エイリーク1世 (ノルウェー王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
エイリーク・ハラルドソン
古ノルド語: Eiríkr Haraldsson
ノルウェー語: Eirik Haraldsson
Harald Haarfagres saga - Gunnhild lar finnene drepe - C. Krohg.jpg
ノルウェーの画家クリスチャン・クローグによって描かれたエイリークとグンヒルド。『ハーラル美髪王のサガ』の一場面。
在位 929年 - 934年(ノルウェー君主)
947年 - 948年(ノーサンブリア君主)
952年 - 954年(ノーサンブリア君主)
出生 885年
死去 954年
ノーサンブリア または ヒスパニア
配偶者 グンヒルド
子女 ガムリ
ハーラル2世
グズフレズ
シグルズ
ラグンヒルド
王家 ユングリング家
王朝 ホールファグレ朝
父親 ハーラル1世
母親 ラグンヒルド
テンプレートを表示

エイリーク1世ノルウェー語: Eirik Blodøks885年頃 - 954年)はノルウェーの国王(在位:930年-934年)及びノーサンブリアの王(在位:947年-948年952年-954年)。ハーラル1世美髪王の息子。在位した期間は短かったものの、その際に起こした殺戮から血斧王: Eric Bloodaxe)の異名を持つ。

生涯[編集]

エイリーク1世はハーラル1世の息子として生まれた[1][2]。母はユトランドのエイリーク王の娘ラグンヒルドである[3]アイスランドサガによると、エイリークは12歳の頃からヴァイキングとして活動を始めた[1][4]。とある遠征にてデンマーク王[注釈 1]の娘であるグンヒルド・ゴームズダター英語版と出会い、結婚した[1][4][5]

サガによると、父ハーラルの死後、エイリークが王位を継いだ[1][5]が、その争いの中でエイリークは4人の兄弟を殺害した[1][注釈 2][注釈 3]。しかしエイリークの治世は厳しく不人気であったとされ[6]ウェセックスの王であったアゼルスタンの支援を受けた異母弟(後のホーコン1世善王英語版[6])によって王座を追われ、ブリテン諸島に逃れた[6]。その地でもエイリークはヴァイキングの活動を続けたが、ハーラル美髪王と親交のあったアゼルスタンの提案を受け入れ[7][5]、ノーサンブリアの王となりヨークの城に住んだ[1]。アングロサクソンの年代記ではエイリークが947年に王に選任されたと記載されている[1]。これに先立ち、エイリークは家族や同行者と共に洗礼を受けてキリスト教徒となった[5][7]。王たちのサガではアゼルスタンはエイリークをスカンジナビア人や侵略者たちから守るために統治させたとしており、エギルのサガではスコットランド人とアイルランド人から守ろうとしたとされている[6]。サガによるとノーザンブリアはエイリークとその部下たちを支える程豊かでなかったため、エイリークは頻繁にスコットランドアイリッシュ海一帯を荒らしまわった[6]。これは財政的な影響もあったが、ダブリン王朝英語版の王たちに力を示す役割も果たした[6]。アゼルスタンの死後、エイリークは独自にその地を統治しようとしたが失敗した[6]。イングランド王エドレッドがノーサンブリアを侵略、荒廃させ、リポンウィルフリッド英語版の大聖堂を焼き払った[1]。イングランド軍が南に向かった際、エイリークの軍がイングランド軍の後衛に追いつき、キャッスルフォード英語版にて大量虐殺を行った[1]。復讐としてノーサンブリアを滅ぼすとエドレッドが脅すと、ノーサンブリアの人々はエイリークに背いてイングランド王に賠償を行った[1]。 その後ノーサンブリアの人々は、エイリークを王座から退位させるためにオラフ・ストリクソン英語版を支配者として受け入れ、最終的に954年、再度エイリークはエドレッドにより退位させられ、イングランドがノーサンブリアの主導権を握った[1]。それ以降、ヨーク及びノーサンブリアはイングランドの一部として吸収された[1]

エイリークはヴァイキング活動の中で戦死した[8]。最期を迎えた場所は史料によって異なり[9]スノッリ・ストゥルルソンの『ヘイムスクリングラ』や修道士テオドリクス (Theodoricus monachus) の『ノルウェー古代列王史ノルウェー語版』ではノーサンブリアだと伝えており[9]、『ヒストリア・ノルベジエ』ではヒスパニアだと伝えている[9][5]。サガによるとエイリークはヘブリディーズの5人の王とオークニーの伯爵2人を伴っており[6]、その際オラフ・クアランの息子であるマッカスに待ち伏せされ、殺されたとされている[6]

親族及び血縁関係[編集]

