イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デインジャー

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イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デインジャー
クオリーメン楽曲
収録アルバムザ・ビートルズ・アンソロジー1
英語名In Spite of All the Danger
リリース1958年夏
規格アセテート盤
A面ザットル・ビー・ザ・デイ
録音
ジャンル
時間
  • 3分25秒(アセテート盤収録テイク)
  • 2分42秒(『アンソロジー1』収録テイク)
レーベルアップル・レコード
作詞者
作曲者
  • ポール・マッカートニー
  • ジョージ・ハリスン[注釈 2]
プロデュースパーシー・フィリップス
ザ・ビートルズ・アンソロジー1 収録曲
ザットル・ビー・ザ・デイ
(DISC 1-3)
イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デインジャー
(DISC 1-4)
スピーチ:ポール・マッカートニー
(DISC 1-5)

イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デインジャー」(In Spite of All the Danger)は、クオリーメンの楽曲である。クオリーメンが初めて録音した楽曲で、演奏には当時のメンバーであるジョン・レノンポール・マッカートニージョージ・ハリスンジョン・ダフ・ロウ英語版コリン・ハントン英語版の5人が参加している。マッカートニーが作曲し、ハリスンがギターソロを担当した関係から、作者名は「マッカートニ=ハリスン」と表記されている。レコーディングは、1958年5月から7月の間にフィリップス・サウンド・レコーディング・サービス英語版で行なわれた。

背景・曲の構成[編集]

「イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デインジャー」は、マッカートニーが1人で書いた楽曲で、1958年1月頃にアプトン・グリーンにあるハリスンの実家で書かれたとされている[3]。本作ではB7コードが使用されているが、これはマッカートニーとハリスンがリヴァプールを複数のバスで横断し、コードを知る人物(詳細は不明)の家を訪れて発見したもの[5][6]。ハリスンが本作のギターソロを書いたことから、作者名はマッカートニーとハリスンの共同名義となっている[3][7][注釈 2]

マッカートニーは、『ザ・ビートルズ・アンソロジー』で「エルヴィスの影響を受けて作ったちょっとした歌」と語っている[8]。ルイソンは著書『The Beatles – All These Years, Volume One: Tune In』で、「プレスリーの『お前が欲しくて英語版』のメロディに大きく依拠している」[3]と書いており、ウォルター・エヴェレット英語版は「リズムが近い」とし、ルイソンの記述に同意している[9]。クリス・インガムも「明確にプレスリーの『お前が欲しくて』に触発されたドゥーワップ・バラード」としている[10]。ジョン・C・ウィンは「それに倣って作られた」と述べている[11]

エヴェレットは、ビートルズの初期のほとんどの楽曲が「徹底的に全音階が使用され、メジャー・スケールにしっかりと根ざしている」とし、その例として本作を挙げている[12]。本作はEのキーで演奏され、標準的なI-I7-IV-V7-I-IV-I(E-E8-A-B7-E-A-E)という進行に従っている[13]

レコーディング[編集]

1958年7月頃[注釈 1]、クオリーメンはリヴァプールのケンジントンにあるパーシー・フィリップスの自宅でレコーディング・セッションを行ない、バディ・ホリーのカバー曲「ザットル・ビー・ザ・デイ」と「イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デインジャー」を録音した[14]。レノン、マッカートニー、ハリスンの3人がギター[注釈 3]、ロウがピアノ、ハントンがドラムを担当した[1][9]。レコーディングは、天井から吊された1本のマイクを使って行なわれたことから[9]、音量のバランスをとることは不可能だった[1]。1階のリビングルームはカーテンを閉め、カーペットを敷くことで、外からの騒音を和らげていた[1]

録音されたテイクは、そのままシェラック製78回転ディスクの両面にカットされた[9]。1977年に行なわれたインタビューでフィリップスは、「バンドは最初に15シリングしか払わなかったが、数日後に誰かが残りのお金を持って訪ねてきてレコードを買ってくれた」と振り返っている[1]

このレコーディングに先駆けて、1957年7月6日にウールトンのセント・ピーターズ教会英語版で行なわれたライブで演奏されており、当時の観客が録音したオープンリールのテープが存在している[15]

リリース・評価[編集]

アセテート盤は1枚しか制作されなかったことから、バンドのメンバー間で共有された[16]。最後にアセテート盤を手にしたロウは、25年近く保有していた[17]。1981年にロウはオークションに出品する準備をしていたが、マッカートニーがロウから直接購入し、エンジニアに依頼してレコードの音質を可能な限り復元したうえで、シングル盤を約50枚制作し、プライベートで家族や友人にプレゼントした[18]

「イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デインジャー」と「ザットル・ビー・ザ・デイ」は、長らく一般には公開されないままとなっていたが、1995年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』で2曲とも初収録となった[19][20]。なお、本作は元々の3分25秒あった演奏から2分42秒に短く編集されている[18]

ルイソンは、本作を「ゆったりとしていて、メロディックなカントリー風味のナンバー」としている[3]。エヴェレットは「レス・ポールのような曲」[9]と評し、音楽評論家のイアン・マクドナルド英語版は「退屈なドゥーワップの模倣作」「お勧めできるところがほとんどない」[19]と評している。

その他の演奏[編集]

マッカートニーは、2004年の「Summer Tour」[21]や2005年の「US Tour」[22]で本作を演奏しており、2016年から2017年の「One On One」ツアー[23]や2018年の「Freshen Up Tour」ツアー[24]でも演奏している。2018年にキャヴァーン・クラブで行なったライブから、ツアーバンドと共に本作を演奏した様子が、2020年のクリスマスにBBC Oneで放送された[25]

