イランにおける女性の人権

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イランにおける女性の人権(イランにおけるじょせいのじんけん)とはイランにおける女性人権問題である。1906年のイラン立憲革命以降近代化進んだが、1979年のイラン革命以降の『イラン・イスラーム共和国』のイスラム原理主義下でそれらが破棄され一般に劣悪であるとされる。だが後述するように改善が見られる部分も存在している。

イラン革命以前[編集]

1906年から1911年にかけてのイラン立憲革命は、イランに西洋的文明と立憲政治に基いた近代化をもたらし、その背景化に『女性愛国協会』(en:Jamiat Nesvan Vatankhah)結成された。彼女たちは、近代的ナショナリズムのもとに、現在的な洋服を着て生活し、貧困者や少女の権利の擁護に努めた。1963年の白色革命以降は、婦人参政権一夫一妻制など、一層の近代化が進められた。しかし地方や農村地域の貧困は改善されず、民衆の不満は高まり、保守的原理主義が台頭し、1979年のルーホッラー・ホメイニーの指導下のイラン革命以降成立した、イラン・イスラーム共和国社会から一掃されることとなる。しかし、イランにおいてトランスセクシャル性別適合手術が合法化され国の支援が受けられるよう認めたのはホメイニーであった。

性的自由[編集]

イランではシーア派イスラームのシャリーアに基づく神権政治がしかれており、婚外交渉が非合法(ハラーム)であるなど性的自由はきわめてきびしく制限されている。婚外交渉は発覚した場合石打ち刑であり、国際社会から極めてきびしい非難を浴びている。

服装の自由[編集]

イランではヘジャーブをかぶらない女性は宗教警察により逮捕される。また女性の体のラインを強調する服装も禁止されている。しかし現在ではテヘランの若い女性はジーパンに短めのヘジャーブで済ませることもあり、宗教警察から『バッドヘジャービー』として敵視されている。

社会進出[編集]

女性の社会進出に関してはイラン・イスラーム共和国はむしろ成功したといえる。これは保守的・教条的イスラームに基づく道徳観を持っていた年長者が社会のイスラーム化によりかえって女子教育や女性の就業に安心感を抱くようになったことが大きい。革命の指導者ホメイニー自身も女性の社会進出は重要であり、女性の権利の拡充も積極的に行うべきとしていた。ただこれはあくまでも『イスラームの絶対的支配に基づく社会規範』に服従する限りにおける女性の社会進出の容認である。近年では、女性の地位向上を含めて人権や民主化の推進のために活躍し、2003年ノーベル平和賞を受賞したシーリーン・エバーディーを中心とした活動家が注目されているが、エバーディーも、たびたび脅迫や投獄を経験し賞金を当局に没収されるなど、依然として困難な状況下にある。

関連項目[編集]