エスクデロ競飛王

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名前
本名 エスクデロ競飛王
エスクデロ・アリエル・セルヒオ
ラテン文字 Escudero Sergio
Sergio Ariel Escuder
基本情報
国籍 日本の旗 日本
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1988-09-01) 1988年9月1日(28歳)
出身地 スペインの旗 スペイン アンダルシア州の旗 アンダルシア州
Bandera de la provincia de Granada (España).svg グラナダ県グラナダ[1]
身長 171cm
体重 73kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 京都サンガF.C.
ポジション FW / MF (OH, SH)
背番号 10
利き足 右足[1]
ユース
1996-2000 アルゼンチンの旗 ベレス・サルスフィエルド
2001-2002 日本の旗 柏レイソル青梅ジュニアユース
日本の旗 浦和レッズジュニアユース
2004-2005 日本の旗 浦和レッズユース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2012 日本の旗 浦和レッズ 81 (7)
2012 韓国の旗 FCソウル (loan) 20 (4)
2013-2015 韓国の旗 FCソウル 86 (14)
2015 中華人民共和国の旗 江蘇舜天 / 江蘇蘇寧 29 (6)
2016- 日本の旗 京都サンガF.C. 38 (5)
代表歴2
2008  日本 U-23 5 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月24日現在。
2. 2014年9月21日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エスクデロ競飛王(エスクデロ せるひお、1988年9月1日 - )は、スペインアンダルシア州グラナダ出身のサッカー選手。ポジションはフォワードミッドフィールダー。日本国籍、スペイン国籍およびアルゼンチン国籍を保有する。

スペインおよびアルゼンチンでの氏名はセルヒオ・アリエル・エスクデロスペイン語: Sergio Ariel Escuder)。日本国籍取得後は姓を先に置いた「エスクデロ・セルヒオ」の登録名でプレーしていたが、2014年より漢字を用いた現表記を使用している。

来歴[編集]

父親のセルヒオ・エスクデロ浦和レッドダイヤモンズでプレーし、引退後にも浦和下部組織の育成に携わったことから、3歳から8歳までを日本で過ごす。その後アルゼンチンへと帰国したが、2000年に再度来日。以後柏レイソル青梅を経て、ジュニアユース、ユースと浦和の下部組織に所属。

2005年4月29日、16歳7ヶ月で浦和のトップチームに登録[2]。同年5月21日のナビスコカップ第3節、対アルビレックス新潟戦において16歳8ヶ月21日でJリーグ公式戦デビュー。9月8日、浦和とプロ契約を締結した[3]埼玉県埼玉栄高校(父が同校サッカー部を指導)に在学していたが、浦和入団と同時に退学。

2006年3月29日のナビスコ杯・FC東京戦でJリーグ初ゴール[4]。2007年6月11日日本国籍を取得[1]2008年5月15日フランスで行われたトゥーロン国際大会に向けたU-23日本代表に初選出された。

2009年フォルカー・フィンケが監督に就任すると、途中出場やスタメンとして出場を重ねるようになり、5月5日柏レイソル戦でJ1リーグ戦初ゴールを挙げた。 その後は度々負傷で離脱することもあったが、最終的には浦和加入後最多となる公式戦30試合に出場した。

2010年3月6日の開幕戦(鹿島アントラーズ戦)でスタメン出場を果たしたが、その後は度重なる負傷に悩まされ復帰しては再発をして離脱するを繰り返し、前年より出場試合数は減ってしまった。ただし、8月21日湘南ベルマーレ戦、9月25日アルビレックス新潟戦では追加点、11月27日川崎フロンターレ戦では試合終盤に同点ゴールを決めた。

2011年は終盤戦まで出場機会に恵まれなかったが、監督が堀孝史に交代後は1トップのFWとして定着し、高い身体能力を生かしたプレーで前線の起点になっていたが、11月26日アビスパ福岡戦の前半に相手GKと接触した際に負傷し途中交代、左半膜様筋損傷と診断され[5]、以降全ての公式戦を欠場した。

2012年は途中交代でリーグ戦1試合に出場するに留まった。同年7月17日、KリーグFCソウル期限付き移籍が発表された。移籍後はスタメンを勝ち取り、主力として2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。同チームに所属する日本国籍の選手は、前園真聖(当時のチーム名は安養LGチーターズ)以来2人目となる。シーズン終了後の同年12月にFCソウルに完全移籍した。

2013年は背番号を9に変更し、2012年に引き続き主力としてプレー。一時は調子を落としたが監督の崔龍洙からのアドバイスから建て直し、チームの初AFCアジアチャンピオンズリーグ決勝進出に貢献した。決勝では、自身初出場し(浦和レッズ在籍時にチームは決勝に出場したが、ベンチ外だった)1stレグで先制点をあげ、その後逆転を許したがデヤン・ダミヤノヴィッチのゴールをアシストし同点に追いついた。2ndレグでも再びダミヤノヴィッチのゴールをアシストし同点に追いついたが、アウェーゴールの差で優勝は逃した。

2015年2月に中国サッカー・スーパーリーグ江蘇へ移籍[6]。同年は主力として活躍したが、翌年オフに江蘇が行なった大補強の影響を受けて外国人枠から外され、2016年の2月13日に契約解除した。

2016年に完全移籍により京都サンガF.C.へ加入した[1]

人物[編集]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2005 浦和 34 J1 5 0 2 0 0 0 7 0
2006 1 0 3 1 0 0 4 1
2007 15 1 0 0 0 0 0 1 0
2008 13 0 1 0 2 1 16 1
2009 23 3 7 1 0 0 30 4
2010 17 3 3 0 2 1 22 4
2011 20 1 6 1 0 0 26 2
2012 1 0 0 0 - 1 0
韓国 リーグ戦 リーグ杯 FA杯 期間通算
2012 ソウル 26 Kリーグ 20 4 - - 20 4
2013 9 34 4 - 3 0 37 4
2014 32 6 - 5 1 37 7
中国 リーグ戦 リーグ杯 FA杯 期間通算
2015 江蘇 11 超級 29 6 - 5 0 34 6
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2016 京都 10 J2 38 5 - 2 1 40 6
通算 日本 J1 81 7 22 3 4 2 107 12
日本 J2 38 5 - 2 1 40 6
韓国 Kリーグ 86 14 - 8 1 94 15
中国 超級 29 6 - 5 0 34 6
総通算 234 32 22 3 19 4 275 39

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2008 浦和 15 1 0
2013 ソウル 9 12 2
2014 11 2
通算 AFC 24 4

その他の国際公式戦

代表歴[編集]

出場大会[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

日本の旗 浦和レッドダイヤモンズ
韓国の旗 FCソウル

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]