ウィキペディアの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
歴代のウィキペディアのロゴ(英語版)

本項では、ウィキペディアの歴史について記述する。ジミー・ウェールズラリー・サンガーにより、ウィキペディアが初めて公開されたのは2001年1月15日であるが、技術的・構想的にウィキペディアの基礎となった要素はそれ以前から存在していた。インターネット百科事典開発の知られている最初の試みは、リック・ゲイツ英語版による1993年のプロジェクトであったが[1]、単にフリー(無料)なのではなく、自由という意味でフリー(free-as-in-freedom)なインターネット百科事典という構想は[2]リチャード・ストールマンが2000年12月に初めて提唱したものだった[3]

ストールマンの構想は、百科事典には編集をコントロールする中央機関が存在してはならないとしており、この点で当時既存のデジタル百科事典(「マイクロソフト・エンカルタ」や『ブリタニカ百科事典』デジタル版、およびウィキペディアの前身「ヌーペディア」等)とは著しく異なっていた。1995年、ウォード・カニンガムによって「ウィキ」が開発されると、その技術と構想を用い、2001年にウェールズがサンガーと共にウィキペディアを設立した[4]。ウィキペディアは本来、インターネット百科事典プロジェクト 「ヌーペディア」を補足することを目的としていた。専門家によってのみ執筆されるヌーペディアの発展は遅々として進まず、ウィキペディアが新たな記事の草案やアイディアを供給することが期待されていた。ウィキペディアは発足後すぐに規模の面でヌーペディアを追い抜き、多言語にわたる国際的なプロジェクトへと成長した。

アレクサ・インターネットによれば、ウィキペディアは2018年9月16日時点で世界で5番目に訪問者の多いウェブサイトだった[5]。2014年の『エコノミスト』の記事によれば、毎日全インターネット利用者の約15パーセントがウィキペディアを訪問しており、月間利用者数は約4億9500万人にのぼるとされた[6]コムスコアの調査では、2015年におけるウィキペディアの月間ユニークユーザー数はアメリカ国内だけで1億1700万人以上に達していた[7]

歴史的背景[編集]

全世界に存在する知識を1カ所に集積する構想は、古代のアレクサンドリア図書館ペルガモン図書館英語版まで遡ることができるものだが、広く刊行される多目的の印刷物である「百科事典」の起源は、18世紀フランスの哲学者ドゥニ・ディドロおよび百科全書派に求められる。印刷以外の用途で自動化された機械を利用し、百科事典の機能を強化するというアイディアは、ポール・オトレによる1934年の著書『ドキュメンテーション概論英語版』に端を発し、その構想はH・G・ウェルズによる1938年のエッセイ集『世界の頭脳』や、ヴァネヴァー・ブッシュが1945年の論文『考えてみるに英語版』で示した「メメックス」というビジョンの中で一層の発展を見た[8]。さらなるマイルストーンは、1960年に始まったテッド・ネルソンによるハイパーテキスト開発プロジェクト(ザナドゥ計画)だった[8]

20世紀後半における情報技術の進歩は百科事典の形態にも変化をもたらした。『ブリタニカ百科事典』に代表される伝統的百科事典が書物という形を取っていたのに対し、1993年発売のマイクロソフトの電子百科事典「エンカルタ」はCD-ROMに収録され、さらにハイパーリンクを実装していた。その後インターネットおよびワールド・ワイド・ウェブが発達すると、インターネット百科事典の開発が可能となった。オンライン百科事典開発の知られている最初の事例は、1993年10月にリック・ゲイツ(Rick Gates)という人物が提唱した「Interpedia英語版」プロジェクトだったが[1]、このプロジェクトは最終的に1本の記事も生み出さないまま消滅した。1999年、フリーソフトウェア活動家リチャード・ストールマンは「自由で全世界的な百科事典および学習資料(Free Universal Encyclopedia and Learning Resource)」の有益性について述べた[3]。2001年1月17日には、フリーソフトウェア財団(FSF)によるフリーコンテント百科事典プロジェクト「GNUPedia英語版」が立ち上げられ、後述するヌーペディアと競合したが[9]、今日ではFSF自身が「ウィキペディアに行って貢献する」よう人々に呼びかけている[10]

ウィキペディアの構想[編集]

ウィキペディアの前身ヌーペディアのメインページ(2000年8月)

ウィキペディアは本来、ジミー・ウェールズが創設した「ヌーペディア(Nupedia)」にコンテンツを供給するプロジェクトとして着想されたものだった。ヌーペディアはウィキペディアの前身となった無料インターネット百科事典プロジェクトであり、ウェールズとティム・シェルおよびマイケル・デイヴィスが所有するウェブ広告企業「ボミス(Bomis)」が資金提供を行っていた[11][12][13]。ヌーペディアの記事は高度な専門知識を持つボランティア編集者による執筆と、数段階の複雑な査読プロセスによって初めて成立するものだった[14]。ヌーペディアはプロジェクトに関心を抱く編集者のメーリングリストを持ち、フルタイムの編集主幹として哲学の博士課程に在籍するラリー・サンガーが雇用されていたものの[15]、その記事作成ペースは極めて遅いものとなり、最初の年に完成した記事は12本に過ぎなかった[13]

より速いペースで記事を作り出すため、ウェールズとサンガーは様々な方法を模索した[12]。「ウィキ(wiki)」を利用するというアイディアは、サンガーとベン・コヴィッツの間で交わされた会話から生まれたものだった[16][17][18]コンピュータプログラマーであるコヴィッツは、ウォード・カニンガムが開発した史上初のウィキである「WikiWikiWeb」の常連利用者だった。2001年1月2日火曜日、夕食の席でコヴィッツは、サンガーに当時まだ一般的でなかったウィキの概念について説明した[16][17][18][19]ウィキが良いプラットフォームになると判断したサンガーは、ヌーペディアのメーリングリスト上で、コンテンツをヌーペディアへ供給するプロジェクトとして「UseModWiki英語版」を使ったウィキを新設することを提案した。この「Let's make a wiki」と題するメールの中で、サンガーは以下のように述べた。

これは決してふざけた提案ではない。これはヌーペディアにちょっとした機能を追加するためのアイディアだ。ジミー・ウェールズはこのアイディアが多くの人を不快にさせると考えているが、私はそうは思わない。ヌーペディアがウィキを利用することは、コンテンツを生み出すにあたって最高に「オープン」で、かつシンプルな選択だと思っている。我々はいつもヌーペディアに代わる、よりシンプルでオープンなプロジェクトについてのアイディアを話し合ってきた。ウィキはほとんど一瞬で立ち上げることができる上に、メンテナンスも最小限で済み、全般的に低リスクであるように見える。そしてウィキにはコンテンツ供給源として大きな可能性がある。私が判断する限りでは、ウィキには欠点がほとんどないと言える。

ジミー・ウェールズはウィキ導入の発案者がサンガーであることを否定している。当初のウェールズは、2001年10月に「ウィキソフトウェアの活用はラリー(サンガー)が持っていたアイディアだった」と明言していたが[20]、サンガーのプロジェクト離脱から3年が経過した2005年までに、ウェールズは彼がウィキペディアで果たした役割に異議を唱えるようになった[21][22][23]。2005年12月には、ウィキ導入の構想はボミスの従業員だったジェレミー・ローゼンフェルド(Jeremy Rosenfeld)から得たものであったと述べている[24][25][26][27]

