ウィスキー税反乱

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ジョージ・ワシントンとその部隊、 西ペンシルベニアでのウィスキー税反乱を抑圧するために向かうところ

ウィスキー税反乱(ウィスキーぜいはんらん、英:Whiskey Rebellion、または使用頻度は低いがウィスキー税暴動、英:Whiskey Insurrection)は、ペンシルベニア州のモノンガヘラ川流域にあるワシントン近くで、1791年に始まり1794年の暴動にまで高まった民衆の蜂起である。ジョージ・ワシントン政権にあって政府は国債を償還するためにウィスキーに課税することを決めた。このことが市民を激高させ、反乱に繋がった。

1791年の課税[編集]

新生間もないアメリカ合衆国政府は、初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンの呼びかけで、アメリカ独立戦争時の国としての負債を引き受けた。1791年、ハミルトンはアメリカ合衆国議会に蒸留酒と運送費に課税することを認めさせた。この課税にハミルトンが与えた主な理由は国債を償還することだったが、「歳入減というよりも社会的規律を保つ手段」として課税を正当化した[1]。しかし最も重要なことは、ハミルトンが「新しい連邦政府の権力を高め確実にすることを望んだ」ということだった[2]

連邦議会はこの税制を、小さな蒸留業者はガロン当たりで、大量に生産する大きな蒸留業者は定額で税金を払えるように工夫した。その与えた影響は大事業者よりも小事業者に大きかった。当時の大統領ジョージ・ワシントンはそのようなウィスキー大事業者の1人だった。大事業者の税率はガロン当たり6セントと評価され、小事業者の場合はガロン当たり9セントだった[3]。しかし、西部の開拓者達はまず初めに現金が足らず、市場から遠くて良い道路も無く、比較的持ち運び容易な蒸留酒に発酵し蒸留する以外、穀物を市場に出す実際的手段が無かった。さらに西部の農夫の間では、ウィスキーは交換の道具、すなわち物々交換の商品として使われることが多かった。

ウィスキーに対する課税は、日が経つに連れて辺境のコーヒア(南部山岳地の農民)の間で痛切に激しく反対が上がった。西部の農夫は伝統的に余った穀物を酒類に転換していたために、不公平で差別だと考えた。課税の趣旨はウィスキーを製造する者に影響し、購入する者には掛からなかったので、多くの農夫に直接影響した。多くの抗議集会が開かれ、アメリカ独立戦争の前の1765年印紙法に対する反対を連想させる状況が起こった。

ペンシルベニア州からジョージア州まで、西部(この時代は現在の東海岸の西部山岳地)の郡部は連邦政府の収税官に嫌がらせをする運動に関わった。「ウィスキー・ボーイ」がメリーランド州バージニア州ノースカロライナ州およびサウスカロライナ州で暴力的な抗議も行った[4]

暴動[編集]

1794年夏までに、開拓者達の主要な市場商品が連邦政府の税制で脅かされるようになり、西部辺境中の緊張感は熱狂的なレベルまで達した。最終的に市民の抗議行動は武装蜂起になった。最初に発砲事件が起こったのはペンシルベニア州ピッツバーグから約10マイル (16 km)南、現在のサウスパーク・タウンシップにあるオリバー・ミラー・ホームステッドでだった。反乱の報せが辺境中に広まり、郵便物を奪ったり、裁判の進行を止めたり、ピッツバーグを襲撃すると脅すなど、組織力のあまりない一つの流れの抵抗手段が採られた。ある集団は女装して収税官を襲い、毛髪を刈り込み、タールと羽根を塗りたくり(当時のリンチの1種)、その馬を盗んだ。

ジョージ・ワシントンとアレクサンダー・ハミルトンは、丁度8年前のシェイズの反乱を思い出し、連邦政府の権威を示す場としてペンシルベニア州を選んだ。ワシントンは連邦保安官に、税の抗議者に連邦地区裁判所に出頭することを要求する裁判所命令に従わせるよう命令した。1794年8月7日、ワシントンはペンシルベニア州、バージニア州など幾つかの州で民兵隊を招集する戒厳令を行使した。民兵隊の戦う反乱軍は同様にペンシルベニア州、バージニア州および恐らくはその他の州からの者で構成されていた[5]

12,950名にもなる民兵軍が組織されたが、これは独立戦争のときの全軍にほぼ相当した。ワシントン、ハミルトンおよび独立戦争の英雄であるヘンリー・"ライトホース"・ヘンリー・リー将軍が自らこの軍隊を率い、ハリスバーグで集結してワシントンの作戦本部があるペンシルベニア州ベッドフォードに行軍し、続いて10月にはペンシルベニア州西部(現在のモノンガヘラ)に動いた。ジェファーソンに拠れば反乱軍が「見つけられることはなかった」が、民兵隊はかなり努力して20名ほどの捕虜を捕まえ、明らかに連邦政府における連邦党の権威を誇示した。拘束された者達のうち、1人が死に、フィリップ・ヴィゴル(後にフィリップ・ウィゴールと改名)が反逆罪で有罪とされ、絞首刑による死刑を宣告された。しかし、ワシントンは、1人が「馬鹿者」であり、もう1人は「狂人」であるという理由で恩赦にした[6]

