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ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の国旗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の国旗
用途及び属性 現在使われていない歴史的な旗?
縦横比 1:2
制定日 1950年7月5日
使用色 赤色紺青色金色
根拠法令 ウクライナソビエト社会主義共和国の国旗に関する規則
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ウクライナ・ソビエト社会主義共和国国旗は、その施行規則によれば「ウクライナ共和国の主権、他の対等なソビエト連邦構成共和国との自発的交流、労働者・農民・知識人の破られることのない団結、共産主義社会を築くすべての民族・国籍の労働者の友好と兄弟愛の象徴」とされる[1]

変遷

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1917年12月にハリコフで発足したソビエト派ウクライナ人民共和国(後にウクライナ・ソビエト共和国を経てウクライナ社会主義ソビエト共和国となる)は、ロシア共和国人民委員会議ロシア語版が唯一の合法的なウクライナ政府と認めたものであった[2]

現代のいくつかのソースでは、ウクライナ人民共和国の国旗はカントンに青と黄色の水平帯(これは上下逆の場合もある)を表示した赤旗とされているが、これには同時代の史料に言及がないという異論もある[2]。また、同時期のドネツク=クリヴォーイ・ローク・ソビエト共和国国旗を「上から白・緑・黒の三色帯をカントンに表示した赤旗」とする意見もあるが、これも信頼に足るソースを欠いている[2]

現在使われていない歴史的な旗記録から復元したもの ソビエト派ウクライナ人民共和国の国旗とされるもの

その後、ウクライナ革命ウクライナ語版を経て1919年1月6日にボリシェヴィキがウクライナ社会主義ソビエト共和国の成立を宣言すると、3月10日に全ウクライナ中央執行委員会 (uk) は第3期全ウクライナ・ソビエト大会 (en) 最初のウクライナ共和国憲法を承認し、14日に最終版を採択した(これは、1918年ロシア共和国憲法英語版が定めた貿易旗・海上旗・軍旗に関する規定の完全なコピーである)[2]

第35条:ウクライナ社会主義ソビエト共和国の貿易旗・海上旗・軍旗は、左隅旗竿付近上部に金文字で «У.С.С.Р.» ないし «Украинская Социалистическая Советская Республика» と表示した赤色(緋色)の布である。

実際には、この時期にはロシア共和国の国旗と同様に国名の文字が金枠で分割されたものや、国名表記がロシア語«У.С.С.Р.» ではなくウクライナ語«У.Р.С.Р.» とされたもの、さらに赤旗でなく青と黄色の水平二分旗上に «У.Р.С.Р.» と表示したものも使用されていたとみられる[2]

現在使われていない歴史的な旗 1921年8月10日から1923年1月15日までの貿易旗

1921年7月27日に中央執行委員会は委員会令により、漁船旗について「大きな白文字で «У.С.С.Р.» と、その下部に旗の高さの半分、幅の8分の1の大きさの白い魚を表示した縦横比1:2の赤旗」を、8月10日には貿易旗について「金枠で囲まれ、金文字で «У.С.С.Р.» と表示した赤い領域を左隅に持つ赤旗」を承認した[2]。しかし、ソビエト連邦発足に際して1923年1月15日に発された中央執行委員会議長令においては、貿易旗と漁船旗のデザインは1919年からの国旗デザインと統合された[3]

現在使われていない歴史的な旗軍隊陸上、市民・軍隊海上 1919年3月14日から1929年6月23日までの国旗

1926年4月3日にウクライナ共和国NKVDが公布した規則にはこうある[4]

  1. ウクライナ社会主義ソビエト共和国の国旗は、左上部旗竿付近に金文字で «УССР» ないし «Украинская Социалистическая Советская Республика» と表示した長方形の赤い布である。
  2. 布色は真紅ないし赤でなければならない。色濃度については異なるものも許容されるが、色調については赤に近いものとし、他のいかなる色(黄、茶、赤紫など)とも混色してはならない。
  3. 布の大きさは、高さにおいて半メートルを下回ってはならず、幅は高さの1倍半以上でなければならない。

1927年7月には、ウクライナ人民委員会議ロシア語版および中央執行委員会が「言語の平等およびウクライナ文化の発展の実現について」の勧告を発し[5]、また、行政法によっても「国旗において、表記される言語はウクライナ語でなければならず、民族地域ではウクライナ語に加え少数民族語でも国旗に注記が許可されるべきであると言わざるを得ない」と求められた[6]。そして、1929年6月23日からの新憲法第81条により、国名のウクライナ語表記 «У.С.Р.Р.» は正式なものとなった[2]

ウクライナ社会主義ソビエト共和国の国旗は、左上部旗竿付近に金文字で «УСРР» ないし «Українська соціялістична радянська республіка» と表示した赤(紫)色の布である[7]
現在使われていない歴史的な旗 1929年6月23日から1937年1月30日までの国旗

