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ウィリアム・スタイグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィリアム・スタイグ
生誕 1907年11月14日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区
死没 (2003-10-03) 2003年10月3日(95歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・マサチューセッツ州ボストン
職業 漫画家、イラストレーター、児童文学作家、彫刻家
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
活動期間 1930年 - 2003年
代表作
主な受賞歴 コールデコット賞
1970年
全米図書賞
1983年
CINE(英語版)ゴールデン・イーグル賞
1984年
ウィキポータル 文学
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ウィリアム・スタイグ(William Steig、1907年11月14日 - 2003年10月3日)は、アメリカ合衆国の漫画家、イラストレーター、児童文学作家、彫刻家。代表作として、CGアニメーション映画『シュレック』シリーズの原作となった絵本『みにくいシュレック』が挙げられる。『ザ・ニューヨーカー』誌に漫画や表紙イラストを多数寄稿したほか、ユーモアを抑えた線画のスタイルを確立し、これはグリーティングカードや自身が出版した複数の作品集で広く用いられた。

児童書を手がけ始めたのは61歳の時であり、『ロバのシルベスターとまほうのこいし(英語版)』、『アベルの島(英語版)』、『CDC?(英語版)』、『歯いしゃのチュー先生(英語版)』など、『みにくいシュレック』以外にも30冊以上の作品を出版した。隔年で開催される国際アンデルセン賞においては、1982年に画家賞、1988年に作家賞のアメリカ代表候補にそれぞれ選出されている[1]。

生い立ちと教育

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1907年、ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区に4人兄弟の三男として生まれ[2][3]、幼少時はブロンクス区で過ごす。両親はオーストリア=ハンガリー帝国・レンベルク出身のポーランド系ユダヤ人移民であり、ともに社会主義者であった[4]。父ジョセフ・スタイグ[4]は家屋塗装工、母ローラ・イーベル・スタイグは裁縫師であり、息子たちに芸術を奨励した[4]。後年スタイグは「両親は息子たちが実業家に搾取される労働者となることも、逆に労働者を搾取する実業家となることも望まなかった。専門職を学ぶ経済的余裕がなかったため、私たちは芸術家となるよう勧められた」と語っている[4]。

幼少期には絵画に親しみ、文学、とりわけ『ピノッキオの冒険』に魅了された。高校時代も学内新聞に漫画(カートゥーン)を描く[5]。また、タッチ・フットボールや水泳競技に参加したほか、水球では大学の全米代表チームにも名を連ねるなど運動能力も発揮した。15歳でタウンゼント・ハリス・ホール予備校(英語版)を卒業[6]。しかし学業自体には関心がなく、ニューヨーク市立大学シティカレッジに2年間、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインに3年間、イェール美術学校にはわずか5日間在籍したものの[4]、いずれも中退に終わっている[6]。

漫画家・イラストレーターとして

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『ザ・ニューヨーカー』漫画

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スタイグ自身はプロスポーツ選手か船乗りを志望していた[4][5]。しかし父が世界恐慌で失業し、当時兄二人は結婚して自立しており弟もまだ幼かったため、スタイグが一家の稼ぎ手とならざるを得なくなった[4][7][8]。フリーのアーティストとして自身のイラストや漫画を雑誌社に売り始め、1930年に『ザ・ニューヨーカー』誌で最初の作品を発表すると、彼の作品は同誌の定番となった。「Small Fry」と題された連載漫画は、ブロンクスでの自身の幼少期から着想を得たもので、街頭のけんか好きな子供たちを描いていた[4][9]。スタイグは初年度に4,500ドルを稼ぎ出し、これは一家の生活費としては十二分な額であった[4]。このほか、『ヴァニティ・フェア』誌、『コリアーズ』誌などにも漫画を掲載した[3]。

