ウラカ (カスティーリャ女王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ウラカ女王像

ウラカ(Urraca, 1082年 - 1126年3月8日)は、カスティーリャ王国女王(在位:1109年 - 1126年[1])。レオン王国の女王も兼ねる[2]アルフォンソ6世と2番目の王妃コンスタンサ・デ・ボルゴーニャの娘。

父王には嫡男がなく、彼女以外の嫡出子も夭折したため、王位についた。

最初の夫、ガリシア伯ライムンドとの間にサンチャ、アルフォンソ(のちのアルフォンソ7世)を生んだ[3]

2度目の結婚相手は、アラゴン王アルフォンソ1世である。のち近親婚を理由に結婚を解消する。

3度目の夫は、ララ伯爵ペドロ・ゴンサレスである。

サンティアゴ・デ・コンポステーラに存在する聖遺物のひとつである「小ヤコブの頭部」をもたらした[4]。これは当初、同聖地においては失われたとされていた「大ヤコブの頭部」という触れ込みであった[5]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 浅野 2003, p. 6
  2. ^ 池田健二 『カラー版 スペイン・ロマネスクへの旅』、2011年、216頁。ISBN 978-4-12-102102-12013年5月閲覧。,この女王の時代に一旦カスティーリャとレオンは統合するが、のちにまた分離する。
  3. ^ 関哲行 「12世紀前半のサンチャゴ・デ・コンポステラにおけるコミューン運動(中)」、『流通経済大学社会学部論叢』 (流通経済大学)116頁、1991年ISSN 0917222Xhttp://ci.nii.ac.jp/naid/110007190857/ 
  4. ^ 浅野 2003, p. 7
  5. ^ 浅野 2003, p. 12

参考文献[編集]

  • 浅野ひとみ 『スペイン・ロマネスク彫刻研究-サンティアゴ巡礼の時代と美術』5巻 (1版) 九州大学出版会〈長崎純心大学学術叢書〉、2003年ISBN 978-4-87378-771-8