ウィリアム・バーンバック

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ウィリアム・バーンバックWilliam Bernbach1911年8月13日 - 1982年10月2日)はアメリカの広告代理店DDB社のコピーライターであり、創設人物の1人である。

生涯・業績[編集]

ニューヨークにドイツからのユダヤ系移民の子として生まれる。1949年ネッド・ドイルマクスウェル・ディーンの2人と共に、DDBを創設。1957年ジェット機の就航にともなうイスラエル航空の「12月23日より大西洋が20%小さくなります」という紙面に映った海面[1]を破った部分にコピーを書き込むというユニークな広告を送り出し、一躍注目を集める。その後、同代理店をアメリカの広告史において、大きな足跡を残すことになる製品と出会うことになる。

当時、BIG3が送り出す派手で大きいデトロイト産のアメリカ車が多い中で、1959年にドイツから上陸したフォルクスワーゲン・ビートルの広告キャンペーンに関わり、その当時、イラストやイメージのみの豪華さで売るアメリカ車のキャンペーンに対抗して、写真はコピーの主張に適うものに重点を置き、理知的なメッセージによる利点請求を主体とした広告制作手法である、ノン・グラフィックという手法を確立させる。このキャンペーンはアメリカ東海岸に住む知識層から反響の火がつくと、その後アメリカ国内のみならず世界中で評判を呼ぶ。このキャンペーンでビートルは1000万台以上を売り上げ、以後20年近く同キャンペーンの広告を手掛ける。

1962年にはレンタカー会社、エイビスの「自称NO'2広告」や、その翌年にはポラロイドのキャンペーンに携わり、また1964年には当時大統領選を闘っていた民主党候補のリンドン・ジョンソンの選挙CM(対する共和党候補のバリー・ゴールドウォーターが「ベトナム戦争を終結させるためなら、核兵器の使用もあり得る」とほのめかしたことから、それを逆手に取り、少女が花びらを数える様子を、核兵器使用のカウントダウンとダブらせて、最後に爆発後のキノコ雲があがるという強烈な映像を見せつけ、ジョンソン候補への投票を呼びかけた)制作を担当した。このCMは内容がショッキング過ぎたこともあってか、わずか1度だけのオンエアになったが、このCMが功を奏してジョンソンは選挙で勝利を収めることになった。またこのCMが世界で最初のネガティブ・キャンペーンのCMとなったことでも知られている。

脚注[編集]

  1. ^ 当時航空業界では、一面に海面が映ったサムネイルは、墜落における事故を想起させるものとして、クライアントであるイスラエル航空からはクレームをつけられたが、バーンバックは、これを「サービスを視覚的に理解させるための手段」として、イスラエル航空側を説き伏せた。これが同社の代表的広告制作手法である、ノン・グラフィックの先駆けともいえる。

外部リンク[編集]

  • 創造と環境 - 作家で元コピーライターの西尾忠久のブログ。過去にDDBが手掛けた広告の一部を閲覧することができる。