ウーファ・パラスト・アム・ツォー

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座標: 北緯52度30分22秒 東経13度20分3秒 / 北緯52.50611度 東経13.33417度 / 52.50611; 13.33417

ウーファ・パラスト・アム・ツォー、1935年頃。ベルリン動物園駅地下鉄の出入口から。

ウーファ・パラスト・アム・ツォー (ドイツ語: Ufa-Palast am Zoo) は、ベルリンシャルロッテンブルク区ドイツ語版(現在のシャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフ区の一部)ハルデンベルク通りドイツ語版29番地にあった、大規模な映画館である。1919年の開業時に1740席を備えており、1925年には2165席の規模に改装された。ハンブルクに、2200席を備えたウーファ・パラスト・イン・ハンブルク (Ufa-Palast in Hamburg) が開館するまでは、ドイツ最大の映画館であった[1]。この映画館は、1920年代から1930年代にかけて、最も重要な封切り映画館のひとつであった[2]

歴史[編集]

ベルリン=シャルロッテンブルクドイツ語版にあったベルリン動物園の展示ホール、1908年。その後、劇場への改装を経て、映画館に再改装された。
動物園の展示ホール(左)、1906年

元々、この建物は、ホテル・アドロンドイツ語版の建設にたずさわった建築家のひとりであったカール・ガウゼドイツ語版1851年 - 1907年)の設計により、1905年から1906年にかけて、ベルリン動物園の展示ホールとして建設され、ヴィルヘルムスハル (Wilhelmshall) と名付けられた。その後1912年に、西側のホールがアルトゥール・ビーバーフェルト(Arthur Biberfeld, 1874年 - 1959年)によって劇場に改装された。さらに、建築家オスカル・カウフマンによって映写室を加えられ、1913年から1915年にかけて、イタリア映画協会イタリア語版 (Società Italiana Cines) 制作の映画『クオヴァディスイタリア語版』が、ここで上映された。1913年から1914年にかけてのいずれかの時点で、この映画館は「シネス=パラスト (Cines-Palast)」と称されるようになった。1919年UFAの委嘱を受けた建築家マックス・ビショフ (Max Bischoff) によって、1740席を備えた映画館に改装された。改装後の初演は、1919年9月18日における、エルンスト・ルビッチ監督作品『パッションドイツ語版』の初公開であった[3][リンク切れ]

館内は、長方形となっており、内装は簡素なものであった。客席は2層構造になっていた。客席は馬蹄形状に配され、舞台の壁面にはファイアンス焼きの陶板が嵌められていた。その後この映画館は、1925年に、カール・シュタール=ウーラッハ(Carl Stahl-Urach, 1879年 - 1933年)によって改装され、2165席を備えるようになった。また、ライトオルガンLichtorgel:照明装置)も設備された。

後には、建物の壁面に広告が掲出されるようになった。当初は、照明と大きなポスターが掲げられた。後には、壁面を覆う大きな看板が設けられた。1936年ベルリンオリンピックの際には、建築家アルベルト・シュペーアによって、建物の外装が、すっきりした新古典主義的なものに改められた。

この建物は、1943年11月23日ベルリン空襲によって破壊された。1957年には、後継施設としてツォー・パラストドイツ語版が建設された。

上映作品[編集]

ヴァイマル共和政時代[編集]

ヒトラー政権〜戦前期[編集]

第二次世界大戦期[編集]

プレミア上映[編集]

脚注[編集]

  1. ^ L'Estrange Fawcett: Die Welt des Films. Amalthea-Verlag, Zürich, Leipzig, Wien 1928, S. 122 (übersetzt von C. Zell, ergänzt von S. Walter Fischer)
  2. ^ Ufa-Palast bei www.zlb.de
  3. ^ information about several films at www.spielfilmtheater.de

外部リンク[編集]