エウモルポス
エウモルポス(古希: Εὔμολπος, Eumolpos)は、ギリシア神話の人物である。その名前は「美しく歌う者」の意[1]。トラーキア地方あるいはアッティカ地方の都市エレウシスの神話的な王である。
ポセイドーンとキオネーの子[2][3][4]。音楽家ピラムモーン[5]、あるいは伝説的な詩人ムーサイオスの子とも言われる[6][7]。イスマロス[2]、イムマラドス[8][9][10]、ケーリュクスの父[10][11]。エレウシースの大神官(ヒエロパンテース)を輩出した一族エウモルピダイの祖とされ[12][13][14]、アテーナイと戦争をしたと伝えられている[2][8][10][15][16][17][18]。
『ホメーロス風讃歌』の第2歌「デーメーテール讃歌」では、エレウシースを守護する主要な王の1人であり[19]、ディオクレース、トリプトレモス、ポリュクセイノス、ケレオスとともに、女神デーメーテールからエレウシースの秘儀を学んだ最初の人物の1人に過ぎなかったが[20]、時代とともに重要性を増し、エレウシースの秘儀の創始者と見なされるようになった[12]。
神話
[編集]誕生
[編集]母キオネーはアテーナイ王家の血を引く女性と説明されている。アテーナイ王エレクテウスにオーレイテュイアという娘がおり、北風の神ボレアースに攫われて[21][22]、カライスとゼーテース、クレオパトラー、キオネーが生まれた[22]。キオネーはポセイドーンに愛されて、密かに1子エウモルポスを生んだが、露見するのを恐れて海に投げ捨てた。これをポセイドーンが拾い上げて、娘であるベンテシキューメーに渡して養育させた。エウモルポスが成長すると、ベンテシキューメーの夫(欠名)は自分の娘を与えたが、エウモルポスは妻の姉妹を犯そうとしたために、息子イスマロスとともに追放された[2]。
エレウシースの秘儀
[編集]追放されたエウモルポスはトラーキア王テギュリオスのもとに身を寄せた。テギュリオスはエウモルポスを迎え入れ、自分の娘を彼の息子イスマロスと結婚させた。しかしエウモルポスはテギュリオスに対して陰謀を企てていたことが発覚して、エレウシースに亡命した。エレウシースではエウモルポスは人々と親しい関係を築いた[2]。この地でエウモルポスは他の王たちとともにデーメーテールから秘儀を授けられた。これは王の1人であるケレオスとその家族がデーメーテールに対して親切に遇したことによるものである[23]。その後、トラーキアに残してきたイスマロスが若くして死んだため、後継者を失ったテギュリオスはエウモルポスと和解し、エウモルポスはトラーキアに戻って彼の王国を継承した[2]。
アテーナイとの戦争
[編集]後にエレウシースとアテーナイとの間に戦争が起きたとき、エウモルポスはトラーキアの大軍を率いてエレウシースを救援し、アテーナイ人と戦った。しかしアテーナイ王エレクテウスは戦争に勝利するための方法を神託に問い、王の娘を犠牲にしたなら必ず勝利するという答えが返ってきたときに、エレクテウスは末娘を殺した[2]。そのことを知る由もないエウモルポスは、その後の戦闘でエレクテウスと戦って殺され、エレウシースは敗北した。一方、エウモルポスの父ポセイドーンはエレクテウスに報復し、エレクテウスおよびその館を破壊した[17]。パウサニアースによると、アテーナイの伝承ではエレクテウスに討たれたのはエウモルポスではなく、その息子イムマラドスであった[9]。
一部の伝承によると、戦争はエウモスポルの側から始めたものであった。例えばアテーナイのリュクールゴス『レオークラテース告発弁論』によると、エウモルポスはアテーナイの領有権を主張して戦争を仕掛けてきたと語られている。トラーキアの大軍勢を率いたエウモルポスに対して、エレクテウスはデルポイの神託に頼らざるを得ず、神託は交戦前に娘の1人を生贄にするよう告げたという[16]。ヒュギーヌスは、エウモルポスはアテーナイがかつて父ポセイドーンの土地であったと主張し、戦争で奪還しようとしたと述べているが、その後の展開は独特である。エウモルポスが殺されると、ポセイドーンは報復としてエレクテウスの娘を生贄として要求し、さらにエレクテウスを雷で撃つようゼウスに懇請した[18]。
戦争後、エレウシースはアテーナイに従属することとなったが、デーメーテールとペルセポネーの秘儀はエレウシース側が保持し、エウポルモスとケレオスの娘たちディオゲネイア、パンメロペー、サイサラーが秘儀を執り行なった[10]。エウモルポスの墓については、エレウシースとアテーナイのどちらにもあったとパウサニアースは報告している[3]。
子孫
