エドゥアルト (アンハルト公)
エドゥアルト(Eduard, 1861年4月18日 - 1918年9月13日)は、アンハルト公国の公(在位:1918年)。全名はエドゥアルト・ゲオルク・ヴィルヘルム・マクシミリアン(Eduard Georg Wilhelm Maximilian)。フリードリヒ1世の三男で、フリードリヒ2世の弟。
1861年4月18日、フリードリヒ1世とその妃であったザクセン=アルテンブルク公子エドゥアルトの娘アントイネッテ(1838年 - 1908年)の間に第四子としてデッサウで生まれた。フリードリヒ2世には子供がいなかったため、1918年4月21日に兄の崩御により公位に即いた。しかしエドゥアルトも同年9月13日にベルヒテスガーデンで崩御。17歳の次男ヨアヒム・エルンストが公位を嗣ぎ、弟のアリベルトが摂政となった。
子女[編集]
エドゥアルトは1895年2月6日にアルテンブルクでザクセン=アルテンブルク公子モーリッツの娘ルイーゼ(1873年 - 1953年)と結婚し、以下の四男二女をもうけた。しかし1918年に彼女とは離婚している。
- フリーデリケ・マルガレーテ・アントイネッテ・マリー・アウグステ・アグネス・テレーゼ・エリーザベト(1896年 - 1896年)
- レオポルト・フリードリヒ・モーリッツ・エルンスト・コンスタンティン・アリベルト・エドゥアルト(1897年 - 1898年)
- マリー・アウグステ・アントネッテ・フリーデリケ・アレクサンドラ・ヒルダ・ルイーゼ(1898年 - 1983年、プロイセン王子ヨアヒム妃、のちヨハネス=ミヒャエル・フォン・ロエン男爵(Johannes-Michael Frhr von Loën)夫人)
- ヨアヒム・エルンスト・ヴィルヘルム・カール・アルブレヒト・レオポルト・フリードリヒ・モーリッツ・エルトマン(1901年 - 1947年、アンハルト公)
- オイゲン・フリードリヒ・エルンスト・アウグスト・ハインリヒ・アドルフ・アリベルト(1903年 - 1980年)
- ヴォルフガング・アルブレヒト・モーリッツ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト(1912年 - 1936年)
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