エウフェミオ・サパタ

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エウフェミオ・サパタ・サラサール
Eufemio Zapata Salazar
エウフェミオ・サパタ
生年: 1873年
生地: Flag of Mexico (1823-1864, 1867-1893).svg メキシコ モレロス州 ヴィラ・デ・アヤラ (現 Cd. アヤラ)
没年: 1917年6月18日
没地: メキシコの旗 メキシコ モレロス州 クアウトラ
思想: 無政府主義
活動: メキシコ革命
所属: サパタ派

エウフェミオ・サパタ・サラサール (Eufemio Zapata Salazar、1873年 - 1917年6月18日) はメキシコ革命家で、同じくメキシコの革命家であったエミリアーノ・サパタの兄。女たらしで、マッチョで、大酒飲みとして知られていた[1]

1917年6月18日、サパタ派の小グループに所属していたシドロニオ・"狂人 (el Loco)"・カマチョにより殺された[2]。エウフェミオが泥酔したときに、老人[3]を理由なく殴り、侮辱したことが理由とされる[2]。クアウトラにおいて、カマチョはエウフェミオを尾行した後に、腹部を銃撃した。

自らの死を確信したとき、エウフェミオはカマチョに、苦しまず早く死ねるよう止めをさせと頼んだ。カマチョは次のように答えた。

あんたはたくさんの人たちをとても苦しめてきたんだろう。もう少し生きていろ。その間、あんたもその苦しみを知るだろうさ

そしてカマチョはエウフェミオを顔から蟻塚に投げ入れ、彼の馬を奪った。エミリアーノが復讐を求めることがわかっていたカマチョは、身の安全のためにサパタの敵であったカランサ派へと合流した[2]

左がエウフェミオ。右は弟のエミリアーノ・サパタ

映画[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Newell (345/3503)
  2. ^ a b c Newell (2637/3503)
  3. ^ カマチョの父とも伝えられている。

出典[編集]