イレイザーヘッド
| イレイザーヘッド | |
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| Eraserhead | |
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劇場公開用ポスター | |
| 監督 | デイヴィッド・リンチ |
| 脚本 | デイヴィッド・リンチ |
| 製作 | デイヴィッド・リンチ |
| 出演者 |
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| 音楽 |
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| 撮影 |
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| 編集 | デイヴィッド・リンチ |
| 製作会社 | AFI高等映画教育センター |
| 配給 |
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| 公開 |
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| 上映時間 | 89分[1] |
| 製作国 |
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| 言語 | 英語 |
| 製作費 | $100,000[2] |
| 興行収入 | $7.1 million[2] |
『イレイザーヘッド』(原題:Eraserhead)は、1977年に公開されたアメリカ映画。殺伐とした工業地帯で奇形児の世話をすることになった男の物語を描いたシュールレアリスム・ホラー映画。デイヴィッド・リンチが一人で製作・監督・脚本・編集・美術・特殊効果を務め、彼の長編映画デビュー作でもある。主演をジャック・ナンスが務め、他にシャーロット・スチュアート、ジーン・ベイツ、ジュディス・ロバーツ、ジャック・フィスクが出演している。タイトルの「イレイザーヘッド」とは、消しゴム付き鉛筆の消しゴム部分のこと。
本作はAFIコンサバトリー在学中のリンチが、アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)より支援を受けて制作を開始したものであったが、資金難により完成に5年の歳月を費やした。この製作期間中にはフィスクや彼の妻シシー・スペイセク、ナンスの妻キャサリン・E・コールソンらにより資金の提供を受けた。撮影は、グレイストーン・マンションやリンチが住んでいた廃屋など、AFIがカリフォルニアに所有していたいくつかの物件で行われた。音響には1年が費やされ、リンチとサウンドデザイナーのアラン・スプレットは自作の防音化されたスタジオで制作に臨んだ。
公開当時、当初はほとんど感心を持たれずに観客は少なかったが、しだいに人気を博し、深夜映画として何度かロングラン上映された。カルト映画(ミッドナイトムービー)の代表作の1つとして認識される。2004年には、アメリカ議会図書館によって、アメリカ国立フィルム登録簿に「文化的、歴史的、芸術的に重要な映画」として保存されることが決定した。
プロット
[編集]プロローグ。モジャモジャ頭の特徴的な髪型の男ヘンリー・スペンサーが寝ている姿をバックに不思議な光景が展開される。1つの惑星(丸いゴツゴツした大岩)が浮かび上がると、その中と思われる割れた窓の部屋に酷い皮膚病らしきものを患った謎の男(惑星の男)がいる。男が目の前のレバーを引くと、どこか別の空間に胎児のような生き物が現れ、空中に浮かぶ。男がさらに別のレバーを引くと、その生き物は落下し始め、最終的に水の中へと落ちる。
フィラデルフィアの工業地帯の町並みの中を、スペンサーはいつものように着古したスーツを着て異様な歩き方をしながら自宅であるアパートの一室へと帰る。すると向かいの部屋の住人で魅力的な女性から、スペンサーの彼女であるメアリー・エックスから伝言を頼まれたと言い、彼女の家族がスペンサーを夕食に招待していることを伝える。彼がメアリーの家を訪れると、リビングに通されるが、彼女の母親に何故か厳しく問い詰められ気まずい空気が流れる。その後、夕食となるが今度は彼女の父親が要領を得ない話を始め、取り分けられた鶏肉料理はまるでまだ生きているかのように脈動し血を吹き出させる。その様子を見てメアリーと彼女の母は酷く怯え部屋を出てしまう。その後、戻ってきた母はスペンサーを部屋から連れ出し、娘と寝たのかと問い詰め始め、怯える彼の首筋にキスをする。母はメアリーが未熟児と思われる子を産んだこと、ゆえにスペンサーとメアリーは結婚しなければならないと言うが、メアリーは自分が産んだものが人間であるかわからないと言う。