ウィキペディアの設立[編集]

ウィキ形式のウェブサイトをヌーペディアの関連プロジェクトとすることに対し、ヌーペディアの編集者・査読者は強い拒否感を示した。そこでサンガーは新プロジェクトに「ウィキペディア(Wikipedia)」という独立した名称を与えることを考案した。2001年1月15日月曜日、ウィキペディアが独自のドメイン名「wikipedia.com」の元で開設された。ウィキペディアが使用するバンド幅サンディエゴサーバーはボミスから提供された。のちに多くのボミスの元従業員がウィキペディアに協力しており、その中にはボミスの共同創業者でCEOも務めたティム・シェルや、プログラマのジェイソン・リッチーが含まれる。

ウィキペディア上に現在も保存されている最古の記事は、2001年1月16日火曜日21時08分(UTC)に作成された「UuU」である[28][29]。2001年1月17日にはウィキペディアの設立が公式にアナウンスされ、 ヌーペディアのメーリングリスト上でウィキペディアへの参加・貢献が呼びかけられた[30]

現存するウィキペディア最古の記事である「UuU」の2001年1月16日時点での版

2001年7月25日、技術・文化系コミュニティサイト「Kuro5hin」(コロージョン)のフロントページに、ラリー・サンガーがウィキペディアおよびヌーペディアの未来について語った記事が掲載された[31]。翌7月26日に技術系ニュースサイト「スラッシュドット」で前述の記事が紹介されるとスラッシュドット効果が発生し、ウィキペディアは多くの新規訪問者・参加者を獲得した[32]。(スラッシュドットでは2001年3月にも2度、ウィキペディアについての言及があった[33][34]。)外部サイトでの紹介による急激なアクセス増加の間にも、ウィキペディアにはGoogleのような検索エンジンを介して一定のアクセスがあり、Googleからの新規訪問者は1日当たり数百人にのぼった。ウィキペディアが初めて大手のメインストリームメディア英語版で紹介されたのは2001年9月20日、『ニューヨーク・タイムズ』上でのことだった[35]

ウィキペディアの記事数は2001年2月12日に1000本を突破し、9月7日には1万本に到達した。ウィキペディアの誕生後1年で2万本を超える百科事典記事が作成され、2002年8月30日時点での記事数は4万本にまで増加していた。

ウィキペディア発足時のウィキソフトウェアである「UseModWiki」は、古いデータを約1ヶ月が経過した時点で削除していたため、長きにわたりウィキペディアの最初期の編集記録は失われたものと信じられていた。2010年12月14日火曜日、ソフトウェア開発者のティム・スターリングは「SourceForge.net」上で、2001年1月(開設直後)から2001年8月17日までのウィキペディアにおける全ての編集を記録したバックアップ・データを発見した[36]。このデータによると、ウィキペディアで行われた最初の編集は2001年1月15日、メインページへの「This is the new WikiPedia!」というメッセージの追加だった。一方で、ジミー・ウェールズは2008年12月に、ウィキペディア最初の編集を行ったのは自分であると主張しており、その編集内容は「Hello, World!」というテスト文の投稿だったと述べた。ウェールズが編集を行ったウィキは、UseModWiki時代以前にごく短期間存在し、その後すぐ削除された古いバージョンのウィキペディアであった可能性がある[37][38]

多言語・国際化[編集]

ウィキペディアは発足直後から国際化を開始した。2001年3月16日01時38分(UTC)にドイツ語版ウィキペディアのためのサブドメイン(deutsche.wikipedia.com)が作成され、最初に発足した非英語版ウィキペディアとなった[39]。同日の13時07分(UTC)にはカタルーニャ語版ウィキペディアcatalan.wikipedia.com)が開設された[40]。その後3月20日までに日本語版ウィキペディアがドメイン名「nihongo.wikipedia.com」として作成されたが[41][42]、発足当初はローマ字の日本語しか使用できなかった。2001年5月11日前後にはフランス語版中国語版オランダ語版エスペラント版ヘブライ語版イタリア語版ポルトガル語版ロシア語版スペイン語版スウェーデン語版の各言語版ウィキペディアが立て続けに開設された[43][44]。その後まもなくアラビア語版[45]およびハンガリー語版のウィキペディアが発足した[46][47]。2001年9月28日、公式な方針として今後の非英語版ウィキペディアへの一層の注力がアナウンスされ、全ての主要言語でウィキペディアが設立される予定であること、基本文書の翻訳作業が強化されること、全言語版の共通規範が設定されること等が発表された[48]

2002年1月時点では全ウィキペディア記事の90パーセントが英語版に属していたが、2004年1月には英語版記事が全体に占める割合は50パーセント以下となり、ウィキペディアの発展とともに国際化が進行したことを示していた。2014年には全ウィキペディア記事の約85.5パーセントが非英語版のウィキペディアに属していた[49]

ウィキペディアの発展[編集]

2002年9月28日時点でのウィキペディアのメインページ

2002年3月、インターネット・バブル崩壊の影響からボミスが資金提供を中止したことを受け、ラリー・サンガーはヌーペディアとウィキペディアの両プロジェクトを離れた[50]。2002年には、いかにオープン型の百科事典を運営すべきかについてサンガーとウェールズの意見には食い違いが生じていた。両者は共に「オープンな協力作業(open-collaboration)」というコンセプトを依然支持していたが、問題を起こす編集者への対処、専門家による役割の設定、プロジェクトを成功させるための筋道などの点については対立していた。

ウェールズは、編集者によって自治され、ボトムアップの自主決定が行われるウィキペディアを推進した。ウェールズはウィキペディアの日々の運営には関与しないことを宣言する一方で、コミュニティが自己運営の方法を学び、最良のアプローチを自ら見つけることを促した。

サンガーは自身を「包摂主義者」と呼んでおり、ほとんど何にでもオープンであると述べている[51]。一方で、サンガーはWeb 2.0の世界でも専門家が果たすべき役割が存在することを提唱した。一時的に学問の世界に戻った後、サンガーは「デジタルユニバース財団英語版」に参加した。2006年、サンガーは新たなオープン型インターネット百科事典「Citizendium」(シチズンジアム)を立ち上げた。破壊的な編集行為を減らすため、シチズンジアムは実名の編集者によってのみ執筆され、「専門家による優しい指導」を得ることで記事の正確性向上を目指すものとされた。コンテンツ(記事の内容)に関する決定はコミュニティに委ねられるとされたが、一方でシチズンジアムは「ファミリー・フレンドリーなコンテンツ」という方針を提示していた[52]。サンガーは当初、プロジェクトの運営が確立されるであろう数年後にはシチズンジアムを離れる意向であると述べていた[53]

年表[編集]

2000年–2009年[編集]

2000[編集]

The Bomis staff, summer 2000
ボミス社の従業員(2000年夏)

2000年3月、ヌーペディア・プロジェクトがスタートした。ヌーペディアの目的は、専門家によって執筆された百科事典記事をフリーコンテントのライセンスで提供することにあった。ヌーペディアの創設者はジミー・ウェールズであり、編集主幹としてラリー・サンガーが雇用された。プロジェクトへの資金提供はウェブ広告企業ボミスが行った[54]

2001[編集]

