イグエイ

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Higüey
イグエイ
アルタグラシア・聖母マリア教会
Higüeyの位置(ドミニカ共和国内)
Higüey
Higüey
ドミニカ共和国
ラ・アルタグラシア州
建設 1503年
市制 1844年
面積[1]
 - Total 2,029.14km2 (783.5mi2)
標高[2] 106m (348ft)
人口 (2010年12月1日)
 - Total 147,978人
 - 住民呼称 Higüeyano(a)人
ケッペンの気候区分 熱帯雨林気候(Af)
プンタ・カナ
ラ・アルタグラシア大聖堂

イグエイ (スペイン語:Higüey / スペイン語発音: [iˈɣwei])は、ドミニカ共和国東端のラ・アルタグラシア州の州都。 2010年の人口は14万7978人[3]で、国内6位。 市街地をユマ川英語版が流れる。 イグエイはコロンブスエスパニョーラ島東端に着いた時の首長の名前でもある。 観光と畜産の首都とも呼ばれる。

人口[編集]

経済[編集]

農業[編集]

畜産[編集]

その他[編集]

歴史[編集]

ヨーロッパ人がイスパニョーラ島を征服した頃、イグエイ周辺にはタイノ人のサイシム・イグエイ王国が有った。

ニコラス・デ・オバンド

1502年ニコラス・デ・オバンドが島の総督に就任した。

1503年フアン・デ・エスキヴェル英語版が征服を指揮した。 エスキヴェルはサオナ周辺でタイノ人をスパニッシュ・マスティフを用いて虐殺した[4]

バルトロメ・デ・ラス・カサス

後にバルトロメ・デ・ラス・カサスは、スペイン人が降伏の後に勇敢に抵抗したタイノ人を虐殺した事を記録している。 男だけでなく女子供も拷問され、手足を切断され、吊るされた[5]

1508年12月7日セビリアのスペイン貿易機関は、イグエイに限定的自治権を与えた。

1519年までにイグエイ地方のタイノ人は奴隷にされ、人口は1189人にまで減らされた[6]。 その為スペイン人はアフリカ人を奴隷として拉致した。

1791年ハイチ革命が始まった。

1795年バーゼルの和約によって、スペインは全島をフランスに割譲した。

トゥーサン・ルーヴェルチュール

1801年ハイチの独立運動指導者のトゥーサン・ルーヴェルチュールが、全島を掌握し、奴隷を解放した。 イグエイはオザマ県に編入された。

1809年、スペインが島の東側を再占領し、スペイン領ボバ英語版を建国した。 イグエイはエル・セイボ地域に編入された。

1814年パリ条約 (1814年)によって、東側は正式にスペイン領になった。

1821年11月30日スペイン人ハイチ共和国英語版として独立した。

ジャン・ピエール・ボワイエ

1822年1月、ハイチのジャン・ピエール・ボワイエに占領された。(en:Haitian occupation of Santo Domingo) 経済は混乱したが、奴隷制廃止を唱えるイギリスウィリアム・ウィルバーフォースに従うイギリス海軍やハイチによって、奴隷は解放された。

1844年ラ・トリニタリア英語版の努力を通してドミニカ共和国は再独立し、ハイチ人を一掃した。 新政府中央会議がイグエイで行われた。

1845年ペドロ・サンタナ英語版が初代大統領になった。

1861年、サンタナはハイチからの圧力を撃退する為にスペインに再併合を申込み、自身は総督になった。

1865年、再独立を果たした。 この4年間では、東部地域は発展しなかった[7]

1906年アメリカ合衆国の保護国になった。 未だに地方では貴族の派閥政治が行われていた。

1916年1924年エル・セイボ州英語版のゲリラがアメリカと戦争を行った。 (en: United States occupation of the Dominican Republic (1916–24))

ラファエル・トルヒーヨ

1930年ラファエル・トルヒーヨ大統領の独裁政治が始まり、イグエイの比較的豊かな時代は終わった。

気候[編集]

イグエイ(1961年~1990年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 35.0
(95)
36.0
(96.8)
37.0
(98.6)
36.0
(96.8)
37.0
(98.6)
37.4
(99.3)
37.0
(98.6)
38.0
(100.4)
38.4
(101.1)
38.0
(100.4)
39.0
(102.2)
33.0
(91.4)
39.0
(102.2)
平均最高気温 °C (°F) 29.1
(84.4)
29.3
(84.7)
30.2
(86.4)
30.7
(87.3)
31.2
(88.2)
32.2
(90)
32.4
(90.3)
32.4
(90.3)
32.5
(90.5)
32.0
(89.6)
30.7
(87.3)
29.1
(84.4)
31.0
(87.8)
平均最低気温 °C (°F) 20.0
(68)
19.9
(67.8)
20.3
(68.5)
21.1
(70)
22.1
(71.8)
23.0
(73.4)
23.3
(73.9)
23.3
(73.9)
23.0
(73.4)
22.4
(72.3)
21.6
(70.9)
20.7
(69.3)
21.7
(71.1)
最低気温記録 °C (°F) 13.0
(55.4)
14.5
(58.1)
15.0
(59)
16.1
(61)
17.3
(63.1)
19.0
(66.2)
19.0
(66.2)
19.1
(66.4)
19.1
(66.4)
19.1
(66.4)
16.2
(61.2)
16.8
(62.2)
13.0
(55.4)
雨量 mm (inch) 75.6
(2.976)
66.8
(2.63)
71.6
(2.819)
105.3
(4.146)
183.1
(7.209)
101.3
(3.988)
117.9
(4.642)
141.2
(5.559)
134.4
(5.291)
160.0
(6.299)
152.1
(5.988)
113.9
(4.484)
1,423.2
(56.031)
平均降雨日数 (≥ 1.0 mm) 10.1 7.6 7.1 8.0 11.4 8.8 11.0 12.1 10.3 12.2 12.5 12.9 124.0
出典: NOAA[8]

空港[編集]

プンタ・カナ国際空港

観光地[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Superficies a nivel de municipios, Oficina Nacional de Estadistica
  2. ^ De la Fuente, Santiago (1976) (Spanish). Geografía Dominicana. Santo Domingo, Dominican Republic: Editora Colegial Quisqueyana. 
  3. ^ City Population閲覧日:2017年3月9日
  4. ^ José R. Oliver (2009). Caciques and Cemí idols: the web spun by Taíno rulers between Hispaniola and Puerto Rico. University of Alabama Press. p. 195. 
  5. ^ José R. Oliver (2009). Caciques and Cemí idols: the web spun by Taíno rulers between Hispaniola and Puerto Rico. University of Alabama Press. pp. 194–6. 
  6. ^ José R. Oliver (2009). Caciques and Cemí idols: the web spun by Taíno rulers between Hispaniola and Puerto Rico. University of Alabama Press. p. 81. 
  7. ^ Upon being restored, the Republic acquired again placed Higüey in el Seibo province, by the Decree Not. 860 of August 12, 1865.
  8. ^ Higuey Climate Normals 1961-1990”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2016年9月12日閲覧。

座標: 北緯18度37分 西経68度42分 / 北緯18.617度 西経68.700度 / 18.617; -68.700