エジプト・イスラエル平和条約

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エジプト・アラブ共和国及びイスラエル国との間の平和条約
معاهدة السلام المصرية الإسرائيلية
הסכם שלום ישראל-מצרים
Flickr - Government Press Office (GPO) - The Triple Handshake.jpg
条約署名後に手を重ねる首脳ら。
左から、サダトカーターペギン
通称・略称 エジプト・イスラエル平和条約
署名 1979年3月26日
効力発生 1979年3月26日
主な内容 相互の国家承認、
中東戦争の休戦、
シナイ半島からのイスラエル軍・入植者の撤退
条文リンク 日本国外務省による仮訳
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エジプト・アラブ共和国及びイスラエル国との間の平和条約(エジプト・アラブきょうわこくおよびイスラエルこくとのあいだのへいわじょうやく、アラビア語: معاهدة السلام المصرية الإسرائيلية‎、ヘブライ語: הסכם שלום ישראל-מצרים‎)は、1979年エジプトイスラエルが締結した平和条約である。通称はエジプト・イスラエル平和条約

概要[編集]

キャンプ・デービッド合意に基づき、1979年3月26日アメリカ合衆国ワシントンD.C.で署名された。エジプト・イスラエル両国の他、イスラエルの支援国であるアメリカが条約に署名した。

この条約の主旨は、相互の国家承認、1948年以来続く中東戦争の休戦、そして1967年六日間戦争で占領したシナイ半島からのイスラエル軍及び入植者の段階的撤退(1982年完了)、返還後のシナイ半島におけるエジプト軍の兵力規模および活動地域の制限と国連平和維持軍の駐留(後述)であった。また、スエズ運河におけるイスラエル船舶の自由航行と、チラン海峡アカバ湾を国際水路として認めることが規定された。

重要性[編集]

シナイ半島における兵力制限
  A地区:エジプトは22,000人までの機械化歩兵を駐留させることができる
  B地区:エジプトは文民警察を支援するために4個国境警備大隊を駐留させることができる
  C地区:エジプト文民警察とMFOの活動しか認められない
  D地区:イスラエルは4個歩兵大隊を駐留させることができる
  • 同日結ばれた別個のイスラエル・アメリカ合意覚書において、アメリカは条約違反の場合におけるそのイスラエルへの関与、国連の役割、今後のイスラエルへの軍事・経済援助の提供について詳しく説明している。その後エジプトもまた、米国より軍事・経済援助を受け取った。
  • 条約は、パレスチナ解放機構(PLO)との和平に連鎖させることを企図していたが、それは実現しなかった。イスラエルとPLOとの関係構築は1993年オスロ合意まで待たねばならなかった。
  • シナイ半島のうち、ヤミット英語版入植地などの撤収の際は、イスラエル軍が投入されてユダヤ人入植者を強制的に本土に連行した。タバはイスラエルが自国領として引き続き支配したが、国際司法裁判所の判決により1989年にエジプトに引き渡された。
  • サーダートはイスラエルとの和平条約調印後、同条約ならびにイスラエルとの国交樹立に強く反対する「ジハード団」によって暗殺された。
  • エジプト世論では、反米・反イスラエル的な態度が強いが、エジプト政府としては同条約を維持することによる対米・対西側関係の維持を重視しており、サーダート暗殺後に成立したムバーラク政権およびシシ政権下でも、イスラエルとの国交それ自体は維持されている。

外部リンク[編集]