後にスタイグの伝記を執筆した『ザ・ニューヨーカー』の漫画編集者リー・ローレンツ(英語版)は、著名な漫画家であるピーター・アーノ(英語版)やジョージ・プライス(英語版)とは異なり、スタイグは言葉よりも視覚を優先したユーモアを生み出したと評している[4]。

1940年代は木彫も手がけ、1949年夏にフィラデルフィア美術館で開催された彫刻展「3rd Sculpture International」に出展した。

「漫画の王様」(King of Cartoons) と讃えられたスタイグは[10][11]、その後『ザ・ニューヨーカー』誌に1,600点以上の挿絵と117点の表紙画を提供した[12]。1944年には、自身初の漫画集『Small Fry』を出版した[4]。また、彼の漫画のキャラクターである「プア・ピティフル・パール」(Poor Pitiful Pearl) は、1956年から人形シリーズとして商品化され、人気を博した[13]。

シンボリック・ドローイング

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1936年、スタイグは従来の1コマ漫画から離れ、感情をより率直に表現した「シンボリック・ドローイング(象徴的な素描)」の制作を開始した。これは、気難しい世捨て人や窃盗症など、複雑で苦悩を抱える人物を描いた線画である[4]。この画風はナプキンや文房具などの図案として人気を集め、グリーティングカード業界に、聞き心地のよい励ましの言葉から現実的な感情表現への転換をもたらした[4]。スタイグは1939年の『About People』を皮切りに、シンボリック・ドローイングの作品集を複数出版しており、後に「人間のあり方を向上させる一助となるよう意図したものだった」と語っている[14]。

1942年の『The Lonely Ones』の発表後、スタイグはカルト的な人気を博し、E・E・カミングスからは自身が尊敬する数少ないアメリカ人の一人として称賛された。W・H・オーデンは、スタイグの素描をフランシスコ・デ・ゴヤの『戦争の惨禍(英語版)』になぞらえている[14]。1944年には3作目の作品集『All Embarrassed』を出版した。2番目の妻と再婚した直後の1951年に出版した『The Rejected Lovers』は、片思いの悲恋をテーマにしている[4]。スタイグは生涯で3度の離婚歴があり、3番目の妻との結婚生活は2年で破綻している。

『ザ・ニューヨーカー』誌にこれらのシンボリック・ドローイングが掲載されるようになったのは、1952年にウィリアム・ショーンが編集長に就任してからのことである。前任のハロルド・ロスが、作品そのものはスタイグの卓越した才能を示すものとして称賛していたものの、同誌に載せるには「極めて個人的であり、面白さに欠ける」と判断していたためである。

1934年、ラングストン・ヒューズがスコッツボロ・ボーイズ(英語版)(強姦の冤罪を着せられ、公正な裁判を拒否された9人のアフリカ系アメリカ人)の弁護資金を集めるためのオークションを主催した際、スタイグは無題のオリジナル原画1点と別の作品の複製1点を提供して支援した[15]。

児童文学作家として

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スタイグが児童文学に転向したのは61歳の時である。『ザ・ニューヨーカー』の同僚漫画家であり、1967年にハーパー&ロウ(英語版)傘下で出版レーベル「ウィンドミル・ブックス」を立ち上げたばかりのロバート・クラウス(英語版)に勧められたことがきっかけであった[4]。1968年4月、『ぶたのめいかしゅローランド』(Roland the Minstrel Pig) でデビュー[16]。同年9月、『CDB!(英語版)』を出版。同書の内容はアルファベットの大文字のみで構成され、その発音を英単語に見立てて読むというものであった(たとえば「CDB」は「see the bee(蜂を見て)」)[4]。続く3作目『ロバのシルベスターとまほうのこいし(英語版)』(Sylvester and the Magic Pebble, 1969年)はコールデコット賞を受賞した[17]。しかし、同作では警察官が無能な豚として描かれていたため、国際警察官協会(英語版)から侮辱的であるとの抗議を受け、1970年に一部地域で発禁処分となった[4]。

