年
- ^ YOUNG GUITAR誌 1998年3月号など
外部リンク[編集]
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