2001年12月20日時点でのウィキペディアのメインページ

2001年1月、ウィキペディアはヌーペディアの付随的プロジェクトとして始まった。ウィキペディアの設置によって査読前の段階から記事の共同編集が可能となり、ヌーペディアの発展を促進することが期待されていた[55]。「ウィキペディア(Wikipedia)」という名称はサンガーが2001年1月11日に提案した[56]。ドメイン名「wikipedia.com」は1月12日に[57]、「wikipedia.org」は1月13日にそれぞれ登録された[58]

2001年1月15日、ウィキペディア英語版が正式に公開され、以来1月15日は「ウィキペディアの日」とされている。2001年3月から5月の間には、フランス語版・ドイツ語版・カタルーニャ語版・スウェーデン語版・イタリア語版のウィキペディアが開設された。2001年4月、ウェールズがウィキペディアの絶対的な編集方針である「中立的な観点」(NPOV)を正式に定義した[59][60]。NPOVのベースとなったのは、サンガーが考案したヌーペディアの「無偏見(Lack of Bias)」という方針だった[61]

2001年7月26日、ウィキペディアで初めてスラッシュドット効果が起きた[32]。2001年8月、ウェールズの新聞Wales on Sunday英語版がウィキペディアについて取り上げ、マスメディア上でウィキペディアが紹介された最初の例となった[62]。 9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生した後は、ウィキペディアのトップページにもテロ関連のニュース速報やテロ関連記事へのリンク集が現れた[63]。2001年9月、特定の分野における協同作業を促進するため「ウィキプロジェクト」が導入された[64]

2002[編集]

この年ボミスがウィキペディアへの資金提供を終了し、ラリー・サンガーがプロジェクトから離れた。最初の姉妹プロジェクト(ウィクショナリー) が立ち上げられ、最初の正式なスタイルマニュアルが公開された。

2002年1月25日、従来ウィキペディアが使用していたソフトウェア(UseModWiki)に代わり、「フェーズⅡ」と呼ばれるマグナス・マンスケ英語版制作の専用ウィキソフトウェアが導入された。7月にはフェーズⅡソフトウェアがリー・ダニエル・クロッカー英語版の手で大幅に改良されて「フェーズⅢ」となり、フェーズⅢソフトウェアはその後「MediaWiki」と改称された。

2002年2月、将来的な検閲やボミスによる商業化といったリスクへの懸念から、スペイン語版ウィキペディアから大多数の編集者が離脱・独立し、新たに「エンシクロペディア・リブレ」を立ち上げた[65]。一方で、ジミー・ウェールズはウィキペディアが商業広告に使われることは今後も一切ないと保証した。

この年からボットの使用が開始された。2002年10月には国勢調査のデータからアメリカの市町村の記事を自動作成するボット(Rambot)がある利用者によって制作され、このボットがウィキペディアに投稿した記事は3万3832本にのぼった[66]アンドリュー・リー英語版は「Rambot」の使用を「ウィキペディア史上最も物議を醸した行動」と評している[67]

2003[編集]

2003年、英語版ウィキペディアの記事数は10万本を突破し、次に規模の大きいドイツ語版ウィキペディアの記事数も1万本を超えた。「ウィキメディア財団」が設立され、ウィキペディアのロゴとしてジグソーピースで構成された球体のロゴが採用された。数式の記述にTeXが再導入された。

2003年7月、ウィキペディアにおける自分自身の記事の編集に反対するルールが定められた[68]。2013年10月、ドイツ・ミュンヘンでウィキペディア編集者の懇話会が初めて開かれた。2003年11月24日には自由利用できるテキストを包括する独立プロジェクトとして「ウィキソース」が設立された。

2004[編集]

2004年もウィキペディアの記事数は急増を続けた。100の言語版での総記事数は、2003年末から2004年末までの12ヶ月で50万本以下から100万本以上に倍増した。全記事に占める英語版ウィキペディアの記事の割合は50パーセント弱だった。この年ウィキペディアのサーバファームカリフォルニア州からフロリダ州に移され、カテゴリカスケーディングスタイルシートが導入された。2004年6月に中国で2週間ウィキペディアへのアクセスが遮断され、ウィキペディアがブロックされた初の事例となった。

2004年10月、合衆国第11巡回区控訴裁判所英語版での「Bourgeois対Peters裁判」に下された裁定中でウィキペディアの記事(en:Homeland Security Advisory System)が引用され、法廷意見にウィキペディアの情報が利用された最初期の例となった[69][70]

2004年9月7日、全言語版ウィキペディアのメディアファイルを包括・供給するプロジェクトとして「ウィキメディア・コモンズ」が発足した。

2005[編集]

オンライン調査会社ヒットワイズ英語版によれば、2005年にウィキペディアはインターネット上で最もよく引用されるウェブサイトとなった。ウィキペディア英語版の記事数が75万本を突破した。2005年第一四半期に実施されたウィキペディア公式の資金調達イベントで約10万ドルが集められ、その資金はサイトの成長に伴うシステムのアップグレードに使われた。2005年10月には再び中国でウィキペディアへのアクセスが遮断された。

2005年には、ある著名なジャーナリストのウィキペディア記事が荒らされ、誤った経歴が気づかれないまま数ヶ月掲載されていたことが発覚し、ウィキペディア初の大きなスキャンダルとなった。(ジョン・シーゲンソーラー ウィキペディア経歴論争)このスキャンダルが1つのきっかけとなり[71]、この種の荒らしに対抗することを目的とした方針やシステムの変更が実施された。主な変更点として、ソックパペット調査を容易にする「チェックユーザーの方針」の制定や[72]、「半保護」と呼ばれる新システムの導入[73]「存命人物の伝記」についての方針導入による存命中の人物についての記事の正確性に対する基準の厳格化が挙げられた。

ウィキマニア2005を題材にしたドキュメンタリー作品「ウィキマニア」(Wikimania – the Wikimentary

ウィキマニアの第1回大会「ウィキマニア2005」が、2005年8月4日から8日にかけてドイツ・フランクフルトの「ハウス・デール・ユーゲント」で開催され、約380人が出席した。

2006[編集]

2006年1月10日、「Wikipedia」がウィキメディア財団保有の登録商標となった[74]。2006年3月1日、英語版ウィキペディアで100万本目の記事(en:Jordanhill railway station)が作成された。2006年前半には、複数のアメリカ合衆国議会職員が秘密裏にウィキペディアの政治家記事の改変を行なっていたことが発覚(アメリカ議会職員によるウィキペディアの編集英語版)し、世間一般の関心を集めた。一方で、ウィキペディアはインターブランド所有の「Brandchannel英語版」が発表した「2006年グローバルブランド・トップ5」に名を連ねた[75]

ジミー・ウェールズは「ウィキマニア2006」で発言し、ウィキペディアは量的に十分なレベルに達したが、今後は記事の品質向上に集中する必要があると述べ、10万本の秀逸な記事英語版という目標を掲げた。「オーバーサイト」と呼ばれる新たな権限が導入された。2005年に導入された「半保護」は広く活用されるようになり、2006年には常時1000以上のページが半保護の状態に置かれていた。

2007[編集]

