ウィックス級駆逐艦

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ウィックス級駆逐艦
Wickes dd75.jpg
基本情報
種別 駆逐艦
命名基準 海軍功労者。一番艦はランバート・ウィックス大尉に因む。
運用者  アメリカ海軍
 イギリス海軍(貸与艦)
建造期間 1917年 - 1921年
就役期間 1918年 - 1946年
同型艦 111隻
前級 コールドウェル級
次級 クレムソン級
船体諸元
常備排水量 1,090トン[1]
満載排水量 1,247トン
全長 95.82 m
水線長 94.5 m
全幅 9.43 m
吃水 2.74 m
動力機関
ボイラー 水管ボイラー×4缶
主機関 蒸気タービン×2基
推進器 スクリュープロペラ×2軸
出力 24,200馬力
速力 35.3ノット
航続距離 2,500海里 (20kt巡航時)
人員・装備
乗組員 114名
火器 竣工時
50口径4インチ砲×4基
23口径3インチ砲×1基
・21インチ3連装魚雷発射管×4基
1940年
50口径3インチ砲×6基
12.7mm単装機銃×4基
爆雷投下軌条2基
最終時
・50口径3インチ砲×6基
40mm単装機銃×2基
エリコンSS 20mm機銃×5基
爆雷投下軌条2基 
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ウィックス級駆逐艦(ウィックスきゅうくちくかん、英語: Wickes-class destroyers)は、アメリカ海軍駆逐艦の艦級[2]

来歴[編集]

1914年第一次世界大戦勃発当時、アメリカ合衆国モンロー主義を掲げていたこともあって積極参戦は行わなかったものの、軍備強化の気運は劇的に高まった。この情勢を受けて、1916年8月には大艦隊法(ダニエルズ計画)が議会を通過、海軍の大拡充が開始された。アメリカ海軍は駆逐艦の建造開始が遅かったこともあり、その保有数は英独と比して大きく劣っており、増強は急務であった。このことから、1916年度計画で建造されていたコールドウェル級をもとに、所定の改正を加えた量産用の高速駆逐艦として開発されたのが本級である[2][3]

設計[編集]

本級の基本設計はバス鉄工所ベスレヘム造船が担当した[4]。上記の経緯より、基本的にはコールドウェル級が踏襲されており、平甲板船型も同様である。しかし高速力発揮が求められたことから、水線下形状はより抵抗が少ないものに改められた。特に船底のキールラインはイニシャルトリムをなくして水平にされた。機関重量増加もあり、船体深さも増しているが、それ以外の主要寸法はコールドウェル級と同様である[5]

本級ではレキシントン級巡洋戦艦オマハ級軽巡洋艦との艦隊行動のため、35ノットの速力が求められた。このため、機関出力はコールドウェル級の15~30パーセント増とされている[6]。ただし短期間で量産する必要から、建造する造船所に主機方式の選択を任せた結果として非常に多彩になり、特に機関関係の面でムラが生ずる事となった[4]

配備[編集]

建造はバス鉄工所、ベスレヘム造船、フォアリバー造船株式会社、ウィリアム・クランプ・アンド・サンズ造船所が担当した。まずダニエルズ計画に基づき、1916年度計画で50隻が建造された。そして1917年4月6日にアメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦したことに伴い、1917年度計画では、更に61隻が追加建造された。なお1917年度計画では改良型のクレムソン級も建造されており、以後の建造はこちらに移行した[3]。前級のコールドウェル級、および後に建造されたクレムソン級とともに「平甲板型」の中核を成し、何隻かは第一次世界大戦の最後の戦いに間に合った[4]

本級を含む平甲板駆逐艦は非常に多数が建造されており、不況の影響もあって、戦後しばらくは駆逐艦の新規建造は行われなかった。しかし1931年度計画よりファラガット級の建造が開始されたこともあって、1930年代に入ると除籍が開始され、第2次世界大戦の勃発までに32隻が除籍された[4]。また除籍艦の他、6隻が高速輸送艦(APD)に、18隻が機雷敷設機構を装着し軽敷設艦(DM)に、9隻が高速掃海艦(DMS)にそれぞれ転籍した[4]。その他、22隻がイギリス海軍にタウン級駆逐艦として貸与された[4]。またソビエト連邦海軍に貸与された艦もある。アメリカ海軍に残った艦のうち、大西洋方面配備艦は船団護衛艦として改装され、燃料庫を増設して航続距離を延長し、従来の砲と魚雷発射管を撤去して小型の両用砲と対空、対潜装備を充実させた[4]

本級の一隻である「ワード」は、ワード号事件において、日本の特殊潜航艇と交戦・撃破している。大西洋配備艦は中立パトロールに従事した後、参戦後は護衛駆逐艦の大量就役までの間、Uボート攻撃の主役を演じた[4]。駆逐艦籍にとどまった艦や他艦種に転籍した艦も、1945年までには雑役任務に回る事となった[4]。戦争終結前後に全艦除籍され、1947年までに解体された。

参考文献[編集]

  1. ^ Randal Gray (1984). Robert Gardiner. ed. Conway's All the World's Fighting Ships 1906-1921. Naval Institute Press. p. 124. ISBN 978-0870219078. 
  2. ^ a b 中川務「アメリカ駆逐艦史」、『世界の艦船』第496号、海人社、1995年5月、 38-45頁。
  3. ^ a b 中川務「アメリカ駆逐艦建造の歩み」、『世界の艦船』第496号、海人社、1995年5月、 141-147頁。
  4. ^ a b c d e f g h i M・J・ホイットレー 『第二次大戦駆逐艦総覧』 岩重多四郎(訳)、大日本絵画2000年、258頁。ISBN 978-4499227100
  5. ^ 「船体 (技術面から見たアメリカ駆逐艦の発達)」、『世界の艦船』第496号、海人社、1995年5月、 150-155頁。
  6. ^ 阿部安雄「機関 (技術面から見たアメリカ駆逐艦の発達)」、『世界の艦船』第496号、海人社、1995年5月、 156-163頁。

外部リンク[編集]