ウィーン中央墓地
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The en:St. Charles Borromeo Cemetery Church(ウィーン中央墓地の中央) | |
詳細 | |
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開園 | 1863年 |
所在地 | |
国 | オーストリア |
座標 | 北緯48度09分09秒 東経16度26分24秒 / 北緯48.15250度 東経16.44000度座標: 北緯48度09分09秒 東経16度26分24秒 / 北緯48.15250度 東経16.44000度 |
種別 | 公共 |
総面積 | 2.4平方キロメートル (590エーカー) |
建墓数 | 33万超 |
埋葬数 | 300万 |
Find a Grave | ウィーン中央墓地 |
ウィーン中央墓地(ウィーンちゅうおうぼち、ドイツ語: Wiener Zentralfriedhof)は、ウィーンの中央墓地である。埋葬数において世界最大規模であり、ウィーンにあるおよそ50ヶ所の墓地で最もよく知られている。墓地の名称はウィーンで最大の墓地という意味を表し、地理的な位置ではない。墓地はウィーン中心部ではなく、郊外のジンメリンクにある。
概要
[編集]1874年、ウィーンの都市計画の一環として建設された。設立の際に掲げられた理念は「どの故人も国籍・宗教に関わらずここに埋葬する」というものであった。そのため、多様な宗教の施設が敷地内に建設されている。
中心部には、世紀末ウィーン時代に「名市長」と呼ばれたカール・ルエーガーの名を冠したカール・ボロメウス教会が建ち、中央墓地のシンボルとなっている。
公園として市民の憩いの場となっており、特に「特別名誉地区」には、国際的に有名な音楽家、芸術家、政治家の墓があるため、観光スポットともなっている。埋葬者はおよそ300万人といわれ、広大な面積を歩いて墓参するのが困難であること、そして「特別名誉地区」などが目当ての観光客のために、敷地内にはバスも通っている。
現在、日本では宇宙葬の株式会社銀河ステージが納骨室への埋葬サービスをしている。
著名な埋葬者
[編集]作曲家
[編集]作曲家区間(区間32A)
[編集]- ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(墓碑番号55番、死去当時の埋葬地が不明のため墓碑のみ)
- ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(29番)
- フランツ・シューベルト(28番)
- ヨーゼフ・ランナー
- ヨハン・シュトラウス1世
- ヨハン・シュトラウス2世(27番)
- ヨーゼフ・シュトラウス
- エドゥアルト・シュトラウス1世(孫のエドゥアルト・シュトラウス2世も同一墓)
- ヨハネス・ブラームス(26番)
- フランツ・フォン・スッペ
- フーゴー・ヴォルフ
- クリストフ・ヴィリバルト・グルック(49番)
その他の区間
[編集]- アントニオ・サリエリ
- カール・ミレッカー
- カレル・コムザーク2世
- カレル・コムザーク3世
- カール・ラフィテ(区間31B 作曲家区間32Aに隣接)
- ヨーゼフ・バイヤー
- アルフレート・グリュンフェルト
- フランツ・シュミット
- アルノルト・シェーンベルク(区間32C)
- セルゲイ・ボルトキエヴィチ
- ロベルト・シュトルツ
- ロッテ・レーマン
- ヴィリー・ボスコフスキー
- ジーモン・ゼヒター(区間0 外壁沿い、門3)
- ジェルジ・リゲティ(区間33G、37番)
その他音楽家
[編集]- ルートヴィヒ・ベーゼンドルファー(ピアノ製造技師)
建築家
[編集]- エドゥアルト・ファン・デア・ヌル(ウィーン州立オペラ劇場を設計、作曲家区間32Aに埋葬)
政治家
[編集]- カール・レンナー(第一共和国初代首相・第二共和国初代大統領)