ウィルヘルミーナ・クーパー

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ウィルヘルミーナ・クーパー
Edgar de Eviaが撮影したウィルヘルミーナ・クーパー
プロフィール
生年月日 1939年5月1日
没年月日 1980年3月1日
没年齢 40歳(数え42)
出身地 オランダ クレンボルフ
瞳の色 茶色
毛髪の色 濃い茶色
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 180.3 cm / kg
スリーサイズ 97 - 61 - 91 cm
モデル: テンプレート - カテゴリ

ウィルヘルミーナ・クーパー(Wilhelmina Cooper ,1939年5月1日 - 1980年3月1日)は、ドイツ人スーパーモデル。フォードモデルズからキャリアを始め、1967年の人気絶頂時に自らの事務所『ウィルヘルミーナ・モデルズ』をニューヨークで立ち上げた。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

オランダクレンボルフにてウィルヘルミーナ・ベーメンブルクとして産まれ、同業仲間の間では「ウィルヘルミーナ」または「ウィリー」の名で知られていた。ドイツオルデンブルクで育つ。1954年に、家族と共にアメリカ合衆国イリノイ州シカゴへ引越した。

モデルとしてのキャリア[編集]

1950年代から1960年代にかけ、彼女は最も有名なモデルの一人となった。アメリカの『ヴォーグ』誌の表紙を27 - 28回飾ったモデルとしての記録を持っている。

「表紙モデル時代のウィルヘルミーナは『ハイファッションモデルの中でも女性らしさを持つ数少ないモデル』としての誇りを持っていたが、まさにその通りだった。5フィート11インチ(180.3センチメートル)でスリーサイズ38-24-36インチ (97 - 61 - 91センチメートル)を持つ彼女は、大きくクリッとした眼と繊細な頬骨、そしてつややかで豊かな黒髪を持ち、その魅力は古典的で高貴な美しさの見本として、1950年代1960年代スタイルを築きあげた。」 — タイム誌の死亡記事より

結婚そして実業家へ[編集]

1965年、ウィルヘルミーナは人気トーク番組『The Tonight Show Starring Johnny Carson』の前制作総指揮だったブルース・クーパーと結婚する。1967年、夫婦はウィルヘルミーナ・モデルズを設立し、フォードモデルズに並ぶ一流モデル事務所として、様々なモデル事務所が設立される時代の先駆けとなった。

ウィルヘルミーナの事務所は、アフリカ系アメリカ人スーパーモデルのナオミ・シムズを育て上げたことで、重要な役割を果たす。ナオミ・シムズは、1960年代半ばにデビューする。しかし、1967年の『ニューヨーク・タイムズ』に登場した際、その容姿は時代の新星であったにもかかわらず、仕事を得る難しさを彼女は痛感した。そこで彼女はウィルヘルミーナに申し入れ、事務所に『ニューヨーク・タイムズ』の紙面のコピーを送ること、そしてこの紙面を使って得られる仕事の歩合を全てウィルヘルミーナが受取れるようになることを伝え交渉した。それから一年もしないうちに、ナオミ・シムズは週に1000ドルを稼ぐモデルとなる。1968年、彼女は『Ladies' Home Journal』の表紙に登場し、その翌年に『Life magazine』の表紙も飾った。

死去[編集]

1980年3月1日、ウィルヘルミーナ・クーパーはコネチカット州グリニッジのグリニッジ病院にて、肺癌により40歳で死去。

大衆文化への影響[編集]

日本との関係[編集]

2014年、東京にウィルヘルミーナ・モデルズの日本法人であるモデル事務所ウィルヘルミーナ・ジャパンが設立された。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]