その後もスタイグは90代に至るまで執筆を続け、30作を超える児童書を出版した[4]。1970年代に入ると、ファラー・ストラウス&ジルー(英語版)の編集者マイケル・ディ・カプアとともに、『ドミニック』(Dominic, 1972年)、『アベルの島(英語版)』(Abel's Island, 1976年)、『ものいうほね(英語版)』(The Amazing Bone, 1976年)などの児童向け長編小説の出版を始めた。並行して絵本の執筆も続け、『歯いしゃのチュー先生(英語版)』(Doctor De Soto, 1982年)、『CDB!』の続編『CDC?(英語版)』(1984年)、『ゆうかんなアイリーン』(Brave Irene, 1986年)などを発表した。『アベルの島』はニューベリー名誉賞およびフェニックス賞オナー、『歯いしゃのチュー先生』は全米図書賞を受賞している。

モーリス・センダックはスタイグについて、「奇抜で複雑な言葉遣いこそが彼の魅力であり、子供たちはその言葉の響きを好むのだ」と称賛している。『歯いしゃのチュー先生』では、ネズミの歯科医が患者のキツネに食べられないようにするため、キツネの上下の歯を接着してしまう描写がある。治療を終えたキツネが歯科医に対し、口が開かないため「Frank oo berry mush.」(和訳書では「とも、ありかと」)と感謝を伝える場面が描かれている[4]。

1984年、マイケル・スポーン(英語版)監督によって『歯いしゃのチュー先生』がアニメーション化され、アカデミー短編アニメ賞にノミネートされた。スタイグはこの映画化作品により、1984年度のCINE(英語版)ゴールデン・イーグル賞(教育部門)[18]を受賞している。さらに、妻のジーン・スタイグとも共同制作を行い、『Consider the Lemming』(1988年)や『Alpha Beta Chowder』(1992年)などの作品を残した[4]。

シュレック

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スタイグは83歳の時に、自身の最も有名な児童文学『みにくいシュレック』(Shrek!, 1990年)を出版した。彼は同作の映画化権としてドリームワークス・アニメーションから50万ドルを得たと述べており、これがCGアニメーション映画『シュレック』(2001年)として映画化された[4]。スタイグはこの映画の上映会に出席し、「下品で、不愉快だ——気に入ったよ」と評している[19]。2004年の『シュレック2』公開により、スタイグは、続編1本のみで劇場公開および二次展開から10億ドル以上の収益を上げたアニメーション映画シリーズにおいて、史上初となる単独の原作者となった[20]。

芸術的影響

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スタイグはパブロ・ピカソから最も大きなインスピレーションを受けたと語っている。ピカソの評価をめぐる意見の相違から、長年の友人と絶交したこともあったという[9]。また、幼少期には特に『ピノッキオの冒険』に夢中になったと述べており、自身の作品がそれと比較されることもある。子供の頃から幅広いジャンルの本や映画に触れており、その他の影響を受けた作品として、『ロビンソン・クルーソー』や『ロビン・フッド』、チャーリー・チャップリンの映画、新聞連載漫画の『カッテンジャマー・キッズ(英語版)』、エンゲルベルト・フンパーディンクのオペラ『ヘンゼルとグレーテル』などを挙げている[8]。このほか、スチュアート・デイヴィス、アルバート・ライダー、チャック・クロース(英語版)などの芸術家も高く評価していた[9]。

また、スタイグは精神分析学者ヴィルヘルム・ライヒの活動に強い関心を抱いており、彼に命を救われたと語るほどであった[19]。ライヒのセラピーを40回受診したほか、オルゴン・エネルギーのレベルを変化させると信じた装置の中に毎日入って時間を過ごした[4]。1950年代にはライヒの著書『Listen, Little Man!』の挿絵を担当し[4]、親による子供の抑圧を描いた自身の著書『Agony in the Kindergarten』をライヒに献呈している。サラ・ボクサー(英語版)は『ニューヨーク・タイムズ』紙に寄せたスタイグの追悼記事において、ライヒの存在は「社会や政府が子供や大人に押し付ける抑圧から人々は解放されるべきだという、スタイグの信念を裏付けるものであった」と記している[4]。

