イオン・イリエスク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
イオン・イリエスク
Ion Iliescu
Ion Iliescu (2004).jpg
イオン・イリエスク

 ルーマニア
第4代大統領
任期 2000年12月20日 – 2004年12月20日

任期 1990年6月20日 – 1996年11月29日

 ルーマニア
初代暫定国家統一評議会議長
任期 1990年1月13日 – 1990年6月20日

任期 1989年12月26日 – 1990年1月13日

ルーマニアの旗 ルーマニア
青少年関係問題相
任期 1967年 – 1971年
元首 ニコラエ・チャウシェスク

出生 (1930-03-03) 1930年3月3日(87歳)
ルーマニア王国の旗 ルーマニア王国カララシ県オルテニツァ
政党 ルーマニア共産党→)
救国戦線→)
(民主救国戦線→)
社会民主党
配偶者 ニーナ・イリエスク
救国戦線による政権樹立を発表するイリエスク(1989年)

イオン・イリエスクルーマニア語: Ion Iliescu1930年3月3日 - )は、ルーマニア政治家大統領(第2、4代)、救国戦線評議会議長(初代)、社会民主党議長を歴任。

政府中枢からの旧共産党員排除の不徹底や、ルーマニア革命での銃撃戦の真相究明を求める国民運動への弾圧、経済政策の失敗などで、非共産党系のエミル・コンスタンティネスク政権誕生(無血革命)を招いた。

概要[編集]

カララシ県オルテニツァ出身。ブカレスト工科大学を経て、モスクワ大学エネルギー研究所に留学する。

共産党時代[編集]

1944年、共産主義青年連盟、1953年にルーマニア共産党に入党。

1956年に青年連盟中央委員会書記、1965年に党中央政治局、1967年に青少年関係問題相と順調に出世する。しかしニコラエ・チャウシェスクにより、ティミシュ県の副市長、1974年からヤシ県の副市長を任命され、国政から排除される。

1984年、中央政治局員を外され、出版社に勤務する。その頃、セクリタテア(秘密警察)の尾行対象者として監視されていた。

ルーマニア革命後[編集]

1989年ルーマニア革命により共産党政権が崩壊し、政権を掌握した救国戦線の評議会議長に就任、暫定的に国家元首になる。

1990年1月、救国戦線を政党に移行するため暫定国家統一評議会を設立、議長に就任し正式に国家元首になる。2月、正式政府の発足に伴い救国戦線を政党へ衣替えする。再び議長(党首)に就任。5月、ルーマニア初の複数政党制秘密選挙による自由選挙で85.1%を獲得、大統領に当選。

1991年、救国戦線から脱退、民主救国戦線を結成し党首に就任。1992年10月、大統領選挙で47.3%を獲得し再選。

1993年7月、民主救国戦線から社会民主主義党(現:社会民主党)に改称、党首に就任。1996年11月、大統領選挙で中道右派エミル・コンスタンティネスクに敗れる。

2000年11月、大統領選挙で中道右派の候補を抑え復帰。2004年12月、任期満了に伴い大統領職を退任。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


公職
先代:
エミル・コンスタンティネスク
ルーマニアの旗 大統領
第4代:2000 - 2004
次代:
トライアン・バセスク
先代:
ニコラエ・チャウシェスク
ルーマニアの旗 大統領
第2代:1990 - 1996
次代:
エミル・コンスタンティネスク
先代:
(設置)
ルーマニアの旗 暫定国家統一評議会議長
初代:1990
次代:
(廃止)
先代:
(設置)
ルーマニアの旗 救国戦線評議会議長
初代:1989 - 1990
次代:
(廃止)
先代:
ルーマニアの旗 青少年関係問題相
1967 - 1971
次代:
党職
先代:
社会民主党議長
第2代 : 1997 - 2000
次代:
先代:
(設置)
民主救国戦線議長
初代 : 1991 - 1993
次代:
(廃止)
先代:
(設置)
救国戦線議長
初代 : 1990 - 1991
次代:
(廃止)