イニャキ・ウルダンガリン

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イニャキ・ウルダンガリン
Iñaki Urdangarin
Iñaki Urdangarín.jpg
名前
本名 Iñaki Urdangarin Liebaert
イニャキ・ウルダンガリン・リエバエルト
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1968-01-15) 1968年1月15日(48歳)
出身地 スペインの旗 スペインバスク州ギプスコア県スマラガ
身長 197cm
体重 99kg
選手情報
ポジション ライトバック
利き腕
クラブチーム
クラブ App (G)
1986-2000 スペインの旗 FCバルセロナ
代表歴
1992-2000  スペイン 170(371)


Templateノート

イニャキ・ウルダンガリン・リエバエルトバスク語: Iñaki Urdangarin Liebaert, 1968年1月15日 - )はスペインの元ハンドボール選手。

略歴[編集]

1968年10月5日、ギプスコア県スマラガバスク系の父フアン・マリア・ウルダンガリン・ベリオチョアスペイン語版ベルギー系の母クレール・フランソワーズ・リーバルト・クールタンの間に生まれ、バルセロナで成長した。18歳の時にハンドボールのプロチームであるFCバルセロナに入団、2000年に現役引退するまでプレイを続けた。スペインのハンドボール界で最も成功した選手であり、40個以上のトロフィーを獲得している。また、ESADE経営学を学び修士号を取っている。

オリンピックにはバルセロナアトランタシドニーの3大会に出場、シドニー大会ではキャプテンを務めた。

アトランタ大会の際にスペイン王女クリスティナと出会い、それがきっかけとなって翌1997年10月4日にバルセロナで2人は結婚した。クリスティナ王女には1代限りのパルマ・デ・マヨルカ公爵の称号がフアン・カルロス1世より授けられた[1]ため、ウルダンガリンはパルマ・デ・マヨルカ女公爵の配偶者としてパルマ・デ・マヨルカ公爵(Duque consorte de Palma de Mallorca)と呼ばれた。

クリスティナとの間に3男1女を儲けた。

2001年4月4日からスペインオリンピック委員会英語版のメンバーになり、2004年2月16日には委員長代理に選ばれている。

2013年2月、会長を務めていた非営利団体を通じ地元政府から資金を不正に取得していた疑惑が浮上、捜査当局から聴取を受けた。また、妻のクリスティナ王女も共謀の疑いが持たれている[2]

同年11月4日、スペインの予備判事はウルダンガリンの資産の差し押さえを命じた[3]

2015年6月12日、クリスティナは弟のフェリペ6世からパルマ・デ・マヨルカ公爵位を剥奪されたため、ウルダンガリンもパルマ・デ・マヨルカ公爵とは呼ばれなくなった。

脚注[編集]

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イニャキ・ウルダンガリンの紋章
獲得メダル
スペインの旗 スペイン
男子 ハンドボール
オリンピック
1996 アトランタ 団体
2000 シドニー 団体
スペイン王室
Coat of Arms of Spanish Monarch.svg

フアン・カルロス1世
ソフィア王妃