この年もウィキペディアは急激な発展を続け、2007年8月13日には登録利用者数が500万人以上に達した[76]。8月13日時点で、ウィキペディアには250言語版の合計で750万本の記事と、17億4000万語が存在していた[77]。英語版ウィキペディアでは1日に1,700本という安定したペースで記事が追加され続け[78]、「wikipedia.org」は世界で10番目にアクセスの多いドメイン名としてランクされた。2007年もマスメディアがウィキペディアを取り扱う機会は増加したが、その中で英語版ウィキペディアの有力メンバーによる経歴詐称が発覚し、のちに「Essjay騒動」と呼ばれる事態に発展した。2007年3月にはウィキペディアと競合するインターネット百科事典「Citizendium」(シチズンジアム)が公開された。

2007年9月9日、英語版ウィキペディアの記事数が200万本に達した[79]。2007年後半、人工言語ヴォラピュク版のウィキペディアの記事数が797本から11万2000本へと急増し、一時的に15番目に大きいウィキペディアの言語版となったが、増加分のほとんどがヴォラピュクの支持者によって自動生成されたスタブ記事であったことが物議を醸した[80][81]

MITテクノロジーレビュー』によると、英語版ウィキペディアのアクティブ編集者数は2007年に5万1000人以上となってピークを迎え、それ以後は減少傾向にある[82]

2008[編集]

多くの分野でWikiProjectsの活動が拡大した。2008年4月、ウィキペディアの全記事数が1000万本に到達した。2008年末までに英語版ウィキペディアの記事数は250万本を超えた。 The 2008年の資金調達キャンペーンでウィキペディアに寄付された金額は600万ドルを超えた[83][84]

2009[編集]

2009年6月25日22時15分(UTC)頃、歌手マイケル・ジャクソンの死亡を受けてウィキペディアは一時的にクラッシュした。ウィキメディア財団の報告によれば、マイケル・ジャクソンの項目には1時間で100万人近い訪問者があった。

2009年8月下旬までに、ウィキペディア全言語版の合計記事数が1400万本を突破した[85]。2009年8月17日04時05分(UTC)、英語版ウィキペディアで300万本目の記事「en:Beate Eriksen」が作成された[86]。2009年12月27日、ドイツ語版ウィキペディアの記事数が100万本を突破し、100万記事達成は英語版ウィキペディアに続いて2例目となった。この年、TIME誌の記事がウィキペディアを2009年のベスト・ウェブサイトの1つとして紹介した[87]

2009年にはウィキペディアのコンテンツがクリエイティブ・コモンズのライセンス下に入った。

2010年–現在[編集]

2010[編集]

2010年3月24日、ヨーロッパのウィキペディア用サーバーがオーバーヒートの問題によってオフラインとなり、フロリダのサーバー群へのフェイルオーバーが行われたが、その過程でDNSの不具合が発生し、全世界でウィキペディアがアクセス不能となった。この問題は速やかに解決されたが、DNSキャッシュの影響により一部の地域では復旧が遅れた[88][89]

2010年4月16日、ウィキメディア・プロジェクトにおける10億回目の編集が行われた。5月13日にはウィキペディアの新インターフェースが公開され、変更点・追加点には新デザインのロゴや新たなナビゲーション・ツール、リンク用ウィザード等が含まれた[90]。(旧インターフェースも利用可能なオプションとして残された) 9月21日にはフランス語版ウィキペディアで100万本目の記事が作成され、 12月12日に英語版ウィキペディアの記事数が350万本を突破した[91]

2011[編集]

ウィキペディア10周年を祝う目的で作られたケーキの一例[92]

2011年1月15日、ウィキペディアが10周年を迎え、世界中で何百ものお祝いが行われた[93]。2011年11月、インドで成長するための努力の一環として、ウィキペディアはインド国内での初の大会をムンバイで開催した[94][95]。2011年4月2日、英語版ウィキペディアの記事数は360万本を突破し、11月18日までに380万本に達した。2011年11月7日、ドイツ語版ウィキペディアにおける総編集回数が1億回を突破した。(英語版に続いて2例目)2011年11月24日には英語版の総編集回数が5億回に達した。2011年12月17日、オランダ語版ウィキペディアが記事100万本に到達した4つ目の言語版となった。

2011年8月2日、イスラエル郵便局がハイファで開催された「ウィキマニア2011」を記念した切手を作成した。これはウィキメディア・プロジェクトに関連した初の記念切手となった[96]

2011年10月4日から6日の間、イタリア議会に提出された通信傍受法案への抗議行動としてイタリア語版ウィキペディアが意図的に閲覧不能の状態にされた[97]。同じく2011年10月、ウィキメディア財団が「ウィキペディア・ゼロ」の発足を発表した。ウィキペディア・ゼロは発展途上国における携帯端末からのウィキペディア閲覧を、通信会社との提携によって無料化するためのプロジェクトであるとされた[98][99]

2012[編集]

SOPAへの抗議としてウィキペディアがサービス停止された瞬間のウィキメディア財団スタッフの様子

2012年1月16日、ウィキペディアの共同創業者ジミー・ウェールズは、アメリカ合衆国議会に提出され審議中の2つの法案、オンライン海賊行為防止法案(SOPA)および知的財産保護法案(PIPA)への抗議行動として、英語版ウィキペディアが1月18日から24時間サービス停止することを宣言した。ウェールズを含むSOPA・PIPAの反対者は、これらの法案が言論の自由とインターネットの革新への脅威であると考えていた[100]。7月10日、ロシアで提案されたインターネット規制法案への抗議として、ロシア語版ウィキペディアでも同様のサービス停止が実施された[101]

2012年3月下旬、全言語版ウィキペディア共通のデータのプラットフォームとして「ウィキデータ」が設立されることが、ドイツ・ウィキメディア協会によって公表された[102]。ウィキデータは170万ドル規模のプロジェクトであり、グーグルゴードン・アンド・ベティ・ムーア財団、およびアレン人工知能研究所英語版から資金提供を受けた[103]

2012年4月、ジャスティン・クナップ英語版が、個人のウィキペディア編集者として初めて編集回数100万回に到達し[104][105]、ジミー・ウェールズ自らがクナップの業績を讃えた[106]。さらに、ウェールズは4月20日を「ジャスティン・クナップの日(Justin Knapp Day)」とすることを宣言した[107]

2012年7月13日、英語版ウィキペディアで400万本目の記事「en:Ezbet el-Borg」が作成された[108]。2012年10月、歴史家でウィキペディアの編集者でもあるリチャード・J・ジェンセン英語版は、英語版ウィキペディアでは記事数と利用者数が急速に成長している一方で、アクティブな編集者の数は2007年以来大幅に減少していることを挙げ、英語版ウィキペディアの「完成が近づいてきている」との意見を述べた[109]

アレクサ・インターネットによると、2012年11月時点でウィキペディアは世界で6番目に人気のあるウェブサイトだった[110]。2012年12月、ダウ・ジョーンズ所有の「AllThingsD英語版」は、ウィキペディアが世界第5位のウェブサイトであると述べた[111]

2013[編集]

2013年1月22日、イタリア語版ウィキペディアは記事数が100万本を突破した5つ目の言語版となった。2013年には他にも、5月11日にロシア語版ウィキペディアが、5月16日にスペイン語版ウィキペディアが、7月15日にスウェーデン語版ウィキペディアが、そして9月24日にポーランド語版ウィキペディアが、それぞれ記事100万本を達成した。

2013年1月27日、メインベルトにある小惑星274301が、小天体命名委員会によって正式に「ウィキペディア(Wikipedia)」と名付けられた[112]。3月、ウィキデータ・データベースのフェーズ1が利用可能となり、全言語版のウィキペディアへ自動的に言語間リンクが提供された[113]