1937年1月30日からのソ連憲法(いわゆるスターリン憲法)の第144条により、ウクライナの国旗には鎌と槌が追加され、代わりに国名は略記以外認められなくなった(ただし、1945年国連本部に掲げられたウクライナ国旗には «Українська С.С.Р.» の文字があった)[2]

第144条:ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の国旗は、左上部旗竿付近に金色の鎌と槌、そして «УРСР» の文字を表示した赤い布である。
現在使われていない歴史的な旗 1937年1月30日から1949年11月21日までの国旗
現在使われていない歴史的な旗 1949年11月21日からソビエト連邦の崩壊までの国旗とその細則

1949年11月21日に採択され、翌1950年7月5日にウクライナ最高会議ロシア語版が承認した「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の国旗に関する規則」により、新たなウクライナ国旗は次のように定められた[8]

ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の国旗は、上から高さの3分の2分を赤、下から高さの3分の1分を紺青の、2本の水平帯からなる矩形の赤い布であり、上部の領域の旗竿から幅3分の1の位置に、金色の鎌と槌、その上部に金枠で囲まれた五芒星を表示する。旗の大きさは、高さに対する幅の比を1:2とする。

紺青色の帯は、雄大さや人民の美しさ、そしてボフダン・フメリニツキーを象徴するものと説明された[2]1981年4月6日には、ウクライナ最高会議幹部会令により、国旗に関する細則が補足された[1]

鎌と槌は、旗の高さの4分の1を辺長とする正方形に内接する。鎌の鋭端は正方形の上辺中点に接し、鎌と槌の柄は正方形の下辺両端に接する。槌の柄の長さは正方形の対角線の4分の3を占める。五芒星は、正方形の上辺に接し、旗の高さの8分の1を直径とする円に内接する。星と鎌と槌の垂直軸から旗竿までの距離は、旗の高さの3分の1に等しい。旗の上辺から星の中点までの距離は、旗の高さの8分の1に等しい。
現在使われていない歴史的な旗表面と違う裏面がある旗 1949年11月21日から1991年8月24日までの国旗(裏面は1981年から)

1980年代後半からすでに、青と黄色の水平二分旗は非公式な国旗として全国に広まっていたが、1991年8月24日にウクライナソビエト連邦から独立し[9]、同年9月18日に青黄旗は公式旗として合法化された[10]。この旗は未だ国旗としての地位を与えられていなかったにもかかわらず、国旗として広く使用され始めた(条文には縦横比の規定はないが、通用されたのは1:2の旗であった)[9]。そして翌1992年1月28日、縦横比2:3の青黄旗が、正式に新たなウクライナ国旗となった[9]

脚注

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  1. ^ a b Указ Президиума Верховного Совета Украинской ССР от 6 апреля 1981 года об утверждении «Положения о Государственном флаге Украинской Советской Социалистической Республики».
  2. ^ a b c d e f g h i Флаги Советской Украины”. Вексиллография. Russian Centre of Vexillology and Heraldry, Orenburg branch of RCVH. 2019年3月6日閲覧。
  3. ^ Постановление Президиума ВУЦИК от 15 января 1923 г. «Об утверждении флагов, герба и печати Республики по проекту НКЮста».
  4. ^ Инструкция Народного Комиссариата внутренних дел от 3 апреля 1926 г. «О порядке пользования учреждениями и организациями государственным флагом УССР, а также вывешивания флагов частными лицами».
  5. ^ Постановление ВУЦИК и СНК УССР от 6 июля 1927 г. «Об обеспечении равноправия языков и развития украинской культуры».
  6. ^ Административный кодекс УССР. Текст и частный комментарий. Под редакцией С. Канарского и Ю. Мазуренко. /Харьков, 1929 год, стр. 310—315.
  7. ^ Петровський Г., Василенко М. (1929年5月15日). “Конституція (основний закон) Української соціялістичної радянської республіки.”. Харків: Верховна Рада України. 2016年2月18日閲覧。
  8. ^ Гречуха М.ロシア語版, Нижник В. (1950年7月5日). “Закон Української Радянської Соціалістичної Республіки Про затвердження Указів Президії Верховної Ради Української РСР "Про Державний герб Української РСР" та "Про Державний прапор Української РСР"”. К.: Ліга Закон. 2016年2月18日閲覧。
  9. ^ a b c Государственный флаг Украины”. Вексиллография. Russian Centre of Vexillology and Heraldry, Orenburg branch of RCVH. 2019年3月6日閲覧。
  10. ^ Кравчук Л. (1991年9月18日). “Про прапор України”. К.: Верховна Рада України. 2019年3月6日閲覧。