次のシーンで、スペンサーとメアリーは彼の部屋で結婚生活を始めているが、そこには身体を包帯に包んだ手足のない胎児のような、何とも名状し難い謎の生き物がおり、これがメアリーが産んだ子供であるという。赤ん坊はいつも甲高い変な泣き声をあげており、食事もすべて拒む。スペンサーはまったく気にしていないが、やがてメアリーが耐えられなくなり、スペンサーと子供を残して部屋を出ていってしまう。メアリーがいなくなると赤ん坊は泣きやみ、スペンサーは赤ん坊の面倒を見ながら今までと変わらない生活を始める。
ある日、スペンサーが仕事に行こうとすると赤ん坊の体中に酷い発疹ができていることに気づく。軽く面倒を見て出かけようとするも、大きな声で泣き始め、仕方なくスペンサーは部屋にこもり、一日面倒を見る。疲れてベッドに横になったヘンリーはラジエーターの向こう側に劇場の幻覚を見る。ステージでは両頬が膨れた酷い形相の若い女性(ラジエーターの女)が単調なダンスを踊っているが、頭上からは幼虫のような胎児がまばらに落ちてきており、女性はそれを踏み潰しながら踊り続けている。彼女がステージから去ると、いつの間にかメアリーがスペンサーの隣に寝ている。彼女の歯ぎしりで目を覚ましたスペンサーは、身悶える彼女の身体からへその緒が付いた胎児を引っ張り出す。スペンサーがそれを壁に投げつけると、それは潰れて血の跡を残す。その後、戸棚から飛び出してきた肉片は、最初の惑星のような場所を這いずり回っている。
いつの間にかスペンサーは部屋の椅子に座っている。部屋の扉を開けると隣人の美女が入ってくる。聞けば、鍵を忘れたため一晩泊めて欲しいと言う。そのまま二人はベッドで肌を合わせる。そこに再び惑星のイメージが入り、その後、あのラジエーターの女が再び舞台に登場し、「天国ではすべてがうまく行く」と歌い始める。今度はスペンサーもその舞台に上がり、その女としばし見つめ合うと光が明滅し女は消える。その後、ステージの上に、スペンサーの部屋にあった枯れた植物が一人でに入ってくる。狼狽するスペンサーはいつもの癖で、ベッドの柵のような鉄棒を掴み、気分を落ち着かせようとするが、突如スペンサーの頭が落ちる。すると中から、あの赤ん坊の頭のようなものが生えだす。スペンサーの頭はステージの床に落ちた後、どこかの道路の上に落下する。それを一人の少年が拾い上げると、どこかの工場へと持ち込む。工場の男たちはそれを受け取ると、その髪の毛を刈り、そして何か機械にセットすると消しゴム付き鉛筆(イレイザーヘッド)が次々と出来上がる。
そこでスペンサーは目を覚ます。朝になっており、隣には誰もいない。部屋の外に出て向かいの美女の部屋の様子を確認するが、何もない。部屋に戻ると、赤ん坊は嘲笑うような声をあげだす。再びベッドに横になり寝ようとするがノイズで眠れず起き上がり、扉を開いて廊下を覗いてみると、あの美女が中年男と一緒にいていちゃついている。美女と目があい思わずスペンサーは部屋の扉を締める。意を決したスペンサーはハサミを棚から取り出すと、それで赤ん坊の包帯を切り裂く。中には心臓や臓器のようなものがむき出しになってあるだけだった。そしてスペンサーはその心臓にハサミを突き刺すと血が溢れ出す。部屋の電気がショートし、赤ん坊の顔がスペンサーに迫ってくる。そこに今までたびたび登場した大岩が現れ、その表面の一部が弾け飛び、奥に空洞が見える穴が開く。カメラが穴にズームアップすると、惑星の男が火花を散らしながらレバーを引いている。次のショットでスペンサーは薄霧の中に立っている。すると、霧の中からラジエーターの女が現れ、二人は抱きしめ合う。ここで物語は終わる。
キャスト
[編集]- ヘンリー・スペンサー(Henry Spencer) - ジャック・ナンス
- メアリー・エックス(Mary X) - シャーロット・スチュアート
- ミスター・エックス(Mr. X) - アレン・ジョゼフ(Allen Joseph)