私生活

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家族

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スタイグは生涯で4度結婚し、3人の子をもうけている。1936年に文化人類学者マーガレット・ミードの妹で教育家・芸術家のエリザベス・ミード・スタイグ(1909年 - 1983年)と結婚し[4][21]、二人の間には息子ジェレミーと娘ルシンダが生まれた。一時期、スタイグはマンハッタンで最も狭い家といわれる「75½ Bedford Street(英語版)」に住んでいた[22]。この最初の結婚により、レオ・ロステンとは義兄弟に[21]、メアリー・キャサリン・ベイトソンは姪にあたる関係となった[23]。ジェレミーはジャズ・フルート奏者となり、『シュレック フォーエバー』でハーメルンの笛吹き男を演じている[24][25]。1949年に離婚し、1950年には2番目の妻カリ・ホームステッドと再婚。彼女との間には娘マーギット・ローラ(現在はマギー・スタイグの名で活動)をもうけた[26]。彼女との離婚後、1964年から1966年にかけてステファニー・ヒーリーと結婚していた。1968年にはジーン・ドロンと最後の結婚をし、生涯をともにした。1972年、夫妻はニューヨーク市からコネチカット州の田園地帯へと移住した[14]。さらに1992年には、コネチカット州ケント(英語版)からボストンのバック・ベイ(英語版)へ転居している[9]。

長兄アーウィンはジャーナリスト・画家で、ウィリアムは彼のポーカー戦略本2冊のために挿絵を描いた。次兄ヘンリーは宝石職人・作家・サクソフォーン奏者・画家、弟アーサーは作家・詩人となった。ウィリアムによれば、アーサーは幼時から『ネイション』誌を読み、テレパシー的で「ピカソやマティスと同じくらい絵がうまかった」という[6]。

生活様式と死去

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スタイグは日常的に絵を描いていたが、自身の携わる分野を「消えゆく芸術様式」と呼び、自作の多くに対して感傷を抱くことはなかった[4]。かつてロジャー・エンジェル(英語版)に対し、より多くの自由を望んでおり、「家族は厄介な存在だと常に感じていた」と語ったことがある。しかし、彼自身もその作品の登場人物たちも、最終的には常に家族の下へと帰着した[4]。また、ある意味で自身を子供らしいと表現しており、「自分は他の人々とは少し違う感じ方をしているのだと思う。どういうわけか、大人になったと感じたことがない」と述べている[4]。

2003年10月3日、老衰のためボストンの自宅にて95歳で死去[3][27][28]。遺族には妻ジーン、3人の子、2人の孫がいた[4]。自身の子供時代についての自叙伝的な作品である[4]『みんなぼうしをかぶってた』(When Everybody Wore a Hat, 2003年)が生前最後の作品となった。

没後7か月を経て公開された『シュレック2』はスタイグの追悼に捧げられ[4]、クレジットタイトルには“In memory of William Steig, 1907–2003”(ウィリアム・スタイグ先生(1907年 - 2003年)を偲んで)という一文が添えられた。

主な作品

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漫画

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  • 1932年 - Man About Town
  • 1939年 - About People: A Book of Symbolical Drawings
  • 1942年 - The Lonely Ones
  • 1944年 - All Embarrassed
  • 1944年 - Small Fry
  • 1945年 - Persistent Faces
  • 1953年 - Dreams of Glory, and Other Drawings
  • 1979年 - William Steig: Drawings
  • 1984年 - Ruminations

