イブン・ファキーフ・ハマダーニー
イブン・ファキーフ・ハマダーニー(Ibn al-Faqīḥ al-Hamadhānī)は、9世紀末から10世紀頃のペルシアの文人、地理学者[1][2]。903年ごろに Kitāb akhbār al-Buldān. という地理書をアラビア語で執筆した[1]。
生涯
[編集]生涯に関する情報は皆無であるか、あるいはそれに近い[1][2]。生没年不詳であるが、主著の Kitāb akhbār al-Buldān. (以下、『諸国誌』)の書かれたのがヒジュラ暦290年ごろ(西暦903年又は904年)であろうと推定されている[1][2]。
名前(イスム)は「アフマド」、クンヤは「アブーバクルあるいはアブーアブドゥッラー」、「シハーブッディーン」のラカブがある[注釈 1]。「法学者の息子」の意味を持つ「イブン・ファキーフ」というあだ名と「ハマダーニー」というニスバから、彼がハマダーン出身であり、父親が法学者であることが推測される[1]。また、著作の内容から、イブン・ファキーフはバグダードで暮らしていたことが推測される[1]。ヤークートが引用するシーラワイヒという名のハマダーンの歴史家によると、イブン・ファキーフとその父は、よく知られた伝承学者(イスラーム法学の一分野の専門家)であったという[1][2]。
著作
[編集]イブン・ナディームによると、イブン・ファキーフに帰せられる著作としては、前出の『諸国誌』のほかには、Dhikr al-shaʿrāʾ al-muḥdathīn wa al-baraghāʾ min-hum wa al-mahfūn. というタイトルの、当時のアラビア語詩人の詩を集めた詩集があったようである[2]。いずれもオリジナルは散逸した[1][2]。
Kitāb akhbār al-Buldān. (タイトルを日本語に訳した例では『諸国誌』あるいは『諸国志』がある。)は、簡約版が伝存している[1][2]。イブン・ナディームによると、散逸したオリジナル版は2ツ折り紙1000枚分のボリュームがあったとのことである[2]。
簡約版は1997年現在のところ2種存在していて、1種目はドイツ、イギリス、インド、ウズベキスタンに手写本が保存されている Moḵtaṣar と呼ばれるバージョンである[1]。Moḵtaṣar は1022年ごろにシャイザーリーという者が編集した簡約版であり、1885年にデ・フーイエにより校勘された印刷本も出版されている[1]。シャイザーリーによる Moḵtaṣar は、マクディスィー(ムカッダスィー)によると「首尾一貫性を毀損し、重要な部分を端折り、些末な内容を付け加えた」ものであるという[2]。
簡約版の2種目は、Kitāb akhbār al-Buldān. の後半部分だけの抜粋であり、13世紀初頭にイランで筆写されたものである[1]。マシュハドの図書館に所蔵されていて「マシュハド本」と呼ばれている[1]。
Kitāb akhbār al-Buldān. の内容は、マクディスィーやヤアクービーなど後世の地理学者によく参照されている[1][2]。
註釈
[編集]出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 Khalidov, Anas B. (1997年12月15日). “EBN AL-FAQĪH, ABŪ BAKR AḤMAD”. Encyclopaedia Iranica. 2026年2月13日閲覧.
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 Massé, H. (1971). “Ibn al-Faqīḥ”. In Lewis, B.; Ménage, V. L. [英語版]; Pellat, Ch. [英語版]; Schacht, J. [英語版] (eds.). The Encyclopaedia of Islam, New Edition, Volume III: H–Iram. Leiden: E. J. Brill. pp. 761a–762a.