わずか2人が逮捕され収監された。ロバート・フィルソン判事と敬虔なクエーカー教徒ハーマン・ハズバンドだった。フィルソンはワシントンが釈放したが、ハズバンドは釈放される前に監獄で死亡した。

11月までに数人が、「合衆国の法律に反対して扇動的行動を行うときに幇助し教唆した」罪で罰金を科され、1796年1月に次の者達が5ないし15シリングの科料を言い渡された。ブラザース・バレー・タウンシップのニコラス・コーブ、アダム・ボウワー、エイブラハム・ケイブル・ジュニア、ジョン・キンメル博士、ヘンリー・フォイスト、ジェイコブ・ホーリー、アダム・ホーリー、マイケル・チンツ、ジョージ・スワートおよびアダム・スタール、ミルフォード・タウンシップのジョン・ヘミンガー、ジョン・アームストロング、ジョージ・ワイマー、ジョージ・テッドロー、エイブラハム・ミラー、ジョン・ミラー・・ジュニア、ベンジャミン・ブラウンおよびピーター・ボウワー、キューマホーニング・タウンシップのエマヌエル・ブラリアとジョージ・アンクニー、ターキーフット・タウンシップのピーター・オーガスティン、ジェイムズ・コナー、ヘンリー・エバリー、ダニエル・マッカーティ、ウィリアム・ピンカートンおよびジョナサン・ウッドサイズだった[7]

行商人トム[編集]

「行商人トム」は1790年代初期のウィスキー税反乱で指導者と考えられた。トムは収税官あるいは収税官に事務所や宿を貸した者を襲うだけでは不十分の決定された後に出てきた。その蒸留酒製造所を登録し税金を払っている者達に圧力を掛ける必要があった。要するに行商人トムは法に従うことがウィスキー税を集める行動と同じくらい軽蔑に値するという点を指摘した。ウィリアム・ホージランドはその状況を次のように語った。

貴方は「ガゼット」紙に貴方の憎むべきウィスキー税と貴方がその側に与していることを掲載することを要求するメモが貴方の家の外に貼られているの見つけるかもしれない。そうでなければ、貴方はまだ態度を改められるであろうことを約束している。トムは悪戯好きなユーモア感覚と文学好きの性格があった。「態度を改める」は穴だらけあるいは焼け焦げだらけの試みを意味した。トムは自分自身のメモも掲載し、追随者に行動を喚起し、添え状で「ガゼット」の編集者にメッセージを伝えろ、さもないと報復をうけることになると伝えていた。[8]

自分達のことを行商人トムの男達と呼ばせる集団が作られた。彼らは、行商人トムの脅しが実行されることを請合った。ある者はミンゴ・クリーク協会の指導的会員で、シェイズの反乱の生き残りであるジョン・ホルクロフトが行商人トムであると信じ、あるいはその手紙の著者がトムであると考えたが、結局わからないままだった。トムが実在の人物だったのか、あるいはウィスキー税反乱の首謀者がその指導者として創り上げた者なのかは分からず、ラッダイト運動(イギリスの機械破壊運動)の指導者としてのネッド・ラッドの役割に似ている。ホージランドは、「行商人トム」が反乱に参加した一人の偽名、すなわちnom de guerre(フランス語、仮名)であると注釈し、「トムはある人物には仮名ではなかった。かれは抵抗に対する忠実派の反対が認められないというありのままの事実だった。トムはミンゴ・クリークが擬人化されたものだ」と語った。

結果[編集]

この反乱は新しいアメリカ合衆国憲法の下で、連邦政府が国民に対して権威を示すために軍事力を使ったことでは初めての機会となった。現職の大統領が野戦で自ら軍隊を指揮したのでは、2回あるうちの1つでもあった。もう1回は、米英戦争中にイギリスワシントンD.C.を占領したときにそこから逃亡したジェームズ・マディスン大統領だった。

ウィスキー税反乱の抑圧は、ケンタッキー州テネシー州の小規模ウィスキー製造者を奨励する予期せぬ効果も生んだ。彼らはその後も暫くは連邦政府の管轄外にあり続けた。これら辺境地域では、トウモロコシが良く育ち、石灰岩が漉した水も出る場所があったので、トウモロコシからウィスキーを作り始めた。このウィスキーが後にバーボン・ウィスキーになった[9]。さらに、反乱とその抑圧は人民を連邦党から民主共和党に乗り換えさせる効果があった。このことは1794年のフィラデルフィア議会選挙で現れ、成り上がりの民主共和党員ジョン・スワンウィックが現職の連邦党員トマス・フィッツサイモンズに対して、7選挙区のうち7つ、投票総数の57%を制して圧勝した。農夫たちは真剣に怒っていた。