挿絵

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児童文学

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合作含む

  • 1968年 - Roland the Minstrel Pig
  • 1968年 - CDB!
  • 1969年 - Sylvester and the Magic Pebble
    • 『ロバのシルベスターとまほうのこいし』 瀬田貞二訳、評論社
  • 1969年 - Rotten Island
  • 1971年 - Amos and Boris
    • 『ねずみとくじら』 瀬田貞二訳、評論社
  • 1972年 - Dominic
  • 1973年 - The Real Thief
    • 『ぬすまれた宝物』 金子メロン訳、評論社
  • 1974年 - Farmer Palmer's Wagon Ride
    • 『ばしゃでおつかいに』 瀬田貞二訳、評論社
  • 1976年 - Abel's Island
  • 1976年 - The Amazing Bone
    • 『ものいうほね』 瀬田貞二訳、評論社
  • 1977年 - Caleb & Kate
    • 『ケーレブとケート』 あそうくみ訳、評論社
  • 1978年 - Tiffky Doofky
  • 1980年 - Gorky Rises
  • 1982年 - Doctor De Soto
    • 『歯いしゃのチュー先生』 内海まお訳、評論社
  • 1984年 - CDC?
  • 1984年 - Doctor De Soto Goes to Africa
    • 『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』 木坂涼訳、セーラー出版
  • 1984年 - Yellow & Pink
    • 『きいろとピンク』 小川悦子訳、セーラー出版
  • 1985年 - Solomon: The Rusty Nail
    • 『くぎになったソロモン』 小川悦子訳、セーラー出版
  • 1986年 - Brave Irene
    • 『ゆうかんなアイリーン』 小川悦子訳、セーラー出版
  • 1987年 - The Zabajaba Jungle
    • 『ザバジャバジャングル』 小川悦子訳、セーラー出版
  • 1988年 - Spinky Sulks
    • 『いやだいやだのスピンキー』 小川悦子訳、セーラー出版
  • 1990年 - Shrek!
  • 1992年 - Alpha Beta Chowder
  • 1994年 - Zeke Pippin
    • 『ジークの魔法のハーモニカ』 木坂涼訳、セーラー出版
  • 1996年 - The Toy Brother
    • 『ちいさくなったおにいちゃん』 木坂涼訳、セーラー出版
  • 1998年 - A Handful of Beans: Six Fairy Tales
  • 1998年 - Pete's a Pizza
    • 『ピッツァぼうや』 木坂涼訳、セーラー出版
  • 2000年 - Made for Each Other
  • 2000年 - Wizzil
  • 2001年 - A Gift from Zeus
  • 2002年 - Potch & Polly
  • 2003年 - When Everybody Wore a Hat
    • 『みんなぼうしをかぶってた』 木坂涼訳、セーラー出版
  • 2003年 - Yellow & Pink [新装版]
    • 『きいろとピンク』 おがわえつこ訳、セーラー出版