- ミセス・エックス(Mrs. X) - ジーン・ベイツ
- アパートに住む美女(Beautiful Girl Across the Hall) - ジュディス・アンナ・ロバーツ
- ラジエーターの女(Lady in the Radiator) - ローレル・ニア(Laurel Near)
- 惑星の男(The Man in the Planet) - ジャック・フィスク
製作
[編集]企画
[編集]当初、芸術家を志して学んでいたデイヴィッド・リンチは、自身の絵画をアニメーション化するためにいくつかの短編映画を制作していた[3]。 しかし1970年までには、彼は映画制作へと完全に関心を移しており、24歳のときにアメリカン・フィルム・インスティテュート(AFI)の高等映画研究センター(Center for Advanced Film Studies)の奨学生となった。当初、リンチはこのコースを嫌って退学も考えていたが、自ら考案した脚本を制作する機会を与えられたことで思い直した。彼は学校の全キャンパスをロケセットとして使用する許可を取り付けると、使われなくなった厩舎をいくつものセットに改造し、自らもそこに住み込んだ[4]。また、同じくAFIが所有していたグレイストーン・マンションも多くのシーンで使用された[5]。
最初、リンチは自身の絵画「背中から植物が生えている猫背の男」に着想を得た『ガーデンバック』(Gardenback)という脚本に着手した。これは不倫をテーマにしたシュールレアリスム作品で、ある男の隣人への欲望を、成長し続ける昆虫として表現する内容だった。完成すれば45分ほどの映画になる予定だったが、AFI側は、かなり抽象的で非線形な脚本にしては長すぎると判断した[6]。 そこでリンチは、代案として「一人の少年によって男の頭が鉛筆工場へと運ばれる」という白昼夢に基づいた『イレイザーヘッド』を提出した。AFIの理事の数人は依然としてこうしたシュールレアリスム作品の制作に反対したが、学部長のフランク・ダニエルが「もし拒否されるなら辞任する」と通告したため、彼らはしぶしぶ制作を認めた[7]。 この脚本は、リンチが学生時代に読んだ文学作品の影響を受けている。特にフランツ・カフカの『変身』(1915年)やニコライ・ゴーゴリの短編『鼻』(1836年)の影響が色濃い[8]。また、リンチはインタビューで、聖書を開いてある一節を読み、それを閉じた瞬間に映画の全体像が「まとまった」と認めている(後年、リンチはその一節が旧約か新約のどちらだったかは思い出せないと語っている)[9]。 2007年には、「信じられないかもしれないが、『イレイザーヘッド』は私の最もスピリチュアルな映画なんだ」と述べている[10]。
本作の脚本は、リンチが抱いていた「父親になることへの恐怖」からも着想を得ていると考えられている[5]。彼の娘ジェニファーは、重度の先天性内反足という障害を持って生まれ、幼少期に大規模な矯正手術を繰り返す必要があった[11]。ジェニファー自身、自らの予期せぬ懐妊と先天的な障害が、本作のテーマの基盤になったと語っている[11]。 映画のトーンには、リンチがフィラデルフィアの荒廃した地域で過ごした時期も反映されている。リンチ一家は5年間にわたり、「暴力、憎悪、不潔」に満ちた雰囲気の中で暮らした[12]。 この「犯罪の温床たる貧困地帯」での経験が、『イレイザーヘッド』の都市的な背景にインスピレーションを与えた。この時期についてリンチは「フィラデルフィアでは信じがたい光景をいくつも見た」と語っている。例えば、大人の女性が自らの胸を掴み、乳首が痛いと訴えながら赤ん坊のように話していたとし、こうしたものを見ると挫折感を受けると述べている[5]。 映画評論家グレッグ・オルソンは著書『David Lynch: Beautiful Dark』において、この時期の経験が、太平洋岸北西部で過ごしたリンチの幸福な幼少時代と鮮烈なコントラストを成していたと指摘している。それがリンチの中に「天国と地獄という二極化したアメリカ観」を植え付け、その後の映画作りを方向づけることになったと推測している[12]。
