イブラーヒーム・シャー
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イブラーヒーム・シャー | |
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スール朝第5代君主 | |
在位 | 1555年 |
死去 |
1567/8年 |
配偶者 | ムハンマド・アーディル・シャーの姉妹 |
王朝 | スール朝 |
イブラーヒーム・シャー(Ibrahim Shah, 生年不詳 - 1567/8年)は、北インド、 スール朝の第5代君主(在位:1555年)。
生涯
[編集]イブラーヒーム・シャーはアーグラを統治していた。彼はまた、スール朝の君主イスラーム・シャーの娘婿であった。
1554年末、イスラーム・シャーが没し、息子フィールーズ・シャーが王位を継承したが、一カ月足らずでムハンマド・アーディル・シャーによって殺害された[1]。
1555年、ムハンマド・アーディル・シャーの姉妹の夫であるイブラーヒーム・シャーは反乱を起こし、ムハンマド・アーディル・シャーの軍を破り、デリーを占拠した。だが、イブラーヒーム・シャーはシカンダル・シャーの軍勢にアーグラ付近で敗れ、彼もまたデリーを追われた[2]。
一方、東部へと追われたアーディル・シャーはその地を領土としていたが、デリーを追われてきたイブラーヒーム・シャーはその地に侵入した。だが、イブラーヒーム・シャーはヘームーによって、カールピーとカーンワーで二度にわたって破られ、バヤーナーの城へと逃げ込んた。
だが、ヘームーはバヤーナーの城を包囲し、イブラーヒーム・シャーは籠城を余儀なくされた。その間、ベンガルを統治していたムハンマド・ハーン・スーリーがカールピーに接近してきたため、バヤーナーを包囲していたヘームーを呼び戻したため、難を逃れた。
その後、イブラーヒーム・シャーはオリッサ方面へと逃げ、1567年から1568年の間に没したという[2]。
脚注
[編集]- ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.181
- ^ a b Majumdar, R.C. (ed.) (2007). The Mughul Empire, Mumbai: Bharatiya Vidya Bhavan, ISBN 978-81-7276569-9,pp.94-6
参考文献
[編集]- サティーシュ・チャンドラ 著、小名康之、長島弘 訳『中世インドの歴史』山川出版社、2001年。ISBN 4-634-67260-X。
- フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』創元社、2009年。ISBN 978-4-422-21520-4。
関連項目
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