イナリトウザイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
イナリトウザイ
品種 アングロアラブ
性別
毛色 鹿毛
生誕 1971年4月21日
死没 2002年8月(31歳没)
カリム
タクマサル
母の父 ヒシマサル
生国 日本の旗 日本北海道新冠町
生産 渕瀬敏光
馬主 イナリ競走馬(株)
→牧野英
調教師 鴨田次男(中山
→三坂博(大井
競走成績
生涯成績 19戦13勝
中央競馬12戦7勝)
地方競馬7戦6勝)
テンプレートを表示

イナリトウザイとは日本アングロアラブ競走馬である。サラブレッドを相手に重賞を含む複数の競走で勝利を収め、「アラブの魔女」と称された。アラブ血量は25パーセント。

概要[編集]

1973年6月に中央競馬でデビュー。圧倒的な快速振りでアングロアラブ限定戦を3連勝(うち2レースはレコードタイム)を収めた後はサラブレッドを相手にレースをするようになり、サラブレッドオープンクラスのレースで3連勝(うち1レースはレコードタイム)を収めた。この実績によって1973年度の優駿賞最優秀アラブを受賞した。なお、のちの桜花賞馬であるタカエノカオリを破っている。

1974年は中央競馬のオープンクラスで4戦(1勝)した後に地方競馬大井競馬場)へ移籍。当時は地方競馬のアラブのレベルは高く、また番組も中央に比べて多く組まれていたこともあり、この移籍は決して都落ちではなく更なる高みを目指すためのものであった。移籍後2連勝の後南関東アラブ三冠のひとつであるアラブダービーを優勝し、さらにサラブレッドを相手にオープン特別を優勝。続くアラブ王冠賞(南関東アラブ三冠レースのひとつ)ではイナリトウザイとの対戦を回避する馬が続出し、出走頭数不足により競走取り止めとなった。アラブ王冠の代替レースとして陣営はサラブレッドの重賞東京盃への出走を決定、1969年ヤシマナシヨナルが樹立したコースレコードを大きく更新する1分10秒5のタイムで優勝した。なおこのタイムは、当時の東京競馬場芝1200メートルのレコードタイムより0秒3も速く、記録員は最初「時計が壊れたか」と思ったそうである[1]。しかし、その後、担当厩務員が原爆症に起因する白血病で入院するなど不運なアクシデントが重なった事で本調子を欠き、暮れの全日本アラブ大賞典に出走したものの5着に敗退(勝ち馬はポートスーダン)。

1975年1月のレースを最後に競走馬を引退し、繁殖牝馬となった。産駒からアングロアラブのリーディングサイアーに4度輝いたキタノトウザイなど、4頭の種牡馬を輩出。牝系も、殆どの産駒が勝ち星を挙げるなど、繁殖馬として自らの優れた能力を後世に伝えた。

1999年NARグランプリの特別表彰馬に選出された。

血統表[編集]

イナリトウザイ血統(サラ ネアルコ系Nearco2×5=28.12%/アラブ血量25.00%) (血統表の出典)
父系

サラ *カリム
Karim
1953 鹿毛
父の父
サラ Nearco
1935 黒鹿毛
サラ Pharos サラ Phalaris
サラ Scapa Flow
サラ Nogara サラ Havresac
サラ Catnip
父の母
サラ Skylarking
1947 栗毛
サラ Mirza サラ Blenheim
サラ Mumtaz Mahal
サラ Jennie サラ Apelle
サラ Lindos Ojos

アア タクマサル
1963 鹿毛
サラ ヒシマサル
1955 鹿毛
サラ *ライジングフレーム
Rising Flame
サラ The Phoenix
サラ Adomirable
サラ カツター サラ 月友
サラ セフトマス
母の母
アラ 琢斗
1955 鹿毛
アラ *ニーフアン
Nifan
アラ Norniz
アラ Nifa
アラ 琢楓 アラ *フアヘツド
アラ 師択 (アラ オーバーヤン五ノ七系)
母系(F-No.)
5代内の近親交配
出典

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 寺山修司・著『競馬放浪記』〜アラブの魔女〜より

外部リンク[編集]