1971年に最初のキャスティングが始まり、主人公役にはすぐさまジャック・ナンスが選ばれた。しかし一方で、AFI側は本作の製作規模を著しく過小評価していた。彼らが『イレイザーヘッド』にゴーサインを出したのは21ページの脚本を確認した時点であり、業界の通例である「脚本1ページにつき本編1分」という比率に当てはめ、およそ20分程度の作品になると想定していた。この誤解に加え、リンチ自身の妥協のない緻密な演出が重なり、製作期間は何年にも及ぶこととなった[4]。 こうした難航を極めたスケジュールの最たる例として、ナンス演じる主人公がドアを開けるシーンがある。彼がドアを開けてから、実際に部屋の中に入るカットが撮影されるまでに、丸1年もの歳月を要した。それでもナンスは本作の完成に尽力し、製作期間のすべてを通じて、その奇抜な髪型を維持し続けていた[13]。
撮影
[編集]製作は数年にわたって行われ、費用はリンチの幼少期からの友人であるジャック・フィスクと、その妻シシー・スペイセクからの定期的な寄付に支えられた[14][5]。 さらに、ナンスの妻キャサリン・E・コールソンもウェイトレスとして働いた稼ぎを寄付し、リンチ自身も主要撮影の期間中に新聞配達を行うなどして資金を集めた[15]。 リンチは、撮影の合間を縫って、短編映画『アンプティー』(The Amputee)を制作することができた[16]。 これは、新しいフィルムを大量購入する前にテストを行いたいというAFI側の要望を逆手に取ったものであった。この短編の主演は本作の技術スタッフとして製作に携わっていたコールソンであった[16]。 『イレイザーヘッド』の製作クルーは極めて少数で、構成メンバーはリンチ、サウンドデザイナーのアラン・スプレット、撮影監督のハーブ・カードウェル(経済的理由で降板し、フレデリック・エルムスが後任となった)、プロダクション・マネージャー兼小道具担当のドリーン・スモール、そして多種多様な役割をこなしたコールソンのわずか数名であった[17]。
物語の鍵となる奇形児の小道具の正体については明らかにされていない。 この小道具は、いくつかのパーツからなり、首、目、口が独立して動かすことができ、ナンスは「スパイク」と名付けていた[18]。 本作のラッシュ(未編集プリントのこと)を担当した映写技師は、小道具の正体を知られないようリンチによって目隠しをされたといい、後年のインタビューでも詳細を語ることを拒んだ[19]。 リンチはこの小道具について、「近くで生まれた」「あるいはどこかで見つかったのかもしれない」などと不可解なコメントを残している[20]。 ガーディアン紙のジョン・パターソンは、皮を剥いだウサギか子羊の胎児から作られたのではないかと推測している[21]。 この赤ん坊の造形は、『エレファント・マン』(1980年)のジョゼフ・メリックの特殊メイクや、『デューン/砂の惑星』(1984年)のサンドワームなど、後のリンチ作品に現れる要素の先駆けになったと見なされている[22]。
また製作中、リンチは台詞を音声学的に逆から発声させて録音し、その音声をさらに反転させるという技法を試作した。本作で採用されることはなかったが、リンチはこの手法を1990年のテレビシリーズ『ツイン・ピークス』の第3話(『第2章』)で再び取り入れている[23]。 さらに製作期間中、リンチは超越瞑想に関心を持つようになり[5]、菜食主義に転じたほか、喫煙と飲酒の習慣を断っている[24]。
ポストプロダクション
[編集]リンチは映画のサウンドをデザインするため、アラン・スプレットと共に作業にあたった。二人はスタジオを遮音するために防音ブランケットを自作して張り巡らせ、その中で約1年を費やして音響効果の制作と編集を行った。サウンドトラックは重層的に構成されており、複数のリールを用いることで、最大15種類もの異なる音を同時に再生している箇所もある[25]。 音作りには多様な手法が用いられた。例えば、ベッドが液体のプールへとゆっくり溶けていくシーンでは、プラスチックボトルの中にマイクを仕込んで浴槽に浮かべ、そこへ空気を吹き込んだ音を録音した。こうして録音された素材は、ピッチやリバーブ、周波数を変化させることで、さらに加工が施された[26]。
試写会での評判は悪く、これをリンチはサウンドトラックの音量が大きすぎたと分析し、また20分ほどカットして89分の作品とした[27]。 このカットされたシーンの中には、コールソンが赤ん坊の助産婦に扮するシーンや、あるいは一人二役でコールソンが2人の女性を演じ、彼女らがある男に車のバッテリーで拷問を受けるシーン、また、スペンサーが死んだ猫を弄ぶシーンがあった[28][29][30]。
