エアランド・バトル

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エアランド・バトル: AirLand Battle)とは、アメリカ陸軍1982年から1990年代後期に渡り編み出した欧州での戦闘教義(warfighting doctrine, ウォーファイティング・ドクトリン)を基礎とする概念的枠組みの総体である。エアランド・バトルは積極的機動防衛を担う地上戦力と、敵軍の前線へ補給を行う後方部隊への攻撃を担う航空戦力とを緊密に連携させることに重点を置く。エアランド・バトルは1976年に誕生した「積極的防衛」("Active Defense")ドクトリンを置き換えたが、のちに「ネットワーク中心の戦い」("Network-centric warfare")という概念に取って代わられている。

発端となったのは、1973年に新設された陸軍内訓練教義コマンド英語版("United States Army Training and Doctrine Command", TRADOC)の司令官として赴任したウィリアム・E・デピュー英語版(William E. DePuy, 「デピュイ」とも)による、ワルシャワ条約機構軍への対抗を目的とした陸軍改革である。1977年にデピューの後任となるドン・A・スターリー英語版(Donn A. Starry)はこれを補完する「拡張型戦場」("extended battlefield")という概念を発表している。

アメリカ海軍もこれに触発されてエアシー・バトル(AirSea Battle)という戦略を発表しており、オバマ政権下の2010年の4年毎の国防見直し(Quadrennial Defense Review)においても対戦略の一環としてこのエアシー・バトルが挙げられている[1]。エアランド・バトルはベトナム戦争敗北後のアメリカ軍内における対反乱作戦(COIN)への失望と同時にソ連との軍事的対決を意識させるものとして生み出されたとの見解もある[2]

脚注[編集]

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出典[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]