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イタリフィルム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イタリフィルム有限会社
Italifilm Co., Ltd.
種類 有限会社
市場情報 消滅
本社所在地 日本の旗 日本
東京都千代田区有楽町1-1 日活国際会館
設立 1949年2月
業種 商社
事業内容 イタリア映画の輸入配給
日本映画の輸出
代表者 ジュリアーナ・ストラミジョーリ
関係する人物 曾我正史
特記事項:
1949年2月 設立
1962年3月 曾我正史に営業譲渡
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イタリフィルム有限会社(Italifilm Co., Ltd., 1949年2月 設立 - 1962年3月 売却)は、かつて存在した日本の映画会社である[1]

略歴・概要

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イタリア映画の日本への輸入配給、および日本映画の輸出を目的として、第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)2月に東京・千代田区に設立された[1]。社長はジュリアーナ・ストラミジョーリ。初年度の配給を東宝に委託し、同年9月6日、『戦火のかなた』を第1回作品として公開した[2]。以降、松竹新外映日活エイショウ・トレイディング・カンパニーニッポンシネマコーポレーション(NCC)と共同配給、あるいは単独でイタリア映画を多く紹介した。

大映京都撮影所が製作し、1950年(昭和25年)8月25日に大映が公開した黒澤明監督の『羅生門』を第12回ヴェネツィア国際映画祭に出品すべく尽力[3]、結果、同作は1951年(昭和26年)、金獅子賞およびイタリア批評家賞を受賞する[4]

1958年(昭和33年)11月、大蔵省の方針によって拡大し、営業部長河合淳、宣伝部長中村二郎となる[5]

1962年(昭和37年)3月、1億円弱の負債とともに『』、『夏の嵐』等をかつて共同配給したNCCの元会長で、大映の元専務取締役の曾我正史に営業譲渡し、ストラミジョリ社長は引退する[3]。曾我はこの営業権をもって、翌1963年(昭和38年)7月、東京第一フィルムを設立する[3]

おもなフィルモグラフィ

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キネマ旬報映画データベースに見られる配給作品の一覧であり、日本での配給作品のみである[6]。特筆以外の製作国はイタリア、製作順。

1940年代

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1950年代

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1960年代

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関連事項

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  1. ^ a b 『電通広告年鑑 1956年』、電通、1956年、p.744.
  2. ^ a b 日本映画発達史 III 戦後映画の解放』、田中純一郎中公文庫、1976年2月10日 ISBN 4122003059, p.368-369.
  3. ^ a b c 日本映画発達史 IV 史上最高の映画時代』、田中純一郎、中公文庫、1976年3月10日 ISBN 4122003156, p.451.
  4. ^ Rashômon - IMDb(英語), 2010年7月27日閲覧。
  5. ^ 『日本映画発達史 IV 史上最高の映画時代』、p.348.
  6. ^ キネマ旬報映画データベース、2010年7月26日閲覧。
  7. ^ 甘い暴力、キネマ旬報映画データベース、2010年7月28日閲覧。