ウインザーノット (競走馬)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ウィンザーノット
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1980年3月3日
死没 2009年11月19日(29歳没)
パーソロン
サンサン
母の父 Bald Eagle
生国 日本の旗 日本北海道新冠町
生産 明和牧場
馬主 ホースマン
調教師 高松邦男美浦
競走成績
生涯成績 19戦7勝
獲得賞金 1億9460万800円
テンプレートを表示

ウインザーノットとは、日本競走馬種牡馬である。馬名は「ウインザー公」として知られるイギリス国王エドワード8世および同名のネクタイの結び方の名前が由来である。おもな勝ち鞍は函館記念(2回)。主戦騎手柴田政人田面木博公。半妹にスプライトパッサー(父:メイワパッサー関屋記念勝ち)がいる。

馬齢は当時の基準である「数え年」にて表記する。

戦跡[編集]

既に日本でリーディングサイアーとして名を馳せていたパーソロンを父に、凱旋門賞ヴェルメイユ賞を制した名牝・サンサンを母に持ち「超良血馬」であった。しかし1983年、4歳春にデビュー後、新馬戦・未勝利戦を4戦して1つも勝てず、クラシックには完全に無縁であった。

4歳11月の400万下(格上挑戦)でようやく初勝利するとここから快進撃が始まり、以降条件戦を3連勝。準オープンの身でありながら重賞の函館記念に挑戦、53キロという軽ハンデで勝利し、ようやく良血が開花した。陣営はこの年(1984年)から2000mに距離が短縮された天皇賞・秋に照準を充てたが、軽度の骨折が発覚して休養を余儀なくされた。

6歳の宝塚記念で復帰。3着となると、続く高松宮杯でも3着となり、続く函館記念は58.5キロのハンデや不良馬場をものともせず連覇を果たす。毎日王冠2着後に臨んだ秋の天皇賞ではギャロップダイナシンボリルドルフニホンピロウイナーと好勝負を演じるも3着、続くジャパンカップではまったくいいところなく15着に敗れ、以降は休養にあてた。

7歳になって、まず巴賞に出走しレコード勝ちし、セカイオー鳴尾記念)以来の同一重賞3連覇のかかった函館記念は60.5キロという過酷なハンデもあって4着に敗れる(函館記念3連覇は後にエリモハリアーによって達成される)。毎日王冠4着後に出走した秋の天皇賞はレコード駆けのサクラユタカオーの2着に終わり、このレースをもって現役を引退した。

引退後[編集]

生まれ故郷の明和牧場にて種牡馬となり「2000mで2分を6回切ったスピード馬」というキャッチコピーで生産者に宣伝された。産駒としてセントライト記念勝ちのウインドフィールズやCBC賞2着のウインザーモレノ、報知杯4歳牝馬特別2着のトーワディステニーを出した。

1998年に種牡馬を引退し、功労馬として明和牧場で繋養されていた。2009年11月19日に死亡した[1]

血統表[編集]

ウインザーノット血統トウルビヨン系/Pharos 4×5=9.38%、父系にTourbillon 5×5=6.25%、母系にBull DogSir Gallahad 5×5=6.25%) (血統表の出典)

*パーソロン
1960年 鹿毛
父の父
Milesian
1953年 鹿毛
My Babu Djebel
Perfume
Oatflake Coup de Lyon
Avena
父の母
Paleo
1953年 鹿毛
Pharis Pharos
Carissima
Colonice Abjer
Colonis

*サンサン
1969年 黒鹿毛
Bald Eagle
1955年 黒鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Sigma Tiger
China Face
母の母
Sail Navy
1957年 鹿毛
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Anchors Aweigh Davil Diver
True Bearing F-No.7-c


脚注[編集]

  1. ^ 引退名馬詳細情報ウインザーノット”. 財団法人軽種馬育成調教センター (2009年11月19日). 2009年11月27日閲覧。

外部リンク[編集]