ウェブリー=フォスベリー・オートマチック・リボルバー

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ウェブリー=フォスベリー・オートマチック・リボルバー
Webley-Fosbery Automatic Revolver
Webley-Fosbery.png
ウェブリー=フォスベリー・オートマチック・リボルバー
種類 自動回転式拳銃
原開発国 イギリスの旗 イギリス
開発史
開発者 George V. Fosbery
開発期間 1895年
製造業者 ウェブリー・アンド・スコット英語版
製造期間 1901年 - 1915年
製造数 約4,750丁
派生型 .455ウェブリー弾モデル(6連発)
.38ACP弾モデル(8連発)
諸元
重量 1.24 kg (43.68 oz.) - 銃のみ
全長 280 mm (11")

弾丸 .455ウェブリーMk II弾英語版
.38ACP弾英語版
口径 11.55 mm (0.455 in)
9 mm (0.38 in)
作動方式 反動利用式自動回転式
発射速度 半自動
初速 190 m/s (620 ft/s)
装填方式 6連発シリンダー (.455 Webley)
8連発シリンダー (.38 ACP)
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ウェブリー=フォスベリー・オートマチック・リボルバー(Webley-Fosbery Self-Cocking Automatic Revolver)とは、イギリスで開発された反動利用式の自動回転式拳銃オートマチック・リボルバー英語版)である。

概要[編集]

ジョージ・フォスベリー英語版中佐が設計し、ウェブリー・アンド・スコット英語版社が1901年から1915年まで生産していた。その機構から、シリンダーに特徴的なジグザグ溝が彫られており、これが本銃の外見上の特徴となっている。

特異な機構には問題点も多く、軍用としても民間用としても販売実績ははかばかしくなかったが、21世紀においてはコレクター市場では$10,000以上の高額で取引される事もある貴重品となっている。

歴史[編集]

フォスベリー中佐がこの自動回転式拳銃を考案したのは、ちょうど自動式拳銃の普及が始まった頃のことであった。この設計案は、コッキングとシリンダーの回転を一連の動作として行い、また動作の折にシリンダーと銃身がフレームごと後退するというものであった。最初の試作品はアメリカ製コルト・シングル・アクション・アーミーを改造したものであった。フォズベリーは1895年8月16日にこの設計に関する特許を取得し、1896年の6月と10月には改良を加えた設計について改めて特許を取得している[1]

フォスベリーはこの設計を、当時のイギリスにおける民生用および軍用拳銃大手だったバーミンガムのP・ウェブリー・アンド・サン社(P. Webley & Son)に持ち込んだ。同社は後にW.C. Scott & Sons社およびRichard Ellis & Sonと合併し、ウェブリー・アンド・スコット英語版と社名を改めている。ウェブリー社ではフォスベリーの設計をさらに改良し、1900年6月にビズリー英語版で行われたトライアルにて「ウェブリー=フォスベリー・オートマチック・リボルバー」(Webley-Fosbery Automatic Revolver)として初めて出展した[1]

.455口径SAA普通弾(.455in SAA Ball)

当初、使用弾はイギリスの官給拳銃弾である.455弾を採用していたが、後に.38ACP弾モデルも設計された。455口径モデルは従来の回転式拳銃と同様の6連発だったが、38口径モデルは8連発で、装填にフルムーン・クリップを使うこともできた。また、38口径モデルはシリンダーが短く、それに伴い反動によるフレームの後退距離も短かった。455口径モデルの中にも短いフレームを用いて組み上げられたものがあった。マークIからVIまでの派生型があった。

シリンダーの回転をトリガー機構と切り離していた為、安定した射撃を素早く行うことが可能であり、民生市場でもスポーツ射撃用の拳銃として人気があった。著名な射撃競技選手ウォルター・ワイナンズ英語版もウェブリー=フォスベリーを愛用していたことで知られる。彼は1902年の射撃会でもウェブリー=フォスベリーを使い、7秒間のうちに12パッススの距離から2インチの的に6発を命中させたという。また、スピードローダーを用いた射撃ではおよそ15秒間で3インチの的に12発を命中させたという[2]

ウェブリー=フォスベリーには7.5インチ、6インチ、4インチの銃身が用意されていたほか、オーダーメイドも可能だった。同じくオーダーメイドで、メトフォード式として知られるライフリングを施すことも可能だった。ターゲット射撃用の22口径アダプタもオプションとして用意されていた。

軍用銃として[編集]

