アーサー・ホーランド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
アーサー・ホーランド
Arthur Masayuki Hollands
個人情報
別名 岡田 正之
出生 (1951-09-27) 1951年9月27日(66歳)
日本の旗 日本大阪府大阪市西成区
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
居住地 日本の旗 日本東京都
職業 宣教師牧師
出身校 サンタアナ・カレッジ

アーサー・ホーランド(Arthur Masayuki Hollands、1951年9月27日[1] - )は大阪府大阪市出身の日本在住のアメリカ合衆国牧師である。基督兄弟団成増教会の元協力牧師である。[2][3]また、キャンパス・クルセード・フォー・クライスト(CCCC)所属の日本宣教師、伝道団隊ミッション・バラバの創設者、及び、アーサー・ホーランド・ミニストリー主宰である。それに加え作家業、俳優業、講演なども行う。アメリカ合衆国のサンボレスレリングと柔道の元選手。日本名は岡田正之

来歴[編集]

初期[編集]

1951年(昭和26年)大阪府大阪市西成区に米国籍のアメリカ海兵隊員の父と寿司屋の娘の間に長男として生まれる。[4]

父親が東京でアメリカ合衆国政府関係の職を得一家は東京に移るが、祖父の希望でホーランドは大阪に残り、幼少期を寿司屋を経営する祖父の元で過ごす。城星学園というカトリック系のミッションスクールで学で学ぶが、祖父母は創価学会の信者であった。

1963年(昭和38年)小学6年の頃、父親が東京赤坂山王ホテルの副総支配人になると、ホーランドも東京に移住し、東京品川にあったフランス・カナダ系ミッションスクールセント・メリーズ・インターナショナル・スクールで学ぶことになる。

1966年(昭和41年)父親の勧めで、15歳の頃から講道館に通い柔道を学ぶことになる。中学生時代からバスケット部に所属するが、高校1年の頃に学校に新設されたレスリング部にも入部する。高校2年からローマオリンピックで銀メダルを取ったブルーノから教えを受けることになる。しかし、学校で暴力事件でレスリング部を退部させられる。その頃、講道館で東京オリンピックにアメリカ代表として出場したポール丸山(英語版)[5]に出会い、日米親善試合のアメリカ代表として試合に出場することになる。この頃、東京オリンピックの金メダリスト岡野功に出会い、岡野の弟子になり、岡野の主宰する正気塾の寮に入寮する。高校を卒業した後も岡野の師事し続ける。[6]その頃、バーの用心棒をしていた。[7]

米国時代[編集]

1972年(昭和47年)1月、20歳で渡米しロサンゼルスの南のオレンジカウンティにホームスティしながら、カリフォルニア州サンタアナにあるサンタアナ・カレッジ(英語版)で学ぶ。サンタアナ・カレッジでは、FBI捜査官を目指し犯罪学を専攻する。

大学でサンボレスリングを始める。[8]サンボでは全米柔道選手権で3位の成績を残す。

その頃、人生の空虚感からマリファナハッシュに中毒になる。1974年(昭和49年)9月、アメリカに滞在していた岡野功から誘われ、岡野の岳父が牧師をしている教会の礼拝に参加する。岡野の岳父に導かれ洗礼を受け、クリスチャンになる。その時23歳であった。[9]

その後、アルバイト先のトレーニングジムでスポーツ伝道をしていたレスリングのコーチの通うシール・ビーチという教会のメンバーになる。1975年(昭和50年)と1976年(昭和51年)2年連続で全米サンボ選手権78kg級で優勝する。この頃、キャンパス・クルセード・フォー・クライスト(CCCC)のメンバーになり、レスリングチームの一員として、全米の大学を回りスポーツ伝道師として活動をするようになった。

1978年(昭和53年)にはパンアメリカン選手権大会で銀メダルを受賞し、チームでは金メダルを受賞し世界選手権への出場権を獲得する。1979年(昭和54年)その後、試合中に負傷し入院する。脛骨の複雑骨折と亜脱臼と診断され、完治まで半年を要した。リハビリを続けて1年後には回復するが、キャロリン[10]と結婚したことがきっかけで日本宣教師を志すようになる。レスリング選手を引退し日本派遣宣教師になる。

宣教師時代[編集]

1982年(昭和57年)9月、CCCCの宣教師として、伝道のために妻と一緒に帰国する。最初に名古屋で宣教師の訓練を受けながら、日本の社会学を学ぶ。1988年(昭和63年)にはソウルオリンピック選手村の公認チャプレンを務める。

1989年(平成元年)1月に親友松沢秀章を新宿駅まで待っている間に路傍伝道の方法を思いつく。新宿歌舞伎町で、新しい方法で路傍伝道を始める。[11]その頃、元暴力団員の神学生鈴木啓之らが路傍伝道を手伝うようになる。

1990年(平成2年)、洗礼を受けたサンディエゴの教会で牧師としての按手礼(承認)を受け、正式な牧師になる。1991年(平成3年)、全国47都道府県、68カ所にて路傍伝道を行い、最後は富士山山頂での伝道を行う。

1992年(平成4年)、鈴木啓之を始め7人で日本列島を沖縄から北海道の宗谷岬まで3700kmを十字架を背負って徒歩での全国縦断伝道(『日本リバイバル十字架行進』)を行う。[12]

1993年(平成5年)夏にはミッションバラバを率いて、韓国を訪問する。釜山から板門店まで、前年と同様に十字架行進と教会の訪問を行う。[13]この流れで、年の暮れに、ホーランドの呼びかけに応じた、十字架行進に参加したメンバーが「ヤクザ・フェローシップ」という聖書研究会を結成する。その後、ホーランドを顧問として「ミッション・バラバ」と改称して路傍伝道や伝道集会のなどの活動を始める。[14]