[編集]アレクサンドリアのクレメンスの『ギリシア人への勧告』によると、エレウシースの秘儀はエウモルピダイ家とケーリュケス家の2つの家系によって継承された[24]。エウモルピダイ家とケーリュケス家はそれぞれ、秘儀の開示を執り行う最高位神官(ヒエロパンテース)と、秘儀で松明を持つ第2位の神官(ダイドゥーコス)の役目を担った[25]。このうちケーリュケス家について、パウサニアースはエウモルポスの子孫であり、彼の死後、エレウシースの秘儀は息子ケーリュクスとその子孫によって引き継がれたと述べている。しかしエウモルポスの子孫に関する伝承は錯綜しており、ケーリュケス家の伝承ではケーリュクスはヘルメース神とアグラウロス(アテーナイ王ケクロプスの娘)の子であり、エウモルポスの子とはされていなかった[10]。
エレウシースの出身とも言われるムーサイオスについて、10世紀頃の辞典『スーダ』はエウモルポスの父で、息子のために4000行の詩『ヒュポテーカイ』を書いたと述べているが[7]、エウモルポスの子あるいは子孫とされることも多かった。ソポクレースの悲劇『コローノスのオイディプース』の古註によると、エウモルポスから5代目にあたる同名の子孫のエウモルポスこそがエレウシースの秘儀の創設者であるという。すなわち、エウモルポスの息子として生まれたのがケーリュクスで、その子孫はエウモルポス、アンティペーモス、ムーサイオスと続き、その息子エウモルポスによって創設されたという[11]。アテーナイと戦争したエウモルポスの子孫から、秘儀を創設したエウモルポスが現れたとする伝承は、三大悲劇詩人の1人エウリーピデースの時代には成立していた。この点は、エウリーピデースの散逸した悲劇『エレクテウス』の断片にある、「エウモルポスは、亡きエウモルポスから生まれて」という一文によって明らかである[26]。別の古註では、ムーサイオスはエウモルポスと月の女神セレーネーの息子とされており[27]、3世紀頃の『ギリシア哲学者列伝』の著者ディオゲネス・ラエルティオスもエウモルポスの息子としている[28]。
アルカディア地方のペネオスにある、デーメーテール・エレウシニアー(エレウシースに坐すデーメーテール)の神殿は、エウモルポスの3代目の子孫であるナオスによって創設されたという[29]。
その他の伝承
[編集]エウモルポス自身もムーサイオスと同様に音楽と詩作の才能があった人物として語られている。テオクリトスによると、エウモルポスはアルゴスの音楽家ピラムモーンの子で、ヘーラクレースの歌の教師をした[5]。ヒュギーヌスによると、ペリアースの葬礼競技で笛の音に合わせた歌で勝利した[30]。シケリアのディオドロスは、オルペウスの詩句と並んでエウモルポスが書いたというディオニューソス讃歌の一節を引用している[31]。ピロデーモスによると、エウモルポスは女神アテーナーが誕生した際にゼウスの頭を2つに割ったのはパラマオーン(ヘーパイストスの別名とされる)であると歌った[32]。
備考
[編集]古代トラーキアの都市フィリッポポリス(現在のブルガリア中部のプロヴディフ)は、紀元前4世紀にマケドニア王フィリッポス2世が占領する以前はエウモルピア(Eumolpia[33])あるいはエウモルピアダ(Eumolpeida)と呼ばれていた。この名前はトラーキア人が命名したもので、エウモルポスと関係があると考えられている[34]。
系図
[編集]エリクトニオス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アイオロス | パンディーオーン | ゼウクシッペー | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
デーイオーン | エレクテウス | ピロメーラー | プロクネー | テーレウス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ケパロス | プロクリス | オーレイテュイア | ボレアース | ケクロプス | クスートス | クレウーサ | オルネウス | メーティオーン | クトニアー | ブーテース | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
クレオパトラー | カライス | ゼーテース | パンディーオーン | アカイオス | イオーン | ペテオース | エウパラモス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
プレークシッポス | パンディーオーン | パラース | リュコス | ニーソス | メネステウス | ペルディクス | ダイダロス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
