イペタム

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イペタムアイヌ語ローマ字表記:Ipetam)[1]は、北海道アイヌの伝説にある妖刀[2]エペタムと表記されることもある。

概要[編集]

語意は ipe(食う)tam(刀)[2]。道内各地に同様の伝承があるが、むかわ町(旧穂別町)の人喰い刀の伝説がよく知られている。

伝承では、ペップトコタン(現在の穂別中学校付近)という村(コタン)では、酋長の家に魔力を持つ妖刀が納められていた。この妖刀は、盗賊が近付くとカタカタと鍔鳴りの音がして、ひとりでに鞘から抜け出して敵に飛びかかり、相手を殺してまた戻ってきたという。妖刀は血を求め動き出すが、それを止める秘法を知っているただ一人の長老が死んでしまったため、に包んで仕舞込んだ。ある時その包みが妖しく光りだしたので、村人は恐れて刀を捨てに行ったが、山に捨てても川に捨ててもひとりでに戻ってくるのだった。旅の者が、石を食わせればおとなしくなるだろうというので、鉄の箱に石と一緒に入れたところ、石を削る音がしてしばらくは動きださなかった。しかし再び抜け出して人を襲い始め、困った人々が神に祈り、そのお告げの通りに底なし沼へ捨てたところ、ようやく何事もなくなったという。

別の伝承では、ハッタルウシップ(穂別町栄から豊田付近)のある村にハイ(日高町豊郷)のアイヌたちが略奪に攻め寄せてきたが、老婆が目釘の緩んだ山刀を振ってカタカタいわせたところ、襲撃者たちは妖刀の音に違いないと怖気づいて逃げ出したという。ほぼ同じ伝承が阿寒など各地にある中で、門別厚別の伝承では、攻め寄せたのは釧路のアイヌである。この伝承の場合、敵が逃げ出そうとするのを隠れて見ていたのに、ある女が「バカな奴らだ、山刀の音に驚いて」と嘲笑ったのを聞きつけられて、怒った釧路勢に全滅させられたという。登場人物名から、シャクシャインオニビシの争いの一環が伝説化したとされる。

イペタムは伝説上の刀剣であって、その姿は当然わからないが、いわゆるアイヌ刀はその全てが日本刀太刀腰刀の拵か、アイヌ好みの装飾を施した蝦夷拵(えぞこしらえ)である。

なお、「イペタム」はあくまでも妖刀(人喰い刀)の意味の一般名詞であり[2]、北海道各地の伝承では、個別の名称を持った網走最寄のピンネモソミ(細身の男剣)と美幌のマッネモソミ(細身の女剣)、釧路桂恋のオポコロペ(ウボコベ、オボコロベ、妊婦を切った刀)などの妖刀(イペタム)伝説もある。

「イペタム」と「エペタム」の表記の違いについては、アイヌ語にも方言差はあるものの、発音はイペ(ipe)である。伝承を採集した研究者が、北海道方言東北方言の一部のように、イとエの発音の区別がつけられない日本語方言話者であったからではないかとの推測があるが、検証はされていない。

このほかにイペオプ[3](人食い)の伝説もある[2]

各地の妖刀伝説[編集]

上川[編集]

昔、上川の酋長の家(チセ)では、神窓に煤けて古ぼけたゴザの包みが吊り下げられていたが、先祖から「この包みの中の刀は決して開いて見てはならない」と言い伝えられてきた。ある時、包みが妖しく光り出し、酋長の家から夜毎に妖光が走り去ると、光が入った家の者は斬殺され死んでいた。恐れた酋長が包みを山に捨てても川に捨てても、石狩川の一番の深み(神居古潭)に捨てても、いつの間にかひとりでに家に戻っていた。ほとほと困り果てたところ、「ホトイバシ下の沼の巨岩に、祭壇を作って祈ればよい」と神のお告げがあった。沼のほとりの巨岩で祈っているとエゾイタチが現れ、咥えたクルミをその底なし沼に落とすと、水面が風もないのに急に波立った。これは神の使いであると、妖刀を沼に投げ入れたところ、以後は何事も起こらなくなった。水面の波と見えたのは無数の蛇であったという。それから、巨岩をエペタムシュマ(人喰い刀の岩)と呼んだ。また別の伝承では、ある老人が2振の妖刀を持っていた。物を食べさせないと騒ぐので、箱の中に石を入れると音をたてて食べた。このままでは自分も食われると思って底無し沼に納めると、沼の脇に2本の刀形の岩が水底から立つようになった。これらの伝承の巨岩は、現在の旭川市神居町忠和にある、水神龍王神社の立岩であるという。

