インヴェンションとシンフォニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

インヴェンションとシンフォニア BWV 772-801(Inventionen und Sinfonien BWV 772-801)は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハクラヴィーアのための曲集。

ケーテン時代の1723年頃の作品。同年、バッハは聖トーマス教会音楽監督トーマスカントル)に就任した。ライプツィヒ時代には教育目的のクラヴィーア曲が多数作曲された。

長男のために編まれた「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集(Klavierbüchlein für Wilhelm Friedemann Bach)」(1720年頃)の後半部に初稿がある。なお、同書の前半部には「平均律クラヴィーア曲集第1巻」(1722年)の初稿が含まれる。初稿の曲名は「プレアンブルム」(Praeambulum, 32-46曲, 36-51頁)と「ファンタジア」(Fantasia, 49-62曲, 58-73頁, 72-73頁散逸)だった。

インヴェンションは2声部の、シンフォニアは3声部の、対位法的な書法による様々な性格の小曲である。シンフォニアは「3声のインヴェンション」と呼ばれることもある。自筆浄書譜には次のような表題がある[1]:

率直なる手引き、これによってクラヴィーア愛好人士、ことに学習に意欲を燃やす人々が、(1)2声部をきれいに演奏することを学ぶばかりでなく、さらに上達した段階で、(2)3声部のオブリガート・パートの処理を正しく立派に行う明確な方法が示され、あわせて同時に良い着想を案出するのみでなく、それをりっぱに展開すること、しかしなによりもカンタービレの奏法を身に付けること、それに加えて作曲への強い興味と愛好を呼び覚ますことへの指針を掲げるものである。著作者ヨーハン・ゼバスティアン・バッハ、アンハルト=ケーテン候宮廷楽長。

この通り、演奏だけでなく、作曲も視野に入れた優れた教育作品として、現在も高く評価されており、現代のピアノ学習者のための教材としても広く用いられている。また教育作品に留まらず、バッハの他のクラヴィーア楽曲と同様、多くのチェンバロ奏者やピアニストが演奏や録音を行なっている。


曲の配列について[編集]

曲集に採用されている15調は、4つ以内の調号で表記される18調から次の3調を除外したものである: 嬰ヘ短調(♯3)、嬰ハ短調(♯4)、変イ長調(♭4)。当時は多くの調号を持つ調は頻繁に使われるものではなかったため、割愛したものと考えられる[2]。ただし、バッハは同時期に全ての調を網羅した「平均律クラヴィーア曲集第1巻」も編纂している。

バッハは、初稿を「インヴェンションとシンフォニア」として編纂改訂した際、曲の配列を大幅に変更した。初稿と最終稿の番号は以下の通り:

初稿 調性 最終稿
第1番 ハ長調 第1番
第2番 ニ短調 第4番
第3番 ホ短調 第7番
第4番 ヘ長調 第8番
第5番 ト長調 第10番
第6番 イ短調 第13番
第7番 ロ短調 第15番
第8番 変ロ長調 第14番
第9番 イ長調 第12番
第10番 ト短調 第11番
第11番 ヘ短調 第9番
第12番 ホ長調 第6番
第13番 変ホ長調 第5番
第14番 ニ長調 第3番
第15番 ハ短調 第2番

この初期配列は、バッハが当初想定していた難易度の相対関係を反映していると考えられている。しかし、バッハは編纂改訂にあたり、この難易度上の配慮を破棄し、「平均律クラヴィーア曲集」と同じく半音階上行の配列にした。その結果、相対的に高難度の楽曲が容赦なく前半に再配置されることなった。そのため、園田高弘など、初期配列を参考にした、独自の順序による学習を推奨している音楽家もいる[3]

楽曲[編集]

他のバッハの曲集と同様、古くから多くの校訂版が出版されてきた[4]。特にインヴェンションとシンフォニアは、学習者の需要があることから、原典版にはない表現記号を校訂者が補筆した「実用版」が多い。その解釈は極めて多様であり、このことは演奏を幾つか聞き比べすることでも実感できる。解釈や装飾音の選択等によっては、各曲の印象や難易度はかなり変化する。

インヴェンション[編集]