音楽
[編集]本作のサウンドトラックは1982年にI.R.S.レコードからリリースされた[31]。 アルバムに収録された2つのトラックには、ファッツ・ウォーラーによるオルガン曲の抜粋と、ピーター・アイヴァースが本作のために書き下ろした楽曲『イン・ヘヴン』が含まれている[32]。 このサウンドトラックは、2012年8月7日にセイクリッド・ボーンズ・レコーズから1,500枚の限定盤として再リリースされた[33]。 このアルバムはダーク・アンビエントの先駆けと見られている。背景雑音や非音楽的な要素を用いたその構成について、ピッチフォークのマーク・リチャードソンは、一般的なサウンドトラック(1語のsoundtrack)ではなく「文字通りの意味での"サウンドの、トラック"(2語のsound track)」であると評している[34]。
テーマと分析
[編集]本作のサウンドデザインは、本作を特徴づける要素の1つとみなされている。本作には奇形児や広大な工業地帯といったいくつかの特徴的な視覚的要素があるが、それらに付随するサウンドも、それぞれ「絶え間ない泣き声」や「感情を喚起する音の風景」という形で対になっているからである[35]。 本作は多くのシーンで工業的な低層のバックグラウンドノイズが絶えず鳴り響いている。これが「脅迫的」で「不安を掻き立てる」雰囲気を助長しており、デヴィッド・フィンチャーの『セブン』(1995年)やコーエン兄弟の『バートン・フィンク』などの作品でも模倣された[35]。 ジェームズ・ウィエズビッキは自著『Music, Sound and Filmmakers: Sonic Style in Cinema』の中で、この絶え間ない低音ノイズについて、おそらく主人公の妄想の産物とし、サウンドトラックは「夢と現実の区別を容赦なく無視している」と評している[36]。 また、ラジエーターの女が「In Heaven」を歌うシーンに観られる、劇中の音楽を夢に関連付けるというリンチ作品の傾向の端緒でもある。これは『ツイン・ピークス』の第3話で劇中の音楽がキャラクターの夢から覚醒時の思考へと持ち越される手法や、1986年の『ブルーベルベット』におけるロイ・オービソンの『イン・ドリームス』への同様の焦点にも現れている[36]。
本作は強烈な性的テーマでも注目されてきた。受精のイメージで始まり、その後、主人公は性に恐怖を感じながらも同時に魅了される人物として描かれる。精子のような生き物、そして赤ん坊を含む、繰り返し登場するイメージは、映画のセックスシーンにおいて常に存在感を持つ。ラジエーターの女が見せる一見すると「隣の家の娘」的な魅力は、彼女がスペンサーの精子のような生物を踏み潰し、攻撃的に彼と視線を交わすミュージカルナンバーの間に消え去る[37]。 デヴィッド・J・スカルは著書『The Monster Show: A Cultural History of Horror』において、本作を「人間の生殖を、呪われた者にのみふさわしい荒涼とした見世物小屋として描いている」と評している[38]。 彼はまた、ラジエーターの女の別のキャラクター像も提示し、彼女は「見えない観客の承認を必死に求めている存在」としている[38]。 マーク・アリン・スチュワートは著書『David Lynch Decoded』の中で、ラジエーターの女は実際には主人公の潜在意識であり、彼自身の子供を殺したいという衝動の現れの可能性を提示している。映画のラストにおいて彼が殺害に及んだ後に彼女が彼を抱きしめるのは、まるで彼が正しいことをしたと安心させるためであるかのようだと指摘している[39]。
キャラクターとしてのスペンサーは、無表情と地味な服装をし、ごく普通の人物として描かれてきた[40]。 彼は全編を通じて平和主義的かつ宿命論的な無活動を示し、状況をコントロールする術を持たず、ただ周囲の出来事が展開するままに任せている。この受動的な態度は、映画のクライマックスにおける唯一の自発的な行動によって結実する。彼の嬰児殺しは彼を苦しめる支配的で管理的な影響力に突き動かされた結果である。 映画批評家のコリン・オーデルとミシェル・ル・ブランは、スペンサーの受動性は、リンチが1983年から1992年にかけて連載した漫画『The Angriest Dog in the World』の前兆であるとも指摘している[41]。
公開
[編集]興行収入