ウェブリー社ではこの銃を騎兵用の理想的な拳銃だと考えていたものの、政府機関による公的な採用は行われなかった。ウェブリー=フォスベリーは全長が11インチ(280mm)以上、重量は銃のみでも44オンス(1,239g)と、当時の基準で見ても非常に大型の拳銃であり、扱いづらいと考えられた為である。ボーア戦争および第一次世界大戦では、前線の英軍士官らが私物として持ち込んだウェブリー=フォスベリーの.455口径モデルを使用した例が少数報告されている[3]。これによれば、精密な機械加工部品により構成されるウェブリー=フォスベリーの反動利用機構は泥や雨による影響を受けやすく、前線では使いづらかったという。また、コッキング方法も問題点として報告されている。通常の回転式拳銃のコッキングは銃を保持したまま親指で撃鉄を起こすだけで良いが、ウェブリー=フォスベリーの場合は片手で銃を保持しつつもう片手を使ってフレーム全体を後退させなければならなかった。


ウェブリー=フォスベリーは第一次世界大戦中の1915年から1918年の間に生産が中止された。総生産数は5,000丁を下回り、約4,750丁とされるが、大半が売れ残っており、1939年頃までウェブリー社のカタログに掲載されていた。

本銃はオートマチック拳銃が実用的なものとして普及するに従い廃れてしまったが、現用品として発売されていた際には売れ残ってしまったにも関わらず、その特異な機構から後に銃器コレクターに珍重され、21世紀においても非常に高価なコレクターアイテムとして取引されている。

作動方式[編集]

ウェブリー=フォスベリーは反動利用式のオートマチック・リボルバー英語版である。その構造上、おおまかに3つの部位、すなわち銃身およびシリンダー部、閉鎖機構およびハンマー部、そしてトリガー、リコイルスプリング、グリップ、安全装置を格納するフレーム部に分けられる。

シリンダーの開放から排莢、装填までのプロセスは他の現代的なウェブリー・リボルバーと同様である。アッパーレシーバー側面のレバーを押しこむと銃身およびシリンダー部が開放されて前方に倒れ、同時にシリンダーからの排莢が行われる。装填後、再びシリンダーおよび銃身部を起こすことで固定される。

この状態で銃身およびシリンダー部を後ろに引くことでコッキングが行われ、内部のスプリングが射撃可能な位置に移る。

手動コッキングまたは反動により銃身およびシリンダー部が後退する時、フレームに取り付けられた回転レバーがハンマーを起こすと共に、シリンダーのジグザグ溝にフレームの突起が噛み合い、シリンダーを回転させる。

ウェブリー=フォスベリーはフルコック、すなわち射撃可能な状態で携行することを想定した拳銃である。その為、グリップの左側面には安全装置が設けられている。安全装置はレバーが水平なら解除されており、押し下げられていればシアーとハンマーが切断され射撃不可能である。このレバーはコッキングされた状態でのみ操作できる。

初期モデルでは、シリンダーのジグザグ溝は深さが不均一で、フレーム側の突起もバネ式の複雑なものだった。これはシリンダーの逆回転を防止する為の設計だったが、後に過剰に複雑な構造として廃止された。以後のモデルでは溝の角度を調整することで逆回転を防止し、溝の深さは均一となり、突起も固定式となった。その後、シリンダー固定用のラッチもハンマー側から銃身側へと移された。

ウェブリー=フォスベリーの最終モデルは1914年に発表された。このモデルは短いシリンダーを備え、トリガー・スプリングおよびリコイル・レバーが強化されていた。

登場作品[編集]

映像作品[編集]

マルタの鷹(1941年版)
ポルハウスがアーチャーを銃撃する際に使用。作中の台詞では「45口径の8連発」とされているが、登場しているのは.38口径モデルであり、45口径モデルに8発装弾型は存在しないため、誤りである。
  • なお、原作小説では「38口径の8連発」と正しく記述されていることから、映画化の際に誤ったことがうかがえる。
未来惑星ザルドス
ショーン・コネリー演じる主人公、ザッドの用いる銃として登場。

アニメーション[編集]

プリンセス・プリンシパル
メインキャラクターの1人、アンジェの銃として登場。初弾発砲前に上部フレーム全体を後方に引く形でコッキングすること、発砲する毎にブローバックすることがきちんと描写されている。

ビデオゲーム[編集]

バトルフィールド1
「ハンドガン」の種別の武器として、.455ウェブリー弾モデルが“Auto Revolver”の名称で登場。

脚注・出典[編集]

参考文献[編集]

  • Dowell, William Chipcase, The Webley Story, (Commonwealth Heritage Foundation, Kirkland, Washington: 1987)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]