第1番 ハ長調 BWV 772
4分の4拍子。
主題はC-D-E-F-D-E-Cの16分音符とG-C-H-Cの8分音符とからなる。主題のうち16分音符の後半(階段状に下がるF-D-E-Cの部分)をすべて3連符にした異稿(BWV 772a)が残っており、こちらをバッハの最終的な意図(改訂)として採用するシフのような演奏家もいる。新バッハ全集では一つの変奏例と位置づけている。
第2番 ハ短調 BWV 773
4分の4拍子。
8度(オクターブ)のカノン。後半は左手が先行する。冒頭の10小節と(2小節の間奏を挟み)後半の6小節目までは2小節遅れの厳格なカノン。主題には溜息の音型が含まれる。
第3番 ニ長調 BWV 774
8分の3拍子。
左手のオクターブの上に右手が優雅な主題を奏でる。
第4番 ニ短調 BWV 775
8分の3拍子。
上昇音階を中心にした主題。しばしば非常に速いテンポで演奏される。
第5番 変ホ長調 BWV 776
4分の4拍子。
二重対位法。
第6番 ホ長調 BWV 777
8分の3拍子。
シンコペーション(切分法)で書かれた曲。右手と左手の兼ね合いが妙味を出す。「ソナタ形式を彷彿させる二部形式」[2]。繰り返し記号が2カ所に付いているため、他の作品よりも演奏時間が少し長くなる。
第7番 ホ短調 BWV 778
4分の4拍子。
左手の8分音符によるオクターブ下降が特徴。
第8番 ヘ長調 BWV 779
4分の3拍子。
カノン。打楽器的な主題。F-A-F-C-Fの8分音符と下降音階の組み合わせ。マッキントッシュの電子効果音にも使われるなど、古典が現代に通じる新しさを備えた秀作。
第9番 ヘ短調 BWV 780
4分の3拍子。
滑らかな下降音階をもとにユニゾンが登場する。
第10番 ト長調 BWV 781
8分の9拍子。
ジーグ風の曲にフーガ様式を組み合わせている。緩いアルペッジョが支配する。
第11番 ト短調 BWV 782
4分の4拍子。
16分音符と8分音符による部分的な半音階が印象的。
第12番 イ長調 BWV 783
8分の12拍子。
左手の音階に乗って右手がA音を伸びやかに歌う。
第13番 イ短調 BWV 784
4分の4拍子。
右手アルペッジョと左手のシンコペーションが交代しながら完成されたポリフォニーを築く。
第14番 変ロ長調 BWV 785
4分の4拍子。
32分音符と16分音符の組み合わさった軽やかな主題。転調が激しい。
第15番 ロ短調 BWV 786
4分の4拍子。

シンフォニア[編集]

第1番 ハ長調 BWV 787
4分の4拍子。
伸びやかに上昇する音階主題。
第2番 ハ短調 BWV 788
8分の12拍子。
落ち着いた曲。音階が随所に登場し単調さを避けている。
第3番 ニ長調 BWV 789
4分の4拍子。
冒頭で下属調の第4音であるCが出てくるため、あたかもト長調であるかのような印象を受ける。平行3度の音階、複雑な左右の受け渡しが発生するストレッタなど、高度な技巧が要求される。
第4番 ニ短調 BWV 790
4分の4拍子。
16分音符の「D-Cis-D」のあと4度下降、8分音符で6度上昇する動機が多く用いられる。
第5番 変ホ長調 BWV 791
4分の3拍子。
異稿(BWV 791a)がある。左手は一定の音型を繰り返す。
第6番 ホ長調 BWV 792
8分の9拍子。
管弦楽曲風。
第7番 ホ短調 BWV 793
4分の3拍子。
第8番 ヘ長調 BWV 794
4分の4拍子。
第9番 ヘ短調 BWV 795
4分の4拍子。
3声のフーガ。溜息の音型を含む第1主題、半音階下行のラメント・バス、16分音符の部分からなる三つの主題が同時に対位する三重対位法で書かれている。バッハの生前から評価が高かった。
第10番 ト長調 BWV 796
4分の3拍子。
第11番 ト短調 BWV 797
8分の3拍子。
分散和音の下降のあと8度跳躍する主題。
第12番 イ長調 BWV 798
4分の4拍子。
動機とバスを交互に分散した形の16分音符が多用される。
第13番 イ短調 BWV 799
8分の9拍子。
始まりは素朴だが、即興的に次々と新素材が導入され、終結部は壮大な多重フーガの観を呈する。
第14番 変ロ長調 BWV 800
4分の4拍子。
下降的主題を持つ。終曲直前の流れるような下降音階が印象的である。
第15番 ロ短調 BWV 801
16分の9拍子。
スラーとスタッカートの組み合わされたリズミカルな動機、H-Cis-D-Cis-Hの動機、32分音符のアルペッジョからなる。

脚注[編集]

  1. ^ ヴェルナー・フェーリクス著、杉山好訳「バッハ」講談社学術文庫。1999年(原著1985年)。
  2. ^ a b Yo Tomita's personal web space: インヴェンションとシンフォニア 富田庸による解説。
  3. ^ 園田高弘: レクチュア「バッハについて」 園田高弘による解説。
  4. ^ 新バッハ全集(Neue Bach-Ausgabe, NBA。ベーレンライター原典版)では1970年に校訂版が出版された(V.3、Dadelsen校訂、1970/1985年)。これを底本とした実用版もある。


外部リンク[編集]