[編集]『イレイザーヘッド』は1977年3月19日、ロサンゼルス映画祭(フィルメックス)の深夜上映枠にて初公開された[42][43]。 当初はジェラルド・フリードマン(Gérald Frydman)による1971年のベルギーの短編映画『スカラバス』(Scarabus)との同時上映であった[44]。 公開当夜の観客はわずか25人であり、翌晩は24人であった。しかし、配給会社リブラ・フィルムズの代表ベン・バレンホルツは、地元の映画館シネマ・ヴィレッジに掛け合い、深夜枠で1年間上映させた。その後、ニューヨークのウェイバリー・シネマでは99週間にわたって上映され、サンフランシスコのロキシー・シアターでは1978年から1979年まで1年間、ロサンゼルスのヌアート・シアターでは1978年から1981年まで3年間にわたり深夜上映が行われた[45]。 ニューヨークとロサンゼルスでの上映は、2年にわたりスーザン・ピットによる1979年の短編アニメーション『アスパラガス』との同時上映であった[46]。
本作は商業的成功を収め、全米で700万ドル、その他の地域で14,590ドルの興行収入を記録した[2]。 また、1978年のロンドン映画祭[47]や1986年のテルライド映画祭[48]でも上映された。
日本
[編集]日本では東映洋画の配給によって1981年9月12日に公開された。同年5月に東宝東和の配給で公開された『エレファント・マン』は当時異例の23億円の興行収益を達成し、この人気に東洋映画が便乗しての公開となった。『エレファント・マン』と同系統の感動作と勘違いした観客が多く、期待を裏切られてショックを受けた者が多かったと言い、「凄まじい大コケ」をした[49][50][51]。
ホームメディア
[編集]本作は1982年8月7日、コロンビア ピクチャーズからVHSで発売された[52] 。オーストラリアではアンブレラ・エンターテインメントからDVDとBlu-ray Discが発売されており、DVD版は2009年8月1日[53]、ブルーレイ版は2012年5月9日にリリースされた[54]。同社のソフトには、85分に及ぶ本作のメイキング映像が収録されている[53][54]。 その他のホームメディア展開としては、2001年にユニバーサル・ピクチャーズ、2006年にサブバーシブ・エンターテインメント、2008年にスキャンボックス・エンターテインメントからそれぞれDVDが発売されている[48]。また、2014年9月にはクライテリオン・コレクションからもDVDとブルーレイが発売された[55]。
評価
[編集]本作は公開当時酷評が多かったが、後年は高い評価を受けている。「Rotten Tomatoes」では81件の批評家のレビューを基に85%の支持を獲得しており、平均評価は8.4/10となっている。同サイトの批評コンセンサスでは「デイヴィッド・リンチのシュールな『イレイザーヘッド』は、精緻な映像と不気味な音楽を用いて、親になることへの男の恐怖を、奇妙かつ不穏な視点で描き出している」としている[56]。 また、Metacriticでは、15人の批評家を基に100点満点中87点の加重平均スコアを獲得しており、「絶賛」(universal acclaim)としている[57]。
本作の公開後、バラエティ誌は「吐き気がするほど悪趣味な習作」と酷評した[58]。 また、その制作期間の長さに驚きを示し、結末については観るに堪えないとも評した[58]。 ニューヨーク・タイムズ紙のトム・バックリーは、リンチの次作『エレファント・マン』と本作を比較し、『エレファント・マン』は豪華な俳優陣に支えられた完成度の高い映画であったが、本作は違うと指摘した。彼は本作を「暗澹としていてもったいぶっている」と評し、そのホラー要素は脚本や演技ではなく、単に奇形児の外見に由来するのみだと述べた[59]。 1984年にアトランティック誌のロイド・ローズは、リンチを「映画界で活動した史上最も純粋なシュールレアリストの一人である」と本作が証明したと書いた[60]。 彼は本作を極めて個人的な作品と呼び、ルイス・ブニュエルの『アンダルシアの犬』(1929年)や『黄金時代』(1930年)といった過去のシュールレアリスム映画とは異なる、「映画の中から引き寄せられるのではなく、我々が映画の中に沈み込んでいくのだ」とリンチのイメージを評した[60]。 