1994年(平成6年)にはホーランドが引率して北米の伝道旅行に行く。最初に、アメリカ合衆国ワシントン州シアトルカナダバンクーバー。そして、11月18日にはサンタバーバラ、ついで11月26日にはロサンジェルスリトル東京の教会などで講演を行う。ホーランド達の活動はアメリカ合衆国の日系アメリカ人の新聞で報道される。[15]

1995年(平成7年)夏には、ミッションバラバのメンバーと共に、阪神淡路大震災の被災地を見舞う。2000年(平成12年)には、ミッションバラバをモデルにした映画親分はイエス様』に出演する。

親友の死[編集]

2006年(平成18年)12月21日、親友の松沢秀章牧師(当時、基督兄弟団成増教会主任牧師、補教師)が、埼玉県新座市で事故死する。2007年3月には、事件後の教団と教会の方針により協力牧師を辞任する。

日本列島十字架行進[編集]

2012年(平成24年)、20年ぶりに再び徒歩による『日本列島十字架行進』を行う。

同年3月11日沖縄県平和祈念公園をスタートする。重さ40kgの十字架を担ぎ歩き続け、同年9月18日に目的地である北海道宗谷岬に到達する。[16][17]

2013年(平成25年)、前年の『日本列島十字架行進』で訪れることの出来なかった四国一周十字架行進を4月7日より実施する。同年5月10日四国一周を達成する。[18][19]

アメリカでの十字架行進[編集]

2014年(平成27年)、3月5日ハワイオアフ島にてWALK ACROSS OAHU(オアフ島一周十字架行進)をスタート、3月12日オアフ島一周を達成する。

達成後すぐにアメリカ本土に渡り、3月17日カリフォルニア州サンタモニカからWALK ACROSS USA(アメリカ横断十字架行進)をスタートする。ゴールのニューヨーク州ロングビーチに向かい歩き始める。

同年8月21日イリノイ州スプリングフィールドに到達。2014年の行進を終了し帰国する。

2015年(平成27年)、4月、5日間に渡る富士山一周十字架行進を行った後渡米する。4月17日よりWALK ACROSS USAを再開する。

同年6月13日、ゴールであるニューヨーク州ロングビーチに到達。アメリカ横断約4,800kmの行進を終了する。[20][21][22]

著作[編集]

ドキュメンタリーDVD[編集]

  • 「不良牧師 求道の旅」(2007年、監督:亀田幸則
  • 「WALK ACROSS JAPAN」(2014年、制作:株式会社リアルサウンド)

映画出演[編集]

対談[編集]

  • 『日本のリバイバルを求めて』奥山実 マルコーシュ・パブリケーション社

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ [1]
  2. ^ 基督兄弟団成増教会HP
  3. ^ 成増教会のHPでは牧師になっているが、著書によるとザ・グレイス・スクエア・チャペル(成増教会)の協力牧師になっている。ホーランド(1996年)p.19
  4. ^ 出生時は「岡田正之」であるが、正式に入籍した際に米国国籍を取得して、"Arthur Masayuki Hollands"という英語名を持つ。ホーランド(1996年)p.30
  5. ^ ホーランド(1996年)p.44
  6. ^ ホーランド(1996年)p.45-p46
  7. ^ 金沢(2000年)P.81
  8. ^ サンボレスリングとは、旧ソ連の国技で関節技を中心とする実戦向きの格闘技である。柔道とレスリングが混合したような種目である。ホーランド(1996年)p.48
  9. ^ ホーランド(1996年)p.56
  10. ^ キャロリンは日本派遣宣教師の子弟で、かつて大阪のホーランドが幼少期に住んでいた場所の近くで、生活していた経験があった。
  11. ^ 伝道の際に赤や白などの目立つ色のスーツを着るなどしたことから、その型破りな伝道方法が話題となる。
  12. ^ このことがきっかけになり「ヤクザ・フェローシップ」が結成され、元ヤクザのクリスチャン集団「ミッション・バラバ」へと発展していく。ホーランドと松沢秀章が顧問になった。
  13. ^ 鈴木(2000年),p.283-284
  14. ^ ホーランド(1996年)p.110-112
  15. ^ 後に韓国・アメリカでも同様のパフォーマンスを繰り広げ、数名の元暴力団員が行進に参加。その様子を時事、共同、UPIなどの通信社が配信し、「刺青伝道」と評し話題を集める。ホーランド(1996年)p.115-120
  16. ^ 不良牧師アーサー・ホーランド日本列島縦断十字架行進ちょこっとレポート【沖縄編】」フォレスト出版公式ブログ 2012年3月30日
  17. ^ 異色の牧師が十字架背負い道内縦断」財界さっぽろオンライン 2012年8月28日
  18. ^ 十字架背負い四国一周/東京の牧師が香川入り」四国新聞社web版 2013年5月4日
  19. ^ 十字架背負い四国一周 牧師ホーランドさん、県庁に午後ゴール 」徳島新聞web 2013年5月8日
  20. ^ この行進はアメリカ各地でも注目され、現地のローカルニュースや新聞などからも取材を受け、報道された。「MAN WALKING ACROSS US WITH CROSS ON BACK HAS CHANCE MEETING WITH MARINE」abc7 March 25, 2014
  21. ^ Man carries cross to promote peace, love」abc27 June 2, 2015
  22. ^ Evangelist Walks Across a Country」the media project JULY 6, 2015

参考文献[編集]

  • 金沢泰裕『イレズミ牧師とツッパリ少年達』集英社、1996年
  • アーサー・ホーランド『親分はイエス様』(神様とであったミッション・バラバの物語)PHP研究所、1996年
  • 鈴木啓之『愛されて、許されて』雷韻出版、2000年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]