2013年4月、フランスの政府機関国内情報中央局(DCRI)がウィキペディアの検閲を試みたとして批判された。DCRIはフランス語版ウィキペディア上にあるピエール・シュール・オート軍用無線局に関する「機密情報」を削除しなければ逮捕するとウィキペディアの編集者を脅迫していた[114]

ビジュアルエディター」を紹介するプレゼンテーション

2013年7月、新編集機能である「ビジュアルエディター」が正式にデビューし、従来のウィキマークアップを使用した編集に代わってワードプロセッサ的インターフェースでの編集を可能にした[115]。同月にはスマートフォン等のモバイル端末専用のエディターも公開された[116]

2014[編集]

2014年2月、英語版ウィキペディアの印刷版(全1000巻、110万ページ以上からなる)の制作プロジェクトがドイツ人のグループによって始められた[6]インディーゴーゴーでの資金調達を目指したこのプロジェクトの目的は、ウィキペディア編集者の貢献を讃えることとされた[117]。2014年10月22日、世界初めてウィキペディアに捧げられたモニュメントが、ポーランドの街スウビツェ英語版で公開された[118]

2015[編集]

英語版ウィキペディアの500万記事達成を記念した動画

アレクサ・インターネットによると、2015年半ばの時点でウィキペディアは世界で7番目に人気のあるウェブサイトだった[119]。2015年を迎えた時点で、ウィキペディアの全291言語版の合計記事数は約3600万本であり、依然として世界最大のインターネット百科事典だった[49]。全言語版のウィキペディアにおける月間平均ページビューは約100億回に達し、月間平均ユニークユーザー数は約4億9500万人であると発表された[6][120]

「プリント・ウィキペディア」の計画について語るマイケル・マンディバーグ英語版

マイケル・マンディバーグ英語版による芸術プロジェクト「プリント・ウィキペディア英語版」は、2015年4月7日時点の英語版ウィキペディアを印刷して書籍化するというものだった。プロジェクトの一環として、マンディバーグは2015年6月、ニューヨークのアートギャラリーにおいて「From Aaaaa! to ZZZap!」と題する展示会を行い、実際に製本された106巻が1980巻分の背表紙が描かれた壁紙とともに展示された。[121]

2015年11月1日、英語版ウィキペディアで500万本目の記事「en:Persoonia terminalis」(低木の一種)が作成された。

2016[編集]

アレクサ・インターネットによると、2016年半ばの時点でウィキペディアは世界で6番目に人気のあるウェブサイトであり[122]、前年度の同時期から順位を1つ上げた。

2016年10月、モバイル版ウィキペディアのデザインが刷新された。

2017[編集]

アレクサ・インターネットによると、2017年半ばの時点でウィキペディアは世界で5番目に人気のあるウェブサイトであり[123]、再び前年から1つ順位を上げた。ウィキペディア・ゼロがイラクとアフガニスタンで利用可能になった。

2017年4月29日、トルコ政府当局によりトルコ国内からの全ての言語版のウィキペディアへのアクセスが遮断された。2017年12月28日から、中国で暗号化された日本語版ウィキペディアがブロックされた[124]

2018[編集]

アレクサ・インターネットによると、2018年中のウィキペディアは依然として世界で5番目に人気のあるウェブサイトであった[125]。新たな進展として、人工知能を利用して見逃されがちな分野の記事の草案を作成する試みが始まった[126]

