エドワード・ハワード (第9代ノーフォーク公)

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エドワード・ハワード
Edward Howard
第9代ノーフォーク公
在位 1732年12月23日 - 1777年9月20日

出生 (1686-06-05) 1686年6月5日
死去 (1777-09-20) 1777年9月20日(91歳没)
配偶者 メアリー・ブラント
家名 ハワード家
父親 トマス・ハワード
母親 エリザベス・サヴィル
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第9代ノーフォーク公エドワード・ハワード英語: Edward Howard, 9th Duke of Norfolk1686年6月5日 - 1777年9月20日)は、イギリスの貴族。

経歴[編集]

1686年6月5日に第6代ノーフォーク公爵ヘンリー・ハワードの次男トマス・ハワード卿とその妻エリザベス(旧姓サヴィル)の次男として生まれる。兄に第8代ノーフォーク公爵位を継承するトマスがいる[1][2]

1715年ジャコバイト蜂起の際に関与を疑われて大逆罪で裁判にかけられたが、兄の8代ノーフォーク公のおかげで釈放されたという。しかし1722年に再度ジャコバイトとの関与を疑われて彼も兄も逮捕されて6か月投獄された[1][3]

1732年の兄の死により爵位を継承した[1]

1777年9月20日に子供のないまま死去した。これにより保有爵位のうち祖父の代に創設されたノーリッジ伯英語版ライジング城のハワード男爵英語版は廃絶し、また議会召集令状(男子なき場合に姉妹間に優劣のない女系継承が行われる)による爵位であるファーニヴァル男爵英語版タルボット男爵英語版ブラックミアのストレンジ男爵モウブレー男爵セグレイヴ男爵は彼の弟フィリップの娘たちの間で優劣を決められず、停止(abeyance)となった。それ以外の爵位は祖父の弟の孫にあたるチャールズ・ハワードに継承された[2][1]

爵位[編集]

1732年12月23日の兄トマスの死により以下の爵位を継承した[1][2]

家族[編集]

1727年にエドワード・ブロウントの娘メアリー・ブロウントと結婚したが、子供はなかった[1][2]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f Lundy, Darryl. “Edward Howard, 9th Duke of Norfolk” (英語). thepeerage.com. 2016年6月28日閲覧。
  2. ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Norfolk, Duke of (E, 1483)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年6月28日閲覧。
  3. ^ 海保眞夫 1999, p. 212.

参考文献[編集]

  • 海保眞夫『イギリスの大貴族』平凡社平凡社新書020〉、1999年。ISBN 978-4582850208 
公職
先代
第8代ノーフォーク公
軍務伯
1732年–1777年
次代
第10代ノーフォーク公
イングランドの爵位
先代
トマス・ハワード
9代ノーフォーク公
27代アランデル伯
10代サリー伯
7代ノーフォーク伯
17代マルトレイヴァース男爵
7代フィッツアラン=クラン=オズワルデスタ男爵

1732年-1777年
次代
チャールズ・ハワード
4代ノーリッジ伯英語版
4代ライジング城のハワード男爵英語版

1732年-1777年
廃絶
18代ファーニヴァル男爵英語版
1732年-1777年
停止
次の爵位保持者
メアリー・ディント英語版
19代タルボット男爵英語版
22代ブラックミアのストレンジ男爵

1732年-1777年
停止
20代モウブレー男爵
21代セグレイヴ男爵

1732年-1777年
停止
次の爵位保持者
アルフレッド・ストートン英語版