キオネー | ポセイドーン | アイトラー | アイゲウス | メーデイア | スキュラ | エウリュノメー | タロース | イーカロス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エウモルポス | アンティオペー | テーセウス | パイドラー | ベレロポーン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヒッポリュトス | アカマース | デーモポーン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その他の人物
[編集]脚注
[編集]- ^ カール・ケレーニイの邦訳、p.304。
- ^ a b c d e f g アポロドーロス、3巻15・4。
- ^ a b パウサニアース、1巻38・2。
- ^ 『パロス島大理石碑文』。
- ^ a b テオクリトス『牧歌』24歌110行。
- ^ プラトーン『国家』2巻363C。
- ^ a b 『スーダ』ムーサイオスの項。
- ^ a b パウサニアース、1巻5・2。
- ^ a b パウサニアース、1巻27・4。
- ^ a b c d e パウサニアース、1巻38・3。
- ^ a b ソポクレース『コローノスのオイディプース』1053行への古註。
- ^ a b 沓掛良彦訳注、p.69。
- ^ 呉茂一(下巻) 2007年改版、p.69。
- ^ レナル・ソレル 2003年、p.30。
- ^ エウリーピデース断片360(アテーナイのリュクールゴス『レオークラテース告発弁論』100による『エレクテウス』の引用)。
- ^ a b アテーナイのリュクールゴス『レオークラテース告発弁論』98。
- ^ a b アポロドーロス、3巻15・5。
- ^ a b ヒュギーヌス、46話。
- ^ 『ホメーロス風讃歌』第2歌「デーメーテール讃歌」150行以下。
- ^ 『ホメーロス風讃歌』第2歌「デーメーテール讃歌」474行-482行。
- ^ アポロドーロス、3巻15・1。
- ^ a b アポロドーロス、3巻15・2。
- ^ 『ホメーロス風讃歌』第2歌「デーメーテール讃歌」91行以下。
- ^ “アレクサンドリアのクレメンス『ギリシア人への勧告』2・11”. ToposText. 2022年2月14日閲覧。
- ^ 白石正樹「アテナイ・ポリスの祝祭(二)」p.7。
- ^ エウリーピデース断片370(『ソルボンヌ・パピュルス』2328)。
- ^ アリストパネース『蛙』1033行への古註。
- ^ ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』序章。
- ^ パウサニアース、8巻15・1。
- ^ ヒュギーヌス、273話。
- ^ シケリアのディオドロス、1巻11・3。
- ^ ピロデーモス『敬虔について』1, p.31 G。
- ^ “PECS Philippopolis-2”. Perseus Project. 2022年2月18日閲覧。
- ^ “How many names of Plovdiv do you know?”. Lost in Plovdiv. 2022年2月18日閲覧。
- ^ アポロドーロス、E(摘要)3・25。
参考文献
[編集]- アポロドーロス『ギリシア神話』高津春繁訳、岩波文庫(1953年)
- 『ギリシア悲劇全集12 エウリーピデース断片』「エレクテウス」安村典子訳、岩波書店(1993年)
- 『ソクラテス以前哲学者断片集 第1分冊』「ムゥサイオス」山口義久訳、岩波書店(1996年)
- ディオドロス『神代地誌』飯尾都人訳、龍溪書舎(1999年)
- テオクリトス『牧歌』古澤ゆう子訳、京都大学学術出版会(2004年)
- パウサニアス『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)
- ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』松田治・青山照男訳、講談社学術文庫(2005年)
- プラトン『国家 (上)』藤沢令夫訳、岩波文庫(1979年)
- ホメーロス『ホメーロスの諸神讃歌』沓掛良彦訳、ちくま学芸文庫(2004年)
- 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』岩波書店(1960年)
- 呉茂一『ギリシア神話(上・下)』、新潮文庫(1979年、2007年改版)
- カール・ケレーニイ『ギリシアの神話 神々の時代』植田兼義訳、中公文庫(1985年)
- レナル・ソレル『オルフェウス教』脇本由佳訳、文庫クセジュ(2003年)
- 白石正樹「アテナイ・ポリスの祝祭(二)」『創価法学』第29巻第3号、創価大学法学会、2000年3月、1-43頁、hdl:10911/2019、ISSN 0388-3019、CRID 1050001337726984704。