海岸の洞窟[編集]

昔、網走川の河口から北に進むと、沖に二つ岩という岩塊と、海岸にペシュイ(洞窟)があった。洞窟に入ると途中で二股に道が分かれ、左へ曲がれば川の対岸(網走市大曲)の崖のペシュイに出るが、右へ曲がると冥界に行くという。昔ある時、フーリという大怪鳥がペシュイに住みつき、村人を襲って喰らった。網走モヨロの村には、一抜きで千人斬りという細身の男剣(pinneposomi)があり、美幌の村には同じく一抜き千人斬りの細身の女剣(matneposomi)があったので、モヨロの6人の勇士が男剣を持って退治に出た。その道中で、子を負った女がフーリにさらわれ洞窟に引きずり込まれていたので、3人が剣と共に駆け込み、後の3人が遅れて駆け込んだ。後の3人は崖の洞窟から戻ってきたが、先の3人は戻ってこず、フーリも現れなくなった。これ以来、モヨロには名刀がなくなった。その後、もう一羽のフーリが二つ岩に止まっていたので、今度は美幌の女剣を借り出して退治しようとした。岩へ葦の茎で橋をかけて渡ろうとしたが、茎が折れて渡れない。そこで剣を投げつけるとフーリを喰い殺したという。これらも人喰い刀(イペタム)なので、「喰い殺す」というのである。剣は岩の上で誰も取りに行かず、蛇になってぶら下がっていたがそのうちに消えてしまった。これ以来、美幌にも名刀がなくなった。洞窟は後にフーリシュイ(フーリの穴)と呼ばれた。

釧路桂恋[編集]

昔、釧路桂恋の酋長の家には、見事な鎧と刀が家宝として伝わり、鎧は竿にかけてチャシに立てて飾り、金具が光り輝くのを自慢していたが、刀の方は二重の箱に仕舞い込んで人には見せなかった。箱に干し魚を入れるといつの間にかなくなり、入れないと箱からガクガク音がして催促されるので絶やすことはなかった。これも妖刀(イペタム)なので、「生きた刀」として恐れられていた。光る鎧の話は各地に知れ渡り、北見の酋長の耳にも入った。北見の酋長はどうしても欲しくなり、盗み出そうと算段したが上手くいかない。そこで、男では警戒されるが、妊婦なら油断するだろうと、ある女を忍び込ませた。桂恋の者たちが漁に出た隙に鎧を盗み出したが、それに気づいた桂恋の酋長は刀を持って追いかけ、モシリヤチャシで追いついた。女の背後から切りつけ、胎児もろともに切り殺して鎧を取り戻したので、以後はその刀を妊婦を切った刀(opokorpe)というようになった。

参考文献[編集]

  • 知里真志保『知里真志保著作集 全5巻』 平凡社、1993年
  • 萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典』 三省堂、2002年
  • 近江正一『伝説の旭川及其附近』 旭川郷土研究会、1931年
  • 更科源蔵『北海道伝説集アイヌ編』 楡書房、1955年
  • 宇田川洋『アイヌ伝承と砦』 北海道出版企画センター、1981年
  • チカップ美恵子『森と大地の言い伝え』 北海道新聞社、2005年

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]