妻のグンヒルドは、邪悪な魔女として、エイリークと共にサガで取り上げられることが多い[6]。彼女は、エイリークの死後に彼を賞賛するスカルド詩を作らせた。その詩『エイリークの歌』では、エイリークがスタインモア英語版での死後[6]北欧の古来の信仰における主神オージンの元に迎え入れられている[10]

エイリークの死後は息子たち (Eirikssønnene (ノルウェー語))がノルウェー王の即位に成功した[6]。すなわち、息子たちは叔父であるホーコン善王とたびたび戦ってついに倒したのである[11]。息子たちのうち、ガムリ英語版などはホーコンの軍勢に敗れて戦死した[11][12]が、戦いを生き延びたハーラル英語版灰衣王、シグルズ、グンロズは、ホーコンが治めていたノルウェー沿海部を支配した[13]。彼らの母グンヒルドも政治に関わったため、グンヒルドは「国母」と呼ばれた[14]

資料[編集]

13世紀に主にアイスランドで成立したサガ[6]では、バイキングの基準でもエイリークは野蛮で残忍な暴君として描かれた[1]。同時期の資料であるアングロサクソンの年代記では、ややその鮮明さが弱まった描写がされている[1]。ノルウェーでの彼の生活の大部分はこのサガに依拠するが、この資料は10世紀初期の資料としては信憑性が薄い。一方で基本的な概要は間違っていないとされている[6]。Williamsの資料ではトールフィン・スカルスプリッター英語版と共に典型的なヴァイキングの戦士としての姿とされたとしている[6]

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ グンヒルドの父は、『ヘイムスクリングラ』の『ハーラル美髪王のサガ』ではオズル・トティ英語版[4]、『ヒストリア・ノルベジエ』ではゴルム[5]とされている。
  2. ^ エイリークの兄弟関係には諸説あり、A York Museums Trust projectでは長男でないとされている[1]が、Williamsの資料ではエイリークがハーラル1世のお気に入りの長男だったと考えられている[6]
  3. ^ サガではハーラルの子供を約20人として、ノルウェーを統一したとしているが、現代の歴史学者たちの中ではハーラル1世の支配圏はサガにあるものより限定されているとして、主な勢力圏は南側及び南西側であったと考えている。ハーラル1世の遺産は息子たちへの分配には不十分で、エイリークは自身の兄弟を順に殺すことによって遺産を得たとされている[6]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o A York Museums Trust project. “Eric Bloodaxe” (英語). History of York. 2016年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月11日閲覧。
  2. ^ 成川 2009, p. 77.(『ヒストリア・ノルベジエ』11章)
  3. ^ スノッリ,谷口訳 2008, p. 178.(『ハラルド美髪王のサガ』第21章 ハラルド王の結婚)
  4. ^ a b c スノッリ,谷口訳 2008, pp. 200-203.(『ハラルド美髪王のサガ』第32章 エイリーク王の結婚)
  5. ^ a b c d e f 成川 2009, p. 77.(『ヒストリア・ノルベジエ』12章)
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Williams, Gareth (2011年2月17日). “Eric Bloodaxe” (英語). BBC. 2016年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月12日閲覧。
  7. ^ a b スノッリ,谷口訳 2008, pp. 229-230.(『ハーコン善王のサガ』第3章 エイリークがノルウェーを離れること)
  8. ^ Williams, Gareth. 2011, p.3.
  9. ^ a b c 成川 2009, p. 92.(注釈83)
  10. ^ ストレム,菅原訳 1982, pp.117-118, 160.
  11. ^ a b 成川 2009, pp. 77-78.(『ヒストリア・ノルベジエ』13章)
  12. ^ スノッリ,谷口訳 2008, pp. 268-269.(『ハーコン善王のサガ』第25章 エイリークの息子たち)
  13. ^ 成川 2009, p. 78.(『ヒストリア・ノルベジエ』14章)
  14. ^ スノッリ,谷口訳 2008, p. 294.(『灰色マントのハラルド王のサガ』第1章 エイリークの息子たちの支配のはじまり)

参考文献[編集]

原典資料[編集]

  • ヘイムスクリングラ』の『ハーラル美髪王のサガ』、『ホーコン善王のサガ』、『灰色マントのハーラル王のサガ』
  • ヒストリア・ノルベジエ
    • 成川岳大 「翻訳 『ヒストリア・ノルベジエ (ノルウェー史) Historia Norwegie』本文及び解題」、『北欧史研究』 (バルト=スカンディナヴィア研究会)第26号pp. 68-100頁、2009年9月NAID 40016838889 

二次資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代:
ハーラル1世
ノルウェー王
930年 - 934年
次代:
ホーコン1世