ロゴの変遷[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Wikipedia of Jimmy Wales and ラリー・サンガー”. History Computer (2010年). 2012年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月9日閲覧。
  2. ^ Philosophy”. GNU. 2013年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月5日閲覧。
  3. ^ a b Stallman, Richard (2000年12月18日). “The Free Universal Encyclopedia and Learning Resource”. GNU. 2014年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月11日閲覧。
  4. ^ WikiHistory”. WikiWikiWeb. 2002年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月15日閲覧。
  5. ^ Wikipedia.org Site Info”. Alexa Internet. 2017年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。16 September 2018閲覧。
  6. ^ a b c “The future of Wikipedia: WikiPeaks?”. The Economist. (2014年3月1日). オリジナルの2014年4月8日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140408202455/http://www.economist.com/news/international/21597959-popular-online-encyclopedia-must-work-out-what-next-wikipeaks 2014年4月2日閲覧。 
  7. ^ comScore Ranks the Top 50 U.S. Digital Media Properties for January 2015”. comScore (2015年2月24日). 2015年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月17日閲覧。
  8. ^ a b Reagle, Joseph (2010). Good Faith Collaboration. The Culture of Wikipedia. MIT Press. 978-0-262-01447-2. Chapter 2: "The Pursuit of the Universal Encyclopedia".
  9. ^ Slashdot Comments | GNUPedia Project Starting”. Slashdot.org (2001年1月17日). 2010年4月13日閲覧。
  10. ^ The Free Encyclopedia Project”. GNU.org (2012年). 2012年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月20日閲覧。
  11. ^ Poe, Marshall (2006年9月). “The Hive”. The Atlantic Monthly. オリジナルの2006年12月23日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20061223004004/http://www.theatlantic.com/doc/200609/wikipedia 2007年3月25日閲覧. "Wales and Sanger created the first Nupedia wiki on 10 January 2001. The initial purpose was to get the public to add entries that would then be “fed into the Nupedia process” of authorization. Most of Nupedia’s expert volunteers, however, wanted nothing to do with this, so Sanger decided to launch a separate site called “Wikipedia.” Neither Sanger nor Wales looked on Wikipedia as anything more than a lark. This is evident in Sanger’s flip announcement of Wikipedia to the Nupedia discussion list. “Humor me,” he wrote. “Go there and add a little article. It will take all of five or ten minutes.” And, to Sanger’s surprise, go they did. Within a few days, Wikipedia outstripped Nupedia in terms of quantity, if not quality, and a small community developed. In late January, Sanger created a Wikipedia discussion list (Wikipedia-L) to facilitate discussion of the project." 
  12. ^ a b Sidener, Jonathan (2004年12月6日). “Everyone's Encyclopedia”. The San Diego Union-Tribune. オリジナルの2009年2月21日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090221005820/http://www.signonsandiego.com/uniontrib/20041206/news_mz1b6encyclo.html 2007年3月25日閲覧。 
  13. ^ a b "The Early History of Nupedia and Wikipedia: A Memoir – Part I Archived 22 July 2009 at the Wayback Machine." and "Part II Archived 8 November 2006 at the Wayback Machine.", Slashdot, April 2005. Retrieved on 25 March 2007. "The actual development of this encyclopedia was the task he gave me to work on. So I arrived in San Diego in early February, 2000, to get to work. One of the first things I asked Jimmy is how free a rein I had in designing the project. What were my constraints, and in what areas was I free to exercise my own creativity? He replied, as I clearly recall, that most of the decisions should be mine; and in most respects, as a manager, Jimmy was indeed very hands-off. Nevertheless, I always did consult with him about important decisions, and moreover, I wanted his advice. Now, Jimmy was quite clear that he wanted the project to be in principle open to everyone to develop, just as open source software is (to an extent). Beyond this, however, I believe I was given a pretty free rein. So I spent the first month or so thinking very broadly about different possibilities." —Larry Sanger.
  14. ^ Kaplan Andreas, Haenlein Michael (2014) Collaborative projects (social media application): About Wikipedia, the free encyclopedia. Business Horizons, Volume 57 Issue 5, pp.617–626
  15. ^ My resignation: Larry Sanger (meta.wikimedia.com) – "I was more or less offered the job of editing Nupedia when I was, as an ABD philosophy graduate student, soliciting Jimbo's (and other friends') advice on a website I was thinking of starting. It was the first I had heard of Jimbo's idea of an open content encyclopedia, and I was delighted to take the job."
  16. ^ a b “Ben Kovitz”. WikiWikiWeb. オリジナルの2007年4月4日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070404030625/http://c2.com/cgi/wiki?BenKovitz 2007年3月25日閲覧。  – see also Ben Kovitz' fuller account which he links from there.
  17. ^ a b Moody, Glyn (2006年7月13日). “This time, it'll be a Wikipedia written by experts”. London: The Guardian. オリジナルの2007年2月22日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070222023201/http://technology.guardian.co.uk/weekly/story/0,,1818630,00.html 2007年3月25日閲覧。 -- While casting around for a way to speed up article production, Sanger met with Ben Kovitz, an old friend, in January 2001. Kovitz introduced Sanger to the idea of the wiki, invented in 1995 by Ward Cunningham: web pages that anyone could write and edit. "My first reaction was that this really could be what would solve the problem," Sanger explains, "because the software was already written, and this community of people on WikiWikiWeb" – the first wiki – "had created something like 14,000 pages". Nupedia, by contrast, had produced barely two dozen articles. Sanger took up the idea immediately: "I wrote up a proposal and sent it [to Wales] that evening, and the wiki was then set up for me to work on." But this was not Wikipedia as we know it. "Originally it was the Nupedia Wiki – our idea was to use it as an article incubator for Nupedia. Articles could begin life on this wiki, be developed collaboratively and, when they got to a certain stage of development, be put it into the Nupedia system."
  18. ^ a b Sidener, Jonathan (2006年9月23日). “Wikipedia co-founder looks to add accountability, end anarchy”. The San Diego Union-Tribune. オリジナルの2007年10月17日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20071017041126/http://www.signonsandiego.com/uniontrib/20060923/news_lz1n23wiki.html 2007年3月25日閲覧. "The origins of Wikipedia date to 2000, when Sanger was finishing his doctoral thesis in philosophy and had an idea for a Web site." 
  19. ^ Poe, Marshall (2006年9月). “The Hive”. The Atlantic Monthly. p. 3. オリジナルの2006年11月10日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20061110160718/http://www.theatlantic.com/doc/200609/wikipedia/3 2007年3月25日閲覧。 -- Over tacos that night, Sanger explained his concerns about Nupedia's lack of progress, the root cause of which was its serial editorial system. As Nupedia was then structured, no stage of the editorial process could proceed before the previous stage was completed. Kovitz brought up the wiki and sketched out "wiki magic", the mysterious process by which communities with common interests work to improve wiki pages by incremental contributions. If it worked for the rambunctious hacker culture of programming, Kovitz said, it could work for any online collaborative project. The wiki could break the Nupedia bottleneck by permitting volunteers to work simultaneously all over the project. With Kovitz in tow, Sanger rushed back to his apartment and called Wales to share the idea. Over the next few days he wrote a formal proposal for Wales and started a page on Cunningham's wiki called "WikiPedia."
  20. ^ Wales, Jimmy (2001年10月30日). “LinkBacks?” (Email). Wikimedia. オリジナルの2011年8月21日時点によるアーカイブ。. https://www.webcitation.org/616bWRZM0?url=http://lists.wikimedia.org/pipermail/wikipedia-l/2001-October/000671.html 2007年3月25日閲覧。 
  21. ^ Mitchell, Dan (2005年12月24日). “Insider Editing at Wikipedia”. The New York Times. オリジナルの2007年10月13日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20071013084516/http://nytimes.com/2005/12/24/technology/24online.ready.html?ex=1293080400&en=431aff478b00239e&ei=5090&partner=rssuserland&emc=rss 2007年3月25日閲覧。 