1993年のシカゴ・トリビューン紙でマイケル・ウィルミントンは本作を唯一無二と評し、製作過程でリンチが非常に多くの役割をこなして細部までこだわりぬいたからこそ、「強烈さ」と「悪夢のような明晰さ」を生み出したと述べている[61]。 批評家ジョナサン・ローゼンバウムは、1995年のエッセイにて、本作がリンチの最高傑作であると評した。彼は監督の芸術的才能は人気の高まりと共に衰微したと述べ、当時のリンチの最新作であった『ワイルド・アット・ハート』と比較して、「芸術的衰退はあまりにも急激で、同じ人間が撮ったとは想像しがたい」と評している[62]。 ナショナル・レビューのジョン・サイモンは本作を「カルト映画愛好家向けのグロ作品」と評した[63]。
エンパイア誌のスティーヴ・ビアードは、本作に5つ星中5つ星の満点評価を与えた。彼は本作が「(リンチの)後のハリウッド作品よりもはるかに過激で楽しめる」と評し、シュールレアリスム的なボディホラーとブラックコメディの融合を強調した[64]。 一方、BBCのアルマー・ハフリダソンは5つ星中3つ星とし、「(リンチ作品の)後の基準からすれば、目立った功績ではない」と評している。彼はこの映画は緩やかに関連し合ったアイデアの集まりに過ぎないとし、「シュールレアリスム的なイメージで埋め尽くされているがために、そこに各々が意味を見出す余地が無限にある」と補足している[65]。また、彼自身の見解としては、これらのテーマは「個人的な義務への恐怖」の象徴であり、「強い性の底流」があると解釈している[65]。 フィルム4のレビューでは5つ星中5つ星の満点評価で、「時に美しく、苛立たしく、滑稽で、憤慨させ、不快にさせるが、常に神経質なエネルギーに満ち溢れている」と評されている[66]。レビュアーは、ルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリの共同制作作品(『アンダルシアの犬』『黄金時代』)を除けば、本作はこれまでに公開された大半の映画と似ても似つかないと述べている。なお、リンチ自身は本作以前にこれらシュールレアリスムの古典作品を観たことはないと述べている[66]。 ヴィレッジ・ヴォイス誌のネイサン・リーは本作の音響の使い方を称賛し、「映画を観るだけでは意味がない、聴かなければならないのだ」と評している[67]。彼はこの映画のサウンドデザインを「LSDでトリップした巨人の耳に押し当てられた、銀河の残響を宿す貝殻」と呼んだ[67]。
ガーディアン紙のピーター・ブラッドショーも5つ星中5つ星の満点評価を与えた。彼は本作を美しい映画と捉え、そのサウンドデザインを「崩壊しつつある工場か、巨大な死にゆく生物の内部で撮影されたかのような、工業的なうめき声」と表現し[68]、また、リドリー・スコットの映画『エイリアン』(1979年)に準えた[68]。 オールムービーのジェイソン・アンケニーも5つ星中5つ星を与え、不安をかき立てるサウンドデザインを強調し、本作を「開かれたメタファー」と呼んだ。 彼は、本作が「その後のキャリアを通じて(リンチが)抱き続けている強迫観念を提示している」と記し、本作のシュールレアリスムが監督の後の作品への理解を深めるものであるとの持論を付け加えている[48]。 デイリー・テレグラフ紙において、映画監督のマーク・エヴァンスは、サウンドデザインと「日常を極めて奇妙に見せる」リンチの能力を称賛し、本作を自身の作品のインスピレーションの源泉と考えていると述べている[69]。同紙の別のレビューでは、本作をアイルランドの劇作家サミュエル・ベケットの作品と比較し、家庭生活のカオスなパロディだと評した[70]。 ニューヨーク・タイムズ紙のマノーラ・ダルギスは、本作を「直線的な物語というよりは、シュールレアリスム的なアッサンブラージュ(寄せ集め)」と評した[22]。彼女は、映画のイメージがフランシス・ベーコンの絵画や、ジョルジュ・フランジュの1949年のドキュメンタリー『獣の血』を想起させると書いている[22]。 フィルム・スレットのフィル・ホールは、本作をリンチの最高傑作と呼び、その後の作品はそれに及ばなかったと主張している[71]。彼は映画のサウンドトラックとナンスの「チャップリン風」な身体的コメディを、本作の傑出した要素として挙げている[71]。
影響
