イーゴリ・ロジオノフ
イーゴリ・ニコラエヴィチ・ロジオノフ(И́горь Никола́евич Родио́нов, Igor Nikolayevich Rodionov, 1936年12月1日 - 2014年12月19日)は、ソビエト連邦およびロシアの軍人、政治家。ロシア連邦二代国防相、ロシア連邦議会下院国家会議副議長などを歴任。上級大将。
1936年12月1日、ペンザ州セルドブスキー地区クラキノ村に生まれる。軍人を志し、1954年、オリョール軍事戦車学校で学び、1957年に卒業後、東独駐留ソ連軍に配属され、戦車小隊長として勤務した。1964年、モスクワ軍管区学校を修了し、戦車大隊副大隊長に任命。1970年、装甲戦車兵アカデミーを金メダルで卒業。
1970年、第24自動車化狙撃師団(別名「鉄師団」)に配属され、1972年、第274連隊長に任命。1974年から副師団長。1975年、沿カルパチア軍管区の第17自動車化狙撃師団長に任命。同年、第24師団長に任命。第24師団長時代、師団は十月革命勲章を受章した。
1978年、ソ連軍参謀本部軍事アカデミーで学び、1980年に優秀で卒業。チェコスロバキア駐留軍第28軍団長、極東軍管区第5軍司令官などを経て、1985年、トルケスタン軍管区第40軍司令官として、アフガニスタン戦争に参加する。1986年、アフガニスタンから帰還し、モスクワ軍管区第一副司令官、1988年、ザカフカーズ軍管区司令官を歴任する。1989年~1996年、参謀本部軍事アカデミー校長。
アフガニスタン戦争でアレクサンドル・レーベジと強い関係ができ、レーベジの推薦で1996年7月にロシア連邦国防相に就任した。同月、新設のロシア安全保障会議議員に就任し、8月には常任議員として承認された。10月、上級大将に昇進。1996年12月に定年で軍を退役するも、国防相を留任。
1997年5月22日国防相を解任。同年6月安全保障会議常任議員を解任された。同年に当時下院国防委員会委員長だったレフ・ロフリン中将とロシア連邦共産党のヴィクトル・イリュキン下院議員によって結成された軍・国防産業・軍事科学支援運動に参加しており、旧ソ連時代の退役軍人や保守派を集めたこの団体はボリス・エリツィン政権の打倒とロフリンを担いでロシアでの軍事独裁政権の樹立を画策していたともされる[1][2]。
パーソナル
[編集]赤旗勲章、赤星勲章、二等及び三等「ソ連軍における祖国への奉仕に対する」勲章を受章。
1994年5月から「鉄師団クラブ」会長。1998年からロシア軍人労働組合中央委員会議長。
脚注
[編集]- ^ Андрей Веселов. «Мы должны были арестовать президента» Русский репортёр. 19 июля 2011, № 28 (206).
- ^ Сергей Чугунов. Как военные готовили переворот в России
公職 | ||
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先代 Mikhail Petrovich Kolesnikov (代行) |
ロシア連邦国防相 第2代:1996年 - 1997年 |
次代 イーゴリ・セルゲーエフ |