ウラジーミル・マツケヴィチ

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ウラジミール・マツケビッチ

ウラジーミル・ウラジーミラヴィチ・マツキエヴィチベラルーシ語: Уладзімір Уладзіміравіч Мацкевіч、ラテン文字転写Uladzimir Matskevich)またはウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・マツケヴィチロシア語: Владимир Владимирович Мацкевич、ラテン文字転写Uladzimir Uladzimiravič Mackievič)とは、ベラルーシの哲学者(方法論者)、社会的・政治的活動家である。1956年5月14日、ソ連RSFSR (ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国)イルクーツク州チェレムホヴォに生まれた。2021年8月4日にベラルーシ当局によって逮捕された。人権団体により政治犯であると宣言されている[1]

経歴[編集]

ベラルーシ人の彼の両親は、マツケビッチが生まれたとき、シベリアに強制的に移送された[2]。彼の家族はすぐに名誉回復され、1966年にベラルーシに戻った[2]。マツケヴィチはレニングラード州立大学を卒業し、心理学の学位を取得した[3]。ゲオルギ・シュチェドロヴィツキーとモスクワの方法論界から強い影響を受けた[3][4]

1980年代後半、マツケビッチはラトビアに住み、ペレストロイカに参加した[2]のち、1994年にベラルーシに帰国した[2]。1990年代には、さまざまな選挙活動に候補者として、また政治技術者として参加した[2]。また、ベラルーシ統一市民党に後に統合された、3つの政党に助言を行った[2]憲章97英語版[注釈 1]も、彼の参加により結成された[2]。マツケビッチはアレクサンドル・ルカシェンコを長年批判しており、2011年に当時の政情を「戒厳令をしいた個人独裁」と特徴づけた[2]。彼は2020年の大統領選挙後に起こった抗議を支持し、ルカシェンコを「違法の大統領」と呼んだ[5]。2021年2月、マッケビッチは、当時発表された共同野党の戦略の登場を歓迎したが、その内容の多くを批判した[6]

1994年と1996年に、マツケビッチはベラルーシ教育省の要請により、教育改革の2つのプロジェクトの開発に参加したが、これらのプロジェクトは実現されなかった[2]。2007年に、東方パートナーシップ傘下の市民社会フォーラムに属するNGO・EuroBelarusベラルーシ語版の創設に携わった[7]。また、人道技術機構(ロシア語: Агентство гуманитарных технологий)を創設し、イニシアチブをとった[3]。マツケビッチは社会学者のタチアナ・ヴァダラシュスカヤとともに、自主講義組織である「空飛ぶ大学」(ロシア語: Летучий университет)を組織し、批判的思考の発達に焦点を当てた[8]

マツケビッチは2021年8月4日に拘留された[1]。また、タチアナ・ヴァダラシュスカヤと彼に関連する複数の活動家が、同じ日に拘留された[1]。8月6日、8つのベラルーシ人権団体が共同声明で、マツケビッチが政治犯であると宣言した[1]。彼は、ベラルーシ刑法第342条に基づき、「公の秩序に著しく違反する行動の組織化」の罪で起訴された[9]

2011年には50以上の作品を発表した[2]

ベラルーシを考えるタチアナ・ヴァダラシュスカヤとウラヂミール・マツケビッチ

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 人権を重視する政治宣言およびこれに基づく政治集団である。

出典[編集]

関連文献[編集]

外部リンク[編集]