[編集]2004年に、アメリカ議会図書館によって、アメリカ国立フィルム登録簿に「文化的、歴史的、芸術的に重要な映画」として保存されることが決定した[72]。 本作は2005年のドキュメンタリー映画『ミッドナイトムービー』(Midnight Movies: From the Margin to the Mainstream)でも取り上げられた。同作は1960年代後半から1970年代にかけてのミッドナイトムービーという現象の台頭を記録したものであり、リンチも一連のインタビューを通じて出演している。このドキュメンタリーでは、当該ジャンルを確立し普及させたとされる6つの作品が扱われており、本作の他に『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』、『エル・トポ』、『ピンク・フラミンゴ』、『ハーダー・ゼイ・カム』、『ロッキー・ホラー・ショー』が含まれている[73]。 2010年、オンライン映画批評家協会は、著名監督の長編デビュー作の中から最高の作品100本を選出し、本作はオーソン・ウェルズの『市民ケーン』(1941年)に次ぐ第2位に選ばれた[74]。
リンチはその後の作品においても、本作のキャストやスタッフの大部分と協力を続けた。 フレデリック・エルムスは『ブルーベルベット』[75]、1988年の『カウボーイとフランス人』(The Cowboy and the Frenchman)、1990年の『ワイルド・アット・ハート』で撮影監督を務めた[76]。 アラン・スプレットは『エレファント・マン』、『デューン/砂の惑星』、『ブルーベルベット』で音響デザインを担当した[77]。 ジャック・フィスクはリンチによる1992年のテレビシリーズ『オン・ジ・エアー』でエピソード監督を務め[78]、1999年の『ストレイト・ストーリー』や2001年の『マルホランド・ドライブ』ではプロダクション・デザイナーとして活動した[79]。 キャサリン・E・コールソンとジャック・ナンスは『ツイン・ピークス』[80]に出演したほか、『デューン/砂の惑星』[81]、『ブルーベルベット』[75]、『ワイルド・アット・ハート』[82]、1997年の『ロスト・ハイウェイ』にも出演している[83]。
本作の公開後、リンチは次のプロジェクトである『ロニー・ロケット』(Ronnie Rocket)への資金調達を試みた。これは「電気と赤毛の3フィートの男についての映画」であった[84]。 この時期、リンチは映画プロデューサーのスチュアート・コーンフェルドと出会い、彼は本作を気に入り『ロニー・ロケット』にも興味を持った。しかし、彼が当時所属していたブルックス・フィルムズでは資金調達の目処が立たないと判断された。そこでリンチは代わりの脚本を見せて欲しいと依頼し、コーンフェルドがリンチが興味を持ちそうと判断して提示した4本の脚本のうちの1つが『エレファント・マン』であった[85]。
『エレファント・マン』の制作中にリンチは、スタンリー・キューブリックと会う機会を得た。キューブリックは『イレイザーヘッド』を気に入っていることを明かし[86]、また後の彼の代表作『シャイニング』(1980年)にも影響を与えた。『シャイニング』の製作にあたってキューブリックは、映画に望む雰囲気を共有するため、スタッフとキャストに本作を見せたという[87]。 さらに本作は、1989年の日本のサイバーパンク映画『鉄男』、1989年の実験的ホラー映画『ビゴット』(Begotten)、ダーレン・アロノフスキーの1998年の監督デビュー作『π』にも影響を与えたとされている[88][89][90]。 映画『エイリアン』のクリチャーデザインで知られるデザイナーのH・R・ギーガーは、本作を「これまで見た中で最高の映画の一つ」と評し[91]、自分の映画よりも自分のビジョンに近かったと述べている[92]。 また、『デューン/砂の惑星』に関連してリンチはギーガーとのコラボレーションを拒否したが、これはリンチが「(ギーガーに)アイデアを盗まれた」と考えたためだとギーガーは主張している[93]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
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外部リンク
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