エジダ・ジョルダーニ・サルトリ

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エジダ・ジョルダーニ・サルトリ(Egida Giordani Sartori, 1910年9月14日 - 1999年7月30日)は、イタリアチェンバロ奏者[1][2][3][4]

フェルトレの出身。母親の手ほどきで3歳からピアノをはじめ、4歳でヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の御前で演奏を行った。5歳の時にはヴェネチアのベネデット・マルチェロ音楽院の入学を許可され、ピアノを専攻。そこでニーノ・サンツォーニョと知り合い、デュオを結成して好評を博した。第二次世界大戦がはじまると演奏活動が制限されたが、その間にチェンバロを知り、サンタ・チェチーリア音楽院フェルッチョ・ヴィニャネッリイタリア語版にチェンバロ奏法を学んだ[2]。その後、プラハでリサイタルを開いてチェンバロ奏者に転向した。また、トリオ・アンティコ、ムジコルム・アルカディア、ヴェネツィア器楽合奏団などのアンサンブルを結成し、チェンバロと他楽器の合奏に熱心に取り組んだ。

音楽学者として、バルダッサーレ・ガルッピの作品の発掘および紹介を積極的に行い、18世紀イタリアの音楽研究に一石を投じた。教育者としては1955年から1963年まで聖チェチーリア音楽院、1958年から1970年までミラノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院、1970年から1973年までベネデット・マルチェロ音楽院でそれぞれハープシコードの講座を担当し、1974年から1980年に退任するまでジュゼッペ・ヴェルディ音楽院に戻って教鞭を執った。1978年からは古楽のための講座を開講し、1996年に体調不良で引退するまで講座に関わり続けた。

ローマにて没。

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  1. ^ [1]
  2. ^ a b [2]
  3. ^ [3]
  4. ^ [4]