  22. ^ Hansen, Evan (2005年12月19日). “Wikipedia Founder Edits Own Bio”. Wired (Wired News). オリジナルの2006年12月30日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20061230053039/http://www.wired.com/news/culture/0%2C1284%2C69880%2C00.html 2007年3月25日閲覧。 
  23. ^ Finkelstein, Seth (2009年2月12日). “What's in a name? Everything, when you're talking wiki value”. The Guardian (London). オリジナルの2013年10月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131002212052/http://www.theguardian.com/technology/2009/feb/12/wiki-answers-wikia 2009年2月12日閲覧。 
  24. ^ “Assignment Zero First Take: Wiki Innovators Rethink Openness”. Wired News. (2007年5月3日). オリジナルの2014年3月28日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140328235925/http://www.wired.com/techbiz/media/news/2007/05/assignment_zero_citizendium 2007年11月1日閲覧。  Wired.com states: "Wales offered the following on-the-record comment in an e-mail to NewAssignment.net editor [and NYU Professor] Jay Rosen ...'Larry Sanger was my employee working under my direct supervision during the entire process of launching Wikipedia. He was not the originator of the proposal to use a wiki for the encyclopedia project – that was Jeremy Rosenfeld'."
  25. ^ Rogers Cadenhead. “Wikipedia Founder Looks Out for Number 1”. 2006年10月15日閲覧。
  26. ^ Also stated on Wikipedia, on Friday 2 December 2005 permanent reference
  27. ^ Stated on Wikipedia on Monday 14 March 2005: reference
  28. ^ "Wikipedia:Wikipedia's oldest articles". Wikipedia. Retrieved on Tuesday 30 January 2007.
  29. ^ The Wikipedia Revolution by Andrew Lih.
  30. ^ Larry Sanger. "Wikipedia is up!" Nupedia-l mailing list message. Wednesday 17 January 2001.
  31. ^ Britannica or Nupedia? The Future of Free Encyclopedias”. Kuro5hin (2001年7月25日). 2001年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月5日閲覧。
  32. ^ a b Britannica and Free Content”. Slashdot (2001年7月26日). 2009年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月5日閲覧。
  33. ^ Nupedia and Project Gutenberg Directors Answer”. Slashdot (2001年3月5日). 2019年1月5日閲覧。
  34. ^ Everything2 Hits One Million Nodes”. Slashdot (2001年3月29日). 2019年1月5日閲覧。
  35. ^ "Fact driven? Collegial? This site wants you Archived 22 January 2009 at the Wayback Machine.". New York Times. Thursday 20 September 2001. Retrieved Wednesday 17 July 2013.
  36. ^ Announcement of finding of Wikipedia's earliest history. Wikimedia.org. 2010. Retrieved 5 April 2013.
  37. ^ Message by Jimmy Wales Wednesday 17 December 2008. Retrieved Saturday 30 January 2010.
  38. ^ [1]
  39. ^ Alternative language Wikipedias”. Lists. Wikimedia (2001年3月15日). 2010年4月13日閲覧。
  40. ^ History of the Catalan Homepage”. Wikipedia. 2001年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月13日閲覧。
  41. ^ The Wayback Machine: An early Japanese Wikipedia HomePage (revision #3), dated Tuesday 20 March 2001 23:00. Retrieved Tuesday 4 November 2008.
  42. ^ An Internet Archive's snapshot of 英語版ウィキペディア HomePage, dated Friday 30 March 2001, showing links to the three first sister projects, "Deutsch (German)", "Catalan", and "Nihongo (Japanese)".
  43. ^ Letter of Jason Richey to wikipedia-l mailing list 11 May 2001
  44. ^ The Documentation on the French Wikipedia mentions the date of 23 March 2001, but this date is not supported by Wikipedia snapshots on the Internet Archive, nor by Jason Richney's letter, which was dated 11 May 2001 (see below).
  45. ^ Homepage from the Internet Archive”. Wikipedia. 2001年11月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月13日閲覧。
  46. ^ Wikipedia:Announcements May 2001
  47. ^ International Wikipedia”. Wikipedia. 2010年4月13日閲覧。
  48. ^ Wikipedia: Announcements 2001
  49. ^ a b List of Wikipedias – Grand Total (updated daily)”. Wikimedia.org. 2014年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月20日閲覧。
  50. ^ Schiff, Stacy (2006年7月31日). “Know It All”. The New Yorker. オリジナルの2008年11月22日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20081122125817/http://www.newyorker.com/fact/content/articles/060731fa_fact 2009年4月25日閲覧。 
  51. ^ Anderson, Nate (2007年2月25日). “Citizendium: building a better Wikipedia”. Ars Technica. 2008年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月22日閲覧。
  52. ^ "Family-Friendly Policy" Archived 20 November 2010 at the Wayback Machine.. en.citizendium.org. Retrieved 16 November 2013.
  53. ^ Anderson, Nate (2007年2月25日). “Citizendium: building a better Wikipedia”. Ars Technica. オリジナルの2007年3月24日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070324225040/http://arstechnica.com/articles/culture/citizendium.ars 2007年3月25日閲覧。 
  54. ^ Poe, Marshall (2006年9月). “The Hive”. The Atlantic. 2006年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年1月1日閲覧。
  55. ^ Larry Sanger (2001年1月10日). “Let's make a wiki”. Nupedia-l mailing list (Internet Archive). オリジナルの2003年4月14日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20030414014355/http://www.nupedia.com/pipermail/nupedia-l/2001-January/000676.html 
  56. ^ [Nupedia-l Re: [Advisory-l] The wiki...]”. nupedia.com. 2003年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月5日閲覧。
  57. ^ Network Solutions (2007) WHOIS domain registration information results for wikipedia.com from Network Solutions Archived 27 September 2007 at the Wayback Machine.. Retrieved 27 July 2007.
  58. ^ Network Solutions (2007). "WHOIS domain registration information results for wikipedia.org from Network Solutions Archived 27 September 2007 at the Wayback Machine.". Retrieved 27 July 2007.
  59. ^ NeutralPointOfView”. Wikipedia. 2001年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月13日閲覧。
  60. ^ "A few things are absolute and non-negotiable, though. NPOV for example." in statement by Jimbo Wales in November 2003 and, in this thread reconfirmed by Jimbo Wales in April 2006 in the context of lawsuits.
  61. ^ Nupedia.com editorial policy guidelines. Version 3.31 (16 November 2000). Retrieved 7 September 2007.
  62. ^ Wales on Sunday (26 August 2001) Knowledge at your fingertips. Game On : Internet Chat.(writing, "Both Encarta and Britannica are official publications with well-deserved reputations. But there are other options, such as the homemade encyclopaedias. One is Wikipedia (www.wikipedia.com) which uses clever software to build an encyclopaedia from scratch. Wiki is software installed on a web server that allows anyone to edit any of the pages. At the Wikipedia, anyone can write about any subject they know about. The idea is that over time, enough experts will offer their knowledge for free and build up the world's ultimate hand-built database of knowledge. The disadvantage is that it's still an ongoing project. So far about 8,000 articles have been written and the editors are aiming for 100,000.")
  63. ^ October 2001 homepage screenshot shows the "Breaking News" header up top, as well as 11 September 2001 block of articles under "Current events"; the 9/11 page shows the activist nature of the page, as well as the large number of subtopics created to cover the event.
  64. ^ Wikipedia:WikiProject proposal – Wikipedia, the free encyclopedia”. English Wikipedia (2008年5月18日). 2011年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月13日閲覧。
  65. ^ Why we are here and not in Wikipedia (in Spanish, under GFDL)
  66. ^ Lih, Andrew (17 March 2009). The Wikipedia Revolution. Hachette Digital, Inc. pp. 99–106. ISBN 9781401395858. https://books.google.com/?id=AWuZAAAAQBAJ&printsec=frontcover&dq=%22Derek+Ramsey+%28Wikipedian%29%22#v=onepage&q=%22Derek%20Ramsey%20%28Wikipedian%29%22&f=false. 
  67. ^ Lih, p. 99.
  68. ^ Wikipedia:Autobiography – Wikipedia, the free encyclopedia”. En.wikipedia.org (2003年7月30日). 2010年4月13日閲覧。
  69. ^ 387 F.3d 1303 (PDF)”. 2012年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月19日閲覧。
  70. ^ Peoples, Lee (January 2010). “The Citation of Wikipedia in Judicial Opinions”. Yale Journal of Law and Technology 12 (1). オリジナルの24 February 2015時点によるアーカイブ。. http://digitalcommons.law.yale.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1055&context=yjolt. 
  71. ^ WP:BLP was started on 17 December 2005, with the narrative "I started this due to the Daniel Brandt situation". Wikipedia:Biographies of living persons
  72. ^ "CheckUser policy", Meta-Wiki. Retrieved on 25 January 2007. Checkuser function had previously existed, but was known as Espionage – for example, in the Arbitration Committee case of JarlaxleArtemis.
