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イスタフリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

イスタフリーal-Iṣṭak͟hrī、生没年不詳)は、10世紀のムスリムの旅行家、地理学者[1]。『諸道と諸国』というタイトルの、簡略化した図形や線で諸国の地理や交易路・巡礼路を示した地理書を著した[2][3]

人物

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イスタフリーがどのような生涯を送ったかを明らかにする資料はほとんどない[1][2]。クンヤはアブーイスハーク、イスムはイブラーヒーム、ナサブはイブン・ムハンマド(Abū Isḥāq Ibrāhīm b. Muḥammad)という[1][2]。ニスバがいくつか知られているが、それらの根拠が不明であり、どの程度信頼できるのかわからない[2]ヤークート(1229年歿)が「イスタフリー」と呼んでいるため、欧米の東洋学者もそれに倣っている[2]。イスタフリー(al-Iṣṭak͟hrī)とは「イスタフルの人」を意味し、イスタフル英語版ファールス地方ペルセポリスから北へ1時間ほど歩いたところにあった町の名前である[4]

しかし、イスタフリーと同時代を生き、彼の仕事を直接受け継いだイブン・ハウカル(978年以後歿)は「イスタフリー」と呼んでいない[2]。イブン・ハウカルはイスタフリーのニスバを「ファーリスィー」(al-Fārisī, 「ファールスの人」「ペルシャ人」いずれの意味にもとれる)とだけ記している[2]。さらにその継承者であるマクディスィー英語版(991年歿)は「ファーリスィー」に「カルヒー」(al-Kark͟hī)のニスバを付け加えている[2]。そのため、イスタフリーは生涯の一時期にバグダードカルフ区英語版に住んでいた、と推測できる[2]。いずれにせよイスタフリーがイラン系(ペルシャ人)か否かを判断するには資料が少なすぎると言える[1][2]

イスタフリーの著作の中には、ヒジュラ暦296年ラビー1月20日(ユリウス暦908年12月17日)に起きたアブドゥッラー・イブン・ムウタッズ英語版の反乱事件直後のバグダードについて生々しい記述がある[1]。この記述は当時彼がこの街にいたことを示す有力な証拠である[1]。その時点より前に、彼はいちどメッカ巡礼を果たすとともに、死海周辺の町々を旅行している[1]。また別の箇所の記述によると、イスタフリーは930年ごろにクーファバスラフーゼスターンレイブハラサマルカンドに滞在したとのことである[1]

イブン・ハウカルによると、彼は諸国遍歴の途中でイスタフリーに出会い、著作の地図と本文中の誤謬を直すように依頼を受けたという[3]。イブン・ハウカルによると、その出会いはヒジュラ暦340年頃(ユリウス暦951-952年頃)スィンドにおけるものであったとのことである[2]。スィンドのどこという具体的地名は示されず、引退した地理学者(=イスタフリー)と、ひととおりの研修を終えてこれから旅に出ようとする若者(=イブン・ハウカル)が出会った場所としてはバグダードがありえそうなのではあるが、フランスの東洋学者アンドレ・ミケルフランス語版によると、この点は重要ではない[2]。重要なのは、イブン・ハウカルがイスタフリーの地図作成と地理記述の形式を受け継いだという点である[2]

著作

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Kitāb al-Masālik wa al-mamālik という地理書が有名である[3][5]。書名の日本語訳としては『諸道と諸国』とするものが多い[3][5]。このほかには、Risāla というファールス地方に関する論文があるようである[2]。『諸道と諸国』は「イスラーム世界図」(Atlas of Islam)を描こうとするアブーザイド・アフマド・バルヒーの構想を継承した著作である[2][5]

典拠

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  1. ^ a b c d e f g h Bolshakov, O. G. (1998). Eṣṭaḵrī, Abū Esḥāq Ebrāhīm. In Yarshater, Ehsan (ed.). Encyclopædia Iranica (online). New York: Encyclopædia Iranica Foundation, Inc.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Miquel, A. (1978). “Iṣṭak͟hrī, al-”. In van Donzel, E. [英語版]; Lewis, B.; Pellat, Ch. [英語版]; Bosworth, C. E. [英語版] (eds.). The Encyclopaedia of Islam, New Edition, Volume IV: Iran–Kha. Leiden: E. J. Brill. pp. 222b – 223b.
  3. ^ a b c d 竹田, 新「イブン・ハウカルのマグリブ図」『大阪大学世界言語研究センター論集』第1号、2009年、247-277頁、2025年9月17日閲覧 
  4. ^ Streckl, M. (1978). “Iṣṭak͟hr”. In van Donzel, E. [英語版]; Lewis, B.; Pellat, Ch. [英語版]; Bosworth, C. E. [英語版] (eds.). The Encyclopaedia of Islam, New Edition, Volume IV: Iran–Kha. Leiden: E. J. Brill. pp. 219b – 222b.
  5. ^ a b c 羽田正「第1章前近代ムスリムの地理的知見と世界像」『〈イスラーム世界〉とは何か』講談社〈講談社学術文庫〉、2021年。ISBN 978-4-06-522442-7