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エゼルバルド (ウェセックス王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エゼルバルド
Æthelbald
ウェセックス王
在位 858年860年

出生 834年
ウェセックス王国
死去 860年12月20日
ウェセックス王国
配偶者 ジュディス・オブ・フランス
王朝 ウェセックス家
父親 エゼルウルフ
母親 オズブルガ
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エゼルバルド(Æthelbald、834年頃 - 860年12月20日)はウェセックス王(在位:858年 - 860年)。ウェセックス王エゼルウルフとその王妃オズブルガの次男。

弟にエゼルベルトとエゼルレッドアルフレッドがいる。

生涯

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兄のアゼルスタンの早世によって、王位継承者となった。851年にエゼルバルドは父王とともに軍を率いてアクレアの戦いヴァイキングを破った。855年に父が末弟のアルフレッドとともにローマへ巡礼に赴くことになると、エゼルバルドはウェセックスの統治を任され、もう一人の弟のエゼルベルトはケント王に任命された[1]。翌年に父王が帰国した後もウェセックスの西部の統治を続け、858年に父が死去すると、父が支配していた東部の領土の一部も手に入れたが、その大部分は弟のケント王エゼルベルトが継承した。同年に自身の求心力を高めるためにすでに王妃として威信を高めていた継母のジュディス(西フランク王シャルル2世の娘で、父のエゼルウルフが最初の妻オズブルガの死後に迎えた妻)と結婚したが[2]860年12月20日に急死した。ジュディスとの間に子供は生まれず、王位はすでに王国の東部を支配していた弟のエゼルベルトが継ぎ、ウェセックス王国とケント王国を再統合した[3]。ジュディスは夫の死後、西フランク王国へ帰国した後、初代フランドル伯ボードゥアン1世と3度目の結婚をした。

脚注

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  1. Miller 2004; Abels 1998, pp. 70–71.
  2. Firth 2024, pp. 186–187; Nelson 2004.
  3. Williams 1999, p. 72.

参考文献

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  • Miller, Sean (2004). “Æthelbald (d. 860), king of the West Saxons”. Oxford Dictionary of National Biography. Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/8901. 2018年7月24日閲覧. (要購読、またはイギリス公立図書館ウィキペディア図書館への会員加入)
  • Abels, Richard (1998). Alfred the Great: War, Kingship and Culture in Anglo-Saxon England. Harlow, UK: Longman. ISBN 978-0-582-04047-2 
  • Firth, Matthew (2024). Early English Queens, 850-1000: Potestas Reginae. London: Routledge. doi:10.4324/9781003165453. ISBN 978-0-3677-6093-9 
  • Nelson, Janet L. (2004). “Æthelwulf (d. 858), king of the West Saxons”. Oxford Dictionary of National Biography. Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/8921. 2018年7月24日閲覧. (要購読、またはイギリス公立図書館ウィキペディア図書館への会員加入)
  • Williams, Ann (1999). Kingship and Government in Pre-Conquest England, c. 500–1066. Basingstoke, UK: Macmillan Press. ISBN 978-0-333-56798-2 
先代
エゼルウルフ
ウェセックス王
858年‐860年
次代
エゼルベルト