本作のレコーディングの様子は、2009年に公開されたレノンの伝記映画『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』で描かれており[26]、同作のサウンドトラック・アルバムに収録されている(演奏は映画キャストによるもの)[27]

クレジット[編集]

※出典[28](特記を除く)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b マーク・ルイソン英語版は、スタジオの日誌にグループ名の記載がなく、裏表紙に「Arthur Kelly of Quarrymen」と記されているだけで、セッションの日付は正確には不明としている[1]。2005年に建物の全面の壁に設置された銘板には、セッション日が「1958年7月14日 (月)」と記されているが、これについても「どのような根拠をもって、この日付となっているか証明されたことはない」としている[1]
  2. ^ a b マッカートニーは、マーク・ルイソンとのインタビューで、「実際には僕が書いた曲で、ジョージがギターソロを弾いたんだ。僕らは誰も著作権や出版についての知識も興味もなかった。実際僕らが作った曲はみんなのものだと思っていた」と語っている[4]
  3. ^ ウォルター・エヴェレットは、ギターは音が増幅されたアコースティック・ギターとしている[9]。マーク・ルイソンは、レノンとマッカートニーがアコースティック・ギターを演奏し、ハリスンは「マッカートニーが所有するエルピコ・アンプに通してピックアップしたもの」を使用したとしている[1]
  4. ^ マッカートニーは、ルイソンとのインタビューで「僕がリードを歌ったと思う。僕の歌だったんだ。エルヴィスの曲によく似ている。僕がエルヴィスをやったんだ」[32]と語っており、『ザ・ビートルズ・アンソロジー』では「ジョンと僕が歌った」[8]と語っている。一方で、レノンは1975年4月のポール・ドリューとのインタビューで「僕が両曲(『ザットル・ビー・ザ・デイ』と『イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デインジャー』)とも歌った。当時の僕はいじめっ子で、ポールに自分の曲を歌わせることさえしなかった」と語っている[33]。エヴェレットは「レノンがリードを歌い、マッカートニーがシンプルなデスカント英語版を提供しているのが聴こえる」[9]とし、ルイソンは「ジョンは『イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デインジャー』で再びリードを歌い、ポールは全体を通してより素晴らしいハーモニーを提供している」[33]と述べている。マクドナルドも、リード・ボーカルを歌ったのはレノンとしている[19]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g Lewisohn 2013, p. 177.
  2. ^ Ingham 2009, p. 14, "Danger" was a McCartney-penned doo-wop ballad.
  3. ^ a b c d e Lewisohn 2013, p. 171.
  4. ^ Lewisohn 1988, p. 6.
  5. ^ Lewisohn 2013, pp. 142, 178.
  6. ^ The Beatles 2000, p. 22.
  7. ^ MacDonald 2005, p. 45n1.
  8. ^ a b The Beatles 2000, p. 23.
  9. ^ a b c d e f g Everett 2001, p. 26.
  10. ^ Ingham 2009, p. 14.
  11. ^ Winn 2008, p. 2.
  12. ^ Everett 2001, p. 55.
  13. ^ Pedler 2003, p. 22.
  14. ^ Lewisohn 1988, pp. 6–7.
  15. ^ Atkinson, Malcolm. “The Quarry Men's First Recordings”. Abbeyrd’s Beatle Page. 2008年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月15日閲覧。
  16. ^ Lewisohn 2013, pp. 178–179.
  17. ^ Lewisohn 2013, pp. 179, 821n50.
  18. ^ a b Everett 2001, p. 371n23.
  19. ^ a b c MacDonald 2005, p. 45.
  20. ^ Lewisohn 2013, p. 821n50.
  21. ^ Summer Tour”. PaulMcCartney.com. MPL Communications Ltd. 2021年8月15日閲覧。
  22. ^ US Tour”. PaulMcCartney.com. MPL Communications Ltd. 2021年8月15日閲覧。
  23. ^ One On One”. PaulMcCartney.com. MPL Communications Ltd. 2021年8月15日閲覧。
  24. ^ Freshen Up Tour”. PaulMcCartney.com. MPL Communications Ltd. 2021年8月15日閲覧。
  25. ^ BBC One – Paul McCartney at the Cavern Club”. BBC Online. 2021年8月15日閲覧。
  26. ^ Womack, Kenneth (2014). The Beatles Encyclopedia: Everything Fab Four [2 volumes]. ABC-CLIO. p. 465. ISBN 0-3133-9172-6 
  27. ^ Nowhere Boy - Original Soundtrack | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2021年8月15日閲覧。
  28. ^ MacDonald 2005, pp. 45, 45n1.
  29. ^ a b Lewisohn 2013, p. 177, John, Paul and George with their guitars (John and Paul acoustic, George using a pickup through Paul's Elpico amp) ....
  30. ^ a b Everett 2001, p. 26, John, Paul and George, all with amplified acoustic guitars ....
  31. ^ a b Lewisohn 2013, p. 178, ... George [takes] the guitar solo..
  32. ^ Lewisohn 1988, p. 7.
  33. ^ a b Lewisohn 2013, p. 178.
  34. ^ Everett 2001, p. 26, ... [Harrison provides] vocal 'fills' ....
  35. ^ Lewisohn 2013, p. 178, ... George adds an 'ah' backing..

参考文献[編集]

外部リンク[編集]