嫌われたウィスキー税は、ペンシルベニア州西部以外ではほとんど法的強制力がなく、ペンシルベニア州西部でも税金を集めることはあまり成功しないまま、1803年に撤廃された[10]

大衆文化の中で[編集]

戯曲家スザンナ・ローソンは『ボランティア』と題する劇場用ミュージカル笑劇のアイディアをウィスキー税反乱から得た。その歌詞にはニューカンパニーのアレクサンダー・レナグルが曲をつけ、1795年にフィラデルフィアで上演された。

L・ニール・スミスのもう一つの歴史小説、『起こりそうなブローチ』では、後の財務長官アルバート・ギャラティンが民兵隊が反乱を鎮めないよう説得し、その代わりに首都に行軍してジョージ・ワシントンを反逆罪で処刑し、憲法を連合規約の改訂版と置き換える。その結果、アメリカ合衆国は北アメリカ連合という名の自由意志ユートピアとなる。ギャラティンの決断は独立宣言の追加文の結果として出てきており、それには平行した世界では統治される者の『全会一致』の同意から権限を引き出す」という文句が含まれている。

この反乱はアルバート・フランク・ベッドーの歌『銅の釜』(Copper Kettle)(1953年)に引用されており、ジョーン・バエズが録音し、まらボブ・ディランは1970年のアルバム『セルフ・ポートレイト』に収録した。この歌には「我々は1792年以来ウィスキー税を払っていない」という節がある。

デイヴィッド・リスの小説『ウィスキー税反乱』(2008年)ではこの反乱が中心であり、開拓者や蒸留酒製造者がハミルトンと合衆国銀行に対して報復を求める。

脚注[編集]

  1. ^ Morrison, Samuel E. (1927). Oxford History of the United States 1778-1917. pp. 182. 
  2. ^ Graetz, Michael J.; Schenk, Deborah H. (2005). Federal Income Taxation: Principles and Policies. New York: Foundation Press. p. 4. ISBN 1-58778-907-8. 
  3. ^ [1]
  4. ^ What is the Whiskey rebellion of 1794
  5. ^ Virginia Border Counties During Pennsylvania's Whiskey Rebellion
  6. ^ United States v. Vigol, 29 Fed. Cas. 376 (No. 16621) (C.C.D. Pa. 1795)
  7. ^ Somerset County, PAGW - History of Bedford and Somerset, Chapter X
  8. ^ Hogeland, William (2006). The Whiskey Rebellion: George Washington, Alexander Hamilton, and the Frontier Rebels Who Challenged America's Newfound Sovereignty. Scribner. pp. 130. ISBN 978-0-7432-5490-8. 
  9. ^ http://www.tastings.com/spirits/american_whiskey.html
  10. ^ The Whiskey Rebellion: A Model For Our Time?

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • Baldwin, Leland. Whiskey Rebels: The Story of a Frontier Uprising. Pittsburgh: University of Pittsburgh Press, 1939.
  • Cooke, Jacob E. "The Whiskey Insurrection: A Re-Evaluation." Pennsylvania History, 30, July 1963, pp. 316-364.
  • Gross, David (ed.) We Won’t Pay!: A Tax Resistance Reader ISBN 1434898253 pp. 119-137
  • Hogeland, William. The Whiskey Rebellion: George Washington, Alexander Hamilton, and the Frontier Rebels Who Challenged America's Newfound Sovereignty. Scribner, 2006.
  • Kohn, Richard H. "The Washington Administration's Decision to Crush the Whiskey Rebellion." Journal of American History, 59, December 1972, pp. 567-584.
  • Slaughter, Thomas P. The Whiskey Rebellion: Frontier Epilogue to the American Revolution. Oxford University Press, 1986. ISBN 0-19-505191-2
  • Mainwaring, W. Thomas, ed. "The Whiskey Rebellion and the Trans-Appalachian Frontier." Topic: A Journal of the Liberal Arts, 45, Fall 1994 (special 93-page compilation of five papers presented at the April 1994 Whiskey Rebellion Bicentennial Conference, Washington and Jefferson College, Washington, Pa.)
  • Rothbard, Murray N. "The Whiskey Rebellion: A Model For Our Time?". Free Market, Volume 12, Number 9, September 1994.
  •  Chisholm, Hugh, ed (1911). “Whiskey Insurrection, The”. Encyclopædia Britannica (11 ed.). Cambridge University Press.