イラン・ハレヴィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

イラン・ハレヴィ1943年10月12日 - 2013年7月10日ヘブライ語:אִילָן הַלֵּוִי)は、ユダヤ人政治家ジャーナリスト小説家毛沢東主義者パレスチナ解放機構(PLO)最高幹部でありファタハ構成員。若い頃はイスラエル人であったが、のちにシオニズムへの嫌悪感やパレスチナとの連帯のために、ユダヤ人でありながらパレスチナ人となった。

生涯[編集]

フランスリヨンに生まれる。父は20世紀初頭にエルサレムに入植した家庭に育ったイエメン・ユダヤ人[1]

1960年、22歳の時に、イスラエルに移住(アリーヤー)。ところが、1967年の第三次中東戦争の時にパレスチナの抵抗運動への共感からファタハに加入する[2]

ハレヴィは1970年代初頭には、イスラエルの新左翼組織「マツペン」から分離した毛沢東主義団体「マーヴァク」の構成員も務めていた。

その後、パリヨルダン川西岸地区に居を構え、ユダヤ人でありながらパレスチナのために反シオニズム活動を続けた。

2013年7月10日、クリシーで死去。69歳。

評価[編集]

パレスチナ・アラブ世界では好意的に見られていた一方で、ユダヤ人でありながらイスラエル国家に背を向け、パレスチナに味方したため、イスラエル側からは「裏切り者」「国賊」とされることも多い人物であった。

その他[編集]

彼は生前、「私は100%ユダヤ人であり、そして、100%パレスチナ人だ」と語っていた[3]

脚注[編集]

関連項目[編集]