ウォーレン・クリストファー

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ウォーレン・クリストファー
Warren Christopher
Warren Minor Christopher2.jpg
生年月日 (1925-10-27) 1925年10月27日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Flag of North Dakota.svg ノースダコタ州スクラントン
没年月日 (2011-03-18) 2011年3月18日(85歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Flag of Los Angeles, California.svg カリフォルニア州ロサンゼルス
出身校 レッドランズ大学
南カリフォルニア大学
スタンフォード法科大学院
所属政党 民主党
配偶者 マリー・ウィリス

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
63代目国務長官
在任期間 1993年1月20日 - 1997年1月17日
大統領 ビル・クリントン

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
5代目国務副長官
在任期間 1977年2月26日 - 1981年1月20日
大統領 ジミー・カーター

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
7代目司法副長官
在任期間 1967年3月10日 - 1969年1月20日
大統領 リンドン・ジョンソン
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ウォーレン・マイナー・クリストファー英語: Warren Minor Christopher, 1925年10月27日 - 2011年3月18日[1])は、アメリカ合衆国の政治家。カリフォルニア大学ロサンゼルス校政治学部客員教授。

生涯[編集]

生い立ちと初期の経歴[編集]

1925年10月27日にアメリカのノースダコタ州スクラントンにおいて誕生した。ハリウッド高校を卒業し、レッドランズ大学へ進学した。クリストファーは地元の友愛会カッパ・シグマ・シグマに参加した。

1945年2月に南カリフォルニア大学の学部課程を優等で修了した。クリストファーは1943年7月から1946年9月までアメリカ海軍予備役部隊に所属し、少尉として太平洋戦域で現役任務に従事した。クリストファーは1946年から1949年までスタンフォード法科大学院に所属し、スタンフォード法律評論誌を創刊した。1949年に法学士号を取得し、優秀法学生会に加入した。

政治略歴[編集]

リンドン・ジョンソン政権で7代目アメリカ合衆国司法副長官となり、ジミー・カーター政権で5代目アメリカ合衆国国務副長官を経て1993年からビル・クリントン政権1期目で65代目アメリカ合衆国国務長官を務めた。ジミー・カーター大統領の時代には米中国交正常化、ビル・クリントン大統領の時代にはボスニア問題などに取り組んだ。1993年には世界人権会議に出席して「人権の抑圧の隠れ蓑としての文化相対主義」を批判した。

2011年3月18日に腎臓がんと膀胱がんの合併症のためカリフォルニア州ロサンゼルスの自宅で亡くなった。85歳であった[1]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]

司法職
先代:
ラムゼイ・クラーク
アメリカ合衆国司法副長官
1967–1969
次代:
リチャード・クラインディーンスト
公職
先代:
チャールズ・ウェズリー・ロビンソン
アメリカ合衆国国務副長官
1977年2月26日 - 1981年1月16日
次代:
ウィリアム・パトリック・クラーク
先代:
ローレンス・イーグルバーガー
アメリカ合衆国国務長官
1993年1月20日 - 1997年1月17日
次代:
マデレーン・オルブライト