  73. ^ "Semi-protection policy", Wikipedia Signpost / English Wikipedia. Retrieved on 30 January 2007.
  74. ^ Wikipedia:Wikipedia Signpost/2006-01-16/Trademark registered”. Wikipedia (2006年1月16日). 2007年1月14日閲覧。
  75. ^ Similar Search Results: Google Wins 29 January 2007
  76. ^ See the special page: Special:Statistics: 5,078,036 registered user accounts as at 13 August 2007, excluding anonymous editors who have not created accounts.
  77. ^ Source: Wikipedia:Size comparisons as of 13 August 2007
  78. ^ From around Q3 2006 Wikipedia's growth rate has been approximately linear, source: Wikipedia:Statistics – new article count by month 2006–2007.
  79. ^ "English Wikipedia Reaches 2 Million Articles" Archived 8 July 2017 at the Wayback Machine.. Wikimedia Foundation, 9 September 2007. Retrieved 3 June 2012.
  80. ^ “Ciekawe wydarzenia w Internecie” (Polish). PC World (Polish). (1 December 2007). オリジナルの6 November 2013時点によるアーカイブ。. http://www.pcworld.pl/artykuly/56502/MySpace.kontra.Facebook.html#t_34252 2013年4月26日閲覧。. 
  81. ^ Yves Nevelsteen (2007年9月15日). “Volapuko jam superas Esperanton en Vikipedio” (Esperanto). Libera Folio. 2013年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月26日閲覧。
  82. ^ Simonite, Tom (22 October 2013). “The Decline of Wikipedia”. MIT Technology Review. http://www.technologyreview.com/featuredstory/520446/the-decline-of-wikipedia/ 2013年11月7日閲覧。. 
  83. ^ MSNBC Archived 5 February 2011 at the Wayback Machine..
  84. ^ Huffington Post Archived 7 December 2011 at the Wayback Machine.
  85. ^ "Wikipedia Statistics, Article count (official)" Archived 5 March 2014 at the Wayback Machine.. Wikimedia.org. December 2014. Retrieved 20 December 2014.
  86. ^ "Three million articles". Wikipedia Signpost. 17 August 2009. Retrieved 7 April 2012.
  87. ^ "Wikipedia – 50 Best Websites 2009" Archived 2 December 2011 at the Wayback Machine.. TIME. 24 August 2009. Retrieved 24 November 2011.
  88. ^ Bergsma, Mark (2010年3月24日). “Global Outage (cooling failure and DNS)”. Wikimedia Technical Blog. 2010年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月30日閲覧。
  89. ^ Perez, Juan Carlos (2010年3月25日). “Wikipedia Suffers Global Collapse”. PC World. 2010年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月30日閲覧。
  90. ^ New features”. Wikipedia. 2010年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月6日閲覧。
  91. ^ Total edits in Wikimedia projects – 1 billionth edit screenshot. Retrieved 19 November 2011.
  92. ^ Wikipedia 10”. Ten.wikipedia.org. 2013年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月26日閲覧。
  93. ^ Wikipedia celebrates a decade of edit wars, controversy and Internet dominance networkworld.com Archived 15 March 2012 at the Wayback Machine.
  94. ^ "Wikipedia hosts India conference amid expansion push" Archived 19 November 2011 at the Wayback Machine.. BBC News. 19 November 2011.
  95. ^ “Wikipedia, 10 years old, targets India”. Reuters. (2011年1月12日). オリジナルの2011年1月14日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110114211053/http://www.reuters.com/article/idUSN1116765620110112 2011年1月13日閲覧。 
  96. ^ Wikimania 2011. wikimedia.org.
  97. ^ "Italian Wikipedia Hidden To Protest WireTap Law" Archived 4 March 2016 at the Wayback Machine.. PC Magazine. Retrieved 6 October 2011.
  98. ^ Kapoor, Amit (2011年10月26日). “Wikipedia seeks global operator partners to enable free access”. Wikimedia blog. オリジナルの2015年7月17日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150717070411/http://blog.wikimedia.org/2011/10/26/wikipedia-seeks-global-operator-partners-to-enable-free-access/ 
  99. ^ Wikipedia Zero”. MediaWiki. 2012年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月27日閲覧。
  100. ^ T.J. Ortenzi, Wikipedia blackout coming 18 January, says co-founder Jimmy Wales Archived 6 March 2016 at the Wayback Machine.. The Washington Post. 16 January 2012.
  101. ^ Russian Wikipedia shuts in protest”. UKPA via Google (2012年7月10日). 2019年1月5日閲覧。
  102. ^ Wikidata announcement on Facebook”. Wikimedia Deutschland. 2016年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月28日閲覧。
  103. ^ "Wikidata to provide structured data for all Wikipedia versions" Archived 31 August 2012 at the Wayback Machine.. CNET. 30 March 2012. Retrieved 1 April 2012.
  104. ^ James Titcomb. "First man to make 1 million Wikipedia edits" Archived 19 November 2015 at the Wayback Machine.. Daily Telegraph. 20 April 2012. Retrieved 14 February 2013.
  105. ^ "Wikipedia Volunteer Editor Reaches 1 Million Edits" Archived 19 November 2015 at the Wayback Machine.. Mashable. 24 April 2012. Retrieved 14 February 2013.
  106. ^ Hardest working man on the internet passes one million Wikipedia edits”. Engadget.com. 2012年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月3日閲覧。
  107. ^ Skelton, Alissa (2012年4月23日). “Wikipedia Volunteer Editor Reaches 1 Million Edits”. Mashable. オリジナルの2015年11月19日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151119235227/http://mashable.com/2012/04/23/wikipedia-volunteer-editor/ 2012年10月24日閲覧。 
  108. ^ English language Wikipedia hits 4 million articles!”. Wikimedia UK Blog. Wikimedia UK. 2012年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月13日閲覧。
  109. ^ Rosen, Rebecca J. (2012年10月25日). “Surmounting the Insurmountable: Wikipedia Is Nearing Completion, in a Sense”. The Atlantic. 2012年10月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月27日閲覧。
  110. ^ Wikipedia.org Site Info Archived 29 February 2012 at the Wayback Machine.. Alexa.com. Retrieved 8 November 2012.
  111. ^ Archived copy”. 2013年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月3日閲覧。, by Liz Gannes; AllThingsD became a subsidiary of Dow Jones & Company Inc in 2005, and was absorbed into WSJ.com during 2013.
  112. ^ Workman, Robert (2013年2月5日). “Asteroid Re-Named 'Wikipedia'”. TechNewsDaily. 2013年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月7日閲覧。
  113. ^ Pintscher, Lydia (2013年2月13日). “Wikidata live on the English Wikipedia”. Wikimedia Deutschland. 2013年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月15日閲覧。
  114. ^ Willsher, Kim (2013年4月7日). “French secret service accused of censorship over Wikipedia page”. The Guardian (London). オリジナルの2013年9月30日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130930145033/http://www.theguardian.com/world/2013/apr/07/french-secret-service-wikipedia-page 2013年4月9日閲覧。 
  115. ^ Arthur, Charles (2013年7月2日). “Boot up: wireless contact lens, Wikipedia's visual editing, Samsung's share slide and more”. The Guardian (London). オリジナルの2013年11月4日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131104201314/http://www.theguardian.com/technology/blog/2013/jul/02/rabbit-contact-lens 2013年7月2日閲覧。 
  116. ^ "Edit Wikipedia on the go" Archived 11 March 2016 at the Wayback Machine.. Wikimedia.org. 25 July 2013. Retrieved 2 April 2014.
  117. ^ Wikipedia 1,000-volume print edition planned”. The Guardian (2014年2月20日). 2014年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月12日閲覧。
  118. ^ Day, Matthew (2014年10月10日). “Polish town to build statue honouring Wikipedia”. Daily Telegraph. 2014年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月11日閲覧。
  119. ^ Wikipedia.org Site Info”. Alexa Internet. 2017年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月9日閲覧。
  120. ^ Wikimedia Statistics” (2011年4月20日). 2011年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月14日閲覧。
  121. ^ Schuessler, Jennifer (2015年6月16日). “Moving Wikipedia From Computer to Many, Many Bookshelves”. The New York Times. オリジナルの2016年12月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161202120645/http://www.nytimes.com/2015/06/17/books/moving-wikipedia-from-computer-to-many-many-bookshelves.html 2016年12月24日閲覧。 
  122. ^ Wikipedia.org Site Info”. Alexa Internet. 2016年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月7日閲覧。
  123. ^ Wikipedia.org Site Info”. Alexa Internet. 2017年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月4日閲覧。
  124. ^ ja.wikipedia.org”. GreatFire. 2019年1月5日閲覧。
  125. ^ Wikipedia.org Traffic, Demographics and Competitors - Alexa” (英語). www.alexa.com. 2018年10月28日閲覧。
  126. ^ “AI spots 40,000 prominent scientists overlooked by Wikipedia”. The Verge. https://www.theverge.com/2018/8/8/17663544/ai-scientists-wikipedia-primer 2018年10月28日閲覧。