アーチボルド・ルシアス・ダグラス

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バニティ・フェア』1902年7月号

サー・アーチボルド・ルシアス・ダグラス(Sir Archibald Lucius Douglas、1842年2月8日 - 1913年3月12日)は、イギリス海軍軍人。明治期日本のお雇い外国人のひとりで、日本の海軍兵学校教育の基礎を固めた[1]勲一等旭日大綬章受章者[2]

略歴[編集]

1842年、現カナダケベック州に生まれる。

ケベック高校を卒業後、1856年士官候補生としてイギリス海軍に入る。1873年明治6年)から1875年まで、ダグラス教官団(イギリス海軍顧問団)の団長として日本に滞在した。1901年中将に昇進、1902年から1904年まで北米艦隊司令長官を務め、1907年に退役した。1910年にはマギル大学の名誉法学博士となる。1902年バス勲章のナイト・コマンダー(KCB)、1905年ロイヤル・ヴィクトリア勲章のナイト・グランド・クロス(GCVO)、1911年にバス勲章のナイト・グランド・クロス(GCB)を受章している。

1913年、イングランドのハンプシャー、ニューナムで没。

エピソード[編集]

駐日中、海軍兵学寮サッカーを教えた。これが日本のサッカーの起源の一説とされている[3]

脚注[編集]

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  1. ^ 実松譲『海軍大学教育』(光人社NF文庫)、72頁
  2. ^ 篠原宏『日本海軍お雇い外人』(中公新書)、156頁
  3. ^ 出典:『JFAサッカーQ&A - サッカー全般』、日本サッカー協会