出典

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  1. ↑ "Candidates for the Hans Christian Andersen Awards 1956–2002" Archived September 27, 2016, at the Wayback Machine.. The Hans Christian Andersen Awards, 1956–2002. IBBY. Gyldendal. 2002. Pages 110–18. Hosted by Austrian Literature Online (literature.at). Retrieved July 14, 2013.
  2. ↑ Tucker, Nicholas (2003年10月7日). “William Steig” (英語). インデペンデント. 2009年11月7日閲覧。
  3. 1 2 3 “Obituary: William Steig 1907-2003” (英語). The Comics Reporter (2003年11月30日). 2008年8月5日閲覧。
  4. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 Boxer, Sarah (October 5, 2003). “William Steig, 95, Dies; Tough Youths and Jealous Satyrs Scowled in His Cartoons”. The New York Times. 2010年11月15日閲覧. Corrected October 7 and 27.
  5. 1 2 “William Steig Biography” (英語). Pippin Properties, Inc. 2010年10月3日閲覧。
  6. 1 2 3 Boxer, Sarah (November 29, 1997). “Wry Child of the Unconscious; William Steig, 90, on Art, Life and the Mysterious Orgone”. The New York Times. 2008年6月15日閲覧.
  7. ↑ “The King Of Cartoons”. Newsweek (1995年5月14日). 2025年4月4日閲覧。
  8. 1 2 Luther, Claudia (October 5, 2003). “William Steig, 95; Children's Book Author Drew Many Covers for the New Yorker”. Los Angeles Times. 2025年4月4日閲覧.
  9. 1 2 3 4 Angell, Roger (1995年2月13日). “The Minstrel Steig”. The New Yorker (アメリカ英語). ISSN 0028-792X. 2026年5月24日閲覧.
  10. ↑ Hawtree, Christopher (2003年10月7日). “Obituary: William Steig” (英語). ガーディアン. 2008年8月5日閲覧。
  11. ↑ Nahson, Claudia J.; Sendak, Maurice; Cottingham, Robert; Sorel, Edward; Steig, Jeanne; Steig, Maggie (November 1, 2007). The Art of William Steig. New York: Yale University Press, in associate with the Jewish Museum. ISBN 978-0-300-12478-1.
  12. ↑ “William Steig” (英語). ブリタニカ百科事典 (2008年). 2008年8月5日閲覧。
  13. ↑ “Poor Pitiful Pearl & Her Creator, William Steig”. VintageDollCollector.com. 2020年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年6月16日閲覧。
  14. 1 2 3 Allender, David (1987年7月24日). “Steig at 80”. Publishers Weekly. 2026年5月24日閲覧。
  15. ↑ Hughes, Langston. "PAINTINGS, DRAWINGS, PHOTOGRAPHS, ETC." Auction items, 5 pp. typed. Beinecke Rare Book & Manuscript Library, Yale University, James Weldon Johnson Collection, Langston Hughes Papers; JWJ MSS 26, Box 512, folder 12721: Series XIV. Personal Papers, Project Files; National Committee for the Defense of Political Prisoners (Scottsboro exhibition and sale).
  16. ↑ Puig, Claudia (2001年5月30日). “'Shrek!' author exclaims his approval of film”. USA Today. 2012年2月3日閲覧。
  17. ↑ "Caldecott Medal & Honor Books, 1938–Present". Association for Library Service to Children (ALSC). American Library Association (ALA).
      "The Randolph Caldecott Medal". ALSC. ALA. Retrieved July 15, 2013.
  18. ↑ “cine.org”. 2011年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月20日閲覧。
  19. 1 2 “The man behind Shrek” (英語). The Seattle Times (2008年8月10日). 2022年2月24日閲覧。
  20. ↑ “The Numbers - Where Data and the Movie Business Meet”. The Numbers. 2017年5月26日閲覧.
  21. 1 2 Banner, Lois W. (2010). Intertwined Lives: Margaret Mead, Ruth Benedict, and Their Circle. Knopf Doubleday Publishing Group. ISBN 9780307773401
  22. ↑ Gray, Christopher (November 10, 1996). “For Rent: 3-Floor House, 9 1/2 Ft. Wide, $6,000 a Month”. The New York Times. 2015年12月14日閲覧.
  23. ↑ Brinthaupt, Thomas M.; Lipka, Richard P. (2002). Understanding Early Adolescent Self and Identity: Applications and Interventions. SUNY Press. ISBN 9780791453346
  24. ↑ Balliett, Whitney (1964年10月10日). “A Creative Thing”. The New Yorker (アメリカ英語). ISSN 0028-792X. 2026年5月24日閲覧.
  25. ↑ Keepnews, Peter (June 3, 2016). “Jeremy Steig, Flutist Who Bridged Jazz and Rock, Dies at 73 (Published 2016)”. The New York Times. 2018年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2026年6月16日閲覧.
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  28. ↑ “Cartoonist Steig Dead at 95”. Studio